剣術試験を終えて

「あの、すみません、そこの方」


 剣術試験が終わった広場から出ようと歩き出したエリスの後ろで、高い声の誰かが誰かに声をかけた。

 らしいのを、エリスの耳が拾う。


 自分へ向けられた声にも聞こえたが、そうとも限らないしと、エリスは歩き続けた。


 普段のエリスなら振り返るなどして確認する。

 けれど剣術試験を終えたばかりのエリスは、『普段のエリス』に戻れていなかった。


 剣術試験のあとには、魔法と筆記の試験がある。

 早く帰ってそれらの対策を進めたい。

 全てに合格しないと、王立騎士団には入れない。

 受かって、入団しなければ、何も始まらない。


 焦りにも似た強い思いを胸の内で渦巻かせ、歩き続けるエリスの耳に、


「あの、あのー、えっと、そこの……白? 薄青? 色の短い髪の方」


 そんな呼びかけが届いた。


(俺か?)


 思ったエリスの歩みが遅くなる。

 自分が持つ髪の、特徴的だが微妙すぎる色合いをなんと言うべきか、悩まれる。そんな経験を、エリスは飽きるほどしてきた。


 この髪色を迷うことなく、思い返せば恥ずかしくなるほど詩的な言葉で例えたのは──


『君の髪はね、ミルビィの花と同じ色だと思うんだよ』

「えーっと、ミルビィの花みたいな色のみじか、」

「っ?!」


 思わず勢いをつけて振り返り、声がしていたほうを凝視する。

 自分へ声をかけたかも知れない、そのことより、『ミルビィの花』に過剰反応してしまった結果だった。


「いっひぃ?!」


 勢いづいて振り返られ、エリスに凝視されたその人物は、エリスの反応に驚いたらしい。

 緑の瞳を見開き、妙な声を上げ、肩を跳ねさせる。その拍子に、肩ほどまである黒髪が揺れた。

 そこに居たのは、ロロファだった。


「……あ、いや、」


 ミルビィの花、と口にした。

 それがロロファだったと認識し、現実へ引き戻されるように我に返ったエリスは、


「……少し、驚いただけだ。逆に驚かせたみたいで、悪い」


 表情を冷静なものにし、ロロファと向き合う形を取り、謝罪を口にする。


「あ、いえ。ちょっとびっくりしただけなので。大丈夫です。こちらこそなんだか驚かせちゃったみたいですみません」


 顔の前で片手を振りながら明るく言ったロロファは、


「それで、ちょっとお聞きしたいことがあって声をかけてたんですけど」


 とエリスを見上げながら話し始めた。


「勘違いだったらすみませんですが」


 子供っぽいのか大人びているのか、よく分からない話し方をするなと、エリスが思っていたら。


「あたしが試験する前、こっち見てました?」


 緑の瞳を興味深そうに煌めかせるロロファに、あの時のことを指摘された。


「あ、や……見てた。悪い。深い意味はないんだけど……嫌な気分にさせてたら悪かった」


 やっぱり気づかれてたか。


(下手に誤魔化しても良いことないしな)


 そんな思いで、エリスは軽く頭を下げて謝罪した。


「あっいえ。お気遣いなく。嫌な気分とかではなくてですね」


 頭を上げたエリスがロロファを見ると、こちらを見つめる緑の瞳は、相変わらず興味深いものを見るように煌めいている。


「どっちかというと「面白い人だなぁ」と思ったので」

「面白い……?」


 意味が分からず、疑問の声で繰り返したエリスに。


「はい」


 ロロファはしっかりと頷く。


「あたしを心配してる感じで見てるなって思ったので」


 ロロファの言葉を聞いたエリスは、驚きに目を見開いた。そしてすぐ、胸の内に湧いた後ろめたさを隠そうと、平静を装う。


「へー心配してくれる人もいるんだーって思っちゃったんですけど、あれ、「心配」で合ってました? 違う感じで見てました?」


 そこが気になってまして。


 明るく、なんでもないように聞いてくるロロファへ、どう言うべきかと迷ったエリスは。

 これこそ正直に答えなければと、思ってしまった。


「……心配、で、合ってる。……悪い」


 苦い声で言い、また頭を下げた。さっきよりも深く、下げた。


 見下していた訳じゃない。


 言いたいけれど、言い訳にしか聞こえないだろう。だから、エリスは謝罪だけをした。


「あぁいえいえ。それこそお気になさらずです。単純に気になってただけなので」


 エリスが頭を上げ、ロロファを見ると、ロロファは明るい表情のままでいる。


「気になってたことが分かったのでスッキリしました。お時間いただきまして、どうもありがとうございました」


 ぺこりと自然な動作でお辞儀をし、「それでは失礼します。どうもでしたー」と会釈をしながらエリスの横を通り過ぎていく。

 その姿が、まっすぐ歩いていく後ろ姿が、色味も背格好も全く似ていないのに、『彼女』と重なって見えて。


「ちょっ……と、聞いても、いいか」


 聞いてどうする。


 声をかけてから自分へ問いかけたエリスへ、ロロファが振り向いた。なんだろ? と言いたげな表情で。


 もう、聞いてしまえ。

 どんな返答であれ、気持ちを整理できる。


 エリスは言い訳めいた結論を出し、口を動かした。


「君は、その……」


 たぶん、恐らく、確実に。

 そうなんだろうけれど。


「女性……女の子、で、合ってるか……?」

「あ、はい。女です。今年で十七歳のうら若き乙女ですよー」


 それが聞きたかったのかぁ。


 納得したような表情で答えたロロファは、にっこりと笑顔になって。


「それじゃあ、失礼しますね。一緒に合格できたらいいですねー」


 朗らかに言い、手を振りながら去っていった。

 その光景を唖然と見つめていたエリスは。

 ロロファが女性であることよりも。


(──年上?!)


 そちらに驚いていた。


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