蒸し鶏の南蛮漬けと茄子のナムル
白石は火吹き竹で竈の火をおこすと素早く鉄製の鍋の中へ酒を注いだ。友人の中に山奥の中に別邸を持っている奴がいたので、こうしたことができるのは白石にとっては強みの一つだった。竈に火が浮かび、とても現代の加熱調理器とは比較にならないぐらいの猛々しい火が動く。
包丁で鶏肉の筋を切り、あまり厚くしないように均一の太さで切りそろえる。その鶏肉に塩、現代ではあまり見られない粗め胡椒を加えすり込む。
「さてと少し酒を多めにするか」
ことことと鍋を揺らし、湯気を上げ、沸騰したお湯の中に調理した鶏肉を入れ蒸していく。
「よしと」
現代のように火加減はできないので、何度か鍋を竈から降ろしたりして火加減を調整し蒸していく。鍋から更にことことと音がして白い蒸気が上がっていく。その白石の動きに一つとして無駄はない。
「ふぅー、中々大変だなー」
白石は額に汗を浮かべ、慣れていない厨房での調理に悪戦苦闘していた。
しかし料理は待ってはくれないので白石は調理を続ける。額にじんわりと汗が浮かんだ。
鶏肉を蒸し終えると白石は春野から受け取った大根の皮をむいた後に薄切りにスライスしていく。
「さてと次はタレだな。春野さん、えーと砂糖、醤油、酢、ごま油、唐辛子を頼みます」
「はい!」
「んで、木乃葉さんはちょっと深くて大きな器をお願いします」
「は、はい」
白石の動きを目を丸くして見ていた春野であるが、白石の指示を聞いて皿を取りに行く。
「す、凄いなんていう料理方法なの、こんなの見たことがない! そしてその動きは、まるで流水の上を流れる木の葉のごときの動きです」
白石の動きを後ろで観察していた木乃葉は見たことのない調理法や動きに、目を奪われていた。
「ははっ、そう言って頂けると嬉しいです」
白石は恭しくそう言ったが、もう少し凝った物を作りたかったなと思う。調味料不足とかそんなことは関係ない。問題は仕込みの時間がないということだ。今は朝餉なのでそんなにお待たせするわけにもいかない。
そう白石は思うと流れる動作の如く黙々と料理を作っていく。唐辛子はそのままなので自分の美味しくなるようにと思う分量を細かく包丁で刻み、器を受け取るとその中に春野から受け取った調味料を適宜適量加え、そしてタレを完成させる。
調味料が入れてある容器は今風な透明でスタイリッシュな容器ではなく、無骨な茶色の陶芸品といった様子だった。はっきり言って重い。調味料入れ一つでも文明の利器を感じさせるには十分であった。
更にタレを作っている時に、一瞬木乃葉がお高い砂糖がと呟いた気がした気がするが。味見をして白石は再度味を調整する。
「家庭用の味ではない。もう少し優しく」
鶏肉を冷まし、タレもそのまま冷ます。開いた竈に再度先ほどの鍋を置くと、水を多めに加え、縦半分に切った茄子を入れて蒸していく。
タレの良い香りと茄子が蒸される香り、そしてそれらが複雑に絡み合い濃厚な香りへ変化する。そんな湯気の匂いを嗅いで木乃葉と春野はゴクリと喉を鳴らした。
湯気が上がった鍋に茄子を入れて蒸し、蒸し終えると、その茄子を冷まし、冷えたのを確認すると、食べやすい大きさに裂く。
別の器に細かく切ったネギを加え、その中へ塩、醤油などを加えて茄子とよくあえて行く。濃い琥珀色の黄金比率のタレと茄子が絡み合い極上の漬物へと変化する。
「まあ、こんなもんかな。味噌汁は春野さんが作ってるし」
どんな台所だろうと白石の敵ではない。彼は元いた地球ではナンバーワンなのだから。
ただ心残りはあった。
(大口を叩いた割には凝った料理ではないと言うね」
「さて春野さん、木乃葉さん、人数分の大きな皿と小さな皿を用意してください。盛り付けなければならないので」
「なんという見目も麗しい料理なんでしょう」
「み、見たこともない凄い料理が並びましたよ姉様……あ、味は大丈夫なんでしょうか」
「わ、わかりません」
白石の指示が聞こえていない様子で二人は料理の感想を述べる。白石は両手をパンと叩くと二人を現実世界へ引き戻す。
「ささ、現実に戻りましょう」
「はっ、はい!」
「す、すみません……なんと仰られましたか?」
「食べられる人数分の大きなお皿と小さなお皿です」
白石の指示を今度こそ聞いた二人は皿を取りに行った。そんな二人を見て白石は微笑を浮かべながらこう付け加えた。
「ははっ。お願いします。人の家の勝手は分からない物で」
二人から皿を人数分受け取ると、皿の中へ薄切りスライスした純白の美しい大根を添えるようにして配置し、その上へ蒸され、肉質豊かになった蒸し鶏のスライスを置く。中からじんわりと甘美な肉汁と脂が浮かぶ。そんな鶏と大根に冷ましたタレをかけていく。
別皿になすのナムルを入れて、ナムルへごま油を加える。
「よいしょっと完成かな。それにしても寒いな……」
「だって白石様の格好は冬にむけての格好じゃありませんもの。どこかで着物なんか用意しないとですね。でもそれより見たことのない美しい盛り付けなのでしょう……まるで芸術品のよう」
「本当にです……こんな盛り付け方法が江戸のどこにあるんでしょう」
二人の会話を聞いた後に、微笑みを浮かべた白石は魔法のように刻んだネギをさっと各人の皿に振りかけるようにして散らすと、そこで一息ついた。二人は料理をお盆に載せると慌てた様子で運ぶ。
そんな二人を見た後に白石はこんなことを思う。もしここが現代とは異なる世なら誰かを頼らなければならなくなるだろう。
そして生きる道も考えなければならない。竈で料理を作る内に自然と最終審判、つまりここは江戸時代であるという気構えができはじめていた。
(問題はどうやって生きるかだ、もしここが、そうだった場合は……)
暫く自分の殻の中に入って考え込んでいた白石の耳に木乃葉の声が入った。白石はポーカーフェイスを木乃葉に見せると木乃葉も笑顔を浮かべてこう言った。
「全部用意できました。それじゃ行きましょうか。でも本当に美味しそう……」
料理を持って運んでいく春野と木乃葉。白石はその後ろ姿をぼんやりと眺めていると木乃葉は白石の方に振り返り、こう言った。
「兄上がお待ちなので、ついてきてくださいね」
「は、はい!」
家の家督を継いだ男、そして自分が助けたらしい男と顔合わせをする、白石の背中に緊張が走る。でも白石は心を落ち着かせ木乃葉の後へついていくのだった。
家の中は典型的な木造の家屋で、その作りは現代のそれとは完全に違っていた。家の奥へ歩くとある一室に着いた。
木乃葉はその部屋の前、つまり襖の前で恭しく腰を折って膝をつき中へ声を掛ける。
「失礼致します。今よろしいでしょうか」
「うむ」
襖の奥から一人の男の声が聞こえた。透き通った良い声だった。中からもう一人の声が聞こえた気がしたが、そういえば加納屋という人がいると先ほど聞いたことを白石は思い出した。
木乃葉は襖に両手を掛け静かに開ける。
「朝餉の準備ができました」
「うむ、今日は養生用のかしわだったな」
「はい、でも兄様。今日のかしわは一段と違った趣になっております」
「ほうー、それはどんなものなのですかな」
木乃葉と重治郎の会話に結構歳を召した男の声が入ってくる。どうやらここでご飯を食べるようだと白石は思い、そして今からこの中の主と話をすることになるのだろうと思った。
「それが……白石さま、いえ、大拳法家様が料理を作って下さって」
「なに! 起きられたのか。ご無事なのか。いや料理を作って下さったということはご無事なんだな」
「ほほう。噂の御仁と青木様対面なさるのか」
正直白石は緊張してきた。噂の御仁とかなんとか言われているが自分はなに一つとして記憶がないのだ。
「で、どこにおられるのだ」
「そのお隣に」
白石は生唾を飲み込んだ後に襖の影から襖の前へ行き正座すると挨拶をした。
「白石弦と申します。どういうご縁かわかりませんが一宿させていただきました。そのお礼として余計なことだったのかもしれませんが料理を作らせて頂きました」
「そのようなお気遣いはされなくてもよかったのに。あなたは私を助けて下さった恩人なのですから」
顔を見ると見事なちょんまげをつけた男だった。精悍な顔つきに侍ということがひしひしと分かる威圧感があった。ただ顔は非常にイケメンといっておかしくはないだろう。
更に朝餉を食べるだけなので普通の着物姿であった。隣に座る加納屋はこれまた普通の人と違うオーラがあった。なかなかに迫力のある顔つきでおしゃれのように髭を伸ばし白髪の髪を首元で縛っていた。この老人も着物姿であった。
白石は立ち上がろうとした重治郎を手で制すと、こう優しい口調で言った。
「とりあえず、朝餉を食べてからお話をしませんか? 腹が空いては戦はできぬと申しますし」
「う、うむ。確かに仰られるとおりかもしれない。一度落ち着いてから話をするか。しかし料理まで作っていただいて申し訳ない」
「お止めはしたのですが。まずは朝餉を食べてからお話ということになりまして」
「そうであったか、しかしそれにしても料理を作るとはなんと行動的な方よ」
重治郎は白石の顔を見て一度目瞑るとかたじけないそう言った。白石は優しく微笑むと重治郎にこう言った。
「とりあえず時間が経つと美味しくなくなるので食べましょう」
「う、うむ」
それが合図になったのか、失礼しますと春野は言うと、歩を進め春野は静かな様子で室内へ料理を運ぶ。木乃葉も一度床に置いたお盆を室内へと運ぶ。
木乃葉はまずは重治郎の前へ料理を運ぶ。少なくとも白石の作った料理は嘉永六年の江戸には存在しない。
「どうです、兄様。私もこの料理を見たときに驚きましたが」
「なんという美しき盛り付けよ。各皿がまるで輝いておるようだ。大拳法家殿、この料理はなんというのでしょうか?」
白石はまず一皿目を指さし説明する。
「こちらは蒸し鶏の南蛮漬けといいます」
人の目を引く琥珀色のスープ。その下に均一に薄切りにされたシルクのような大根。その大根の上に薄く等間隔で切られた鶏肉が添えてある。
鶏肉の表面には僅かな焦げ目がついていて、その身を際立たせた。肉に内包する肉汁と脂がじんわりと浮かび、ややタレに流れていくのを見て重治郎はゴクリと喉を鳴らした。
そんな蒸し鶏の上には雪化粧のようなネギの細切れが散らしてある。
「そしてこちらはナスのナムルになります」
飴色になり、蒸されて縮んだ茄子の身に絡むように、色鮮やかなネギや刻んだシンクの唐辛子の色合いが楽しめる。ごま油の香りが香ってきてなんとも爽やかな気持ちにさせた。
「とてもご飯に合うと思います」
「蒸し鶏の南蛮漬けとはどこの料理なのかな」
加納屋は顎に手を当て不思議そうな表情をする。
「こちらは中華料理に分類されると思います」
「中華とは清と考えてよろしいのかな」
「はい、そうでございます」
「こちらのナスのなむるというものは?」
「恐らくは韓国料理かと」
「カンコク?」
「失礼しました。アジア系の料理になると思います」
「ほう……これは一体どこで修行をしてきたのか。海外への渡航が禁じられているこの時代にどうやって」
加納屋はそういうと白石をじっと見やる。その視線は厳しいものだった。厳しい、いやよく見ると観察されているといった方が正確か。
「お、恐らくいろいろな料理を実験していたのでしょう。あまり記憶がないんですよ……」「それは真実を言っておられるのか」
「……まあ、そうだと思います……」
その白石の消え入りそうな声を聞いて加納屋は顎に手を置き考える仕草をした。白石はここで自分の心を騙さないようにして確信した答えをはじき出した。
(ここは江戸時代に間違いない。なんとか元の世界に変える方法を考えないと……どうやって帰る、いやもし帰れなかったら俺はどうなってしまうんだ……)
「とりあえず、私を助けた時に記憶がなくなったと言うことですか」
「は、はい……」
「な、なんということなのだ……この青木重治郎一生の不覚」
食事が各人の前に全て並んだ。美味しい食事の前にあまりこういう話はしたくなかったが、相手が興味を持ってしまうことは致し方ない。
重治郎は頭を抱える仕草をした後に、ゆっくりと顔を上げた。その顔にはある種の決意が浮かんでいるように見えた。重治郎は白石に向かって安心させるような微笑み浮かべ、こう言った。
「とりあえずせっかくの料理が冷めてもなんです。食べることに致しましょう」
「は、はいお心遣い助かります」
春野と木乃葉が自分の席へ着くと、木乃葉が白石の方へ視線を向けた。
「白石様のお席は私の隣です。こちらへどうぞ」
「は、はい」
白石は襖の近くから立ち上がると木乃葉の隣に歩み、腰を折り正座をする。
「それでは折角の料理だ、皆食べようか」
重治郎は静かにそう言うと皆が手を合わせた後に食べ始めた。白石は隣の木乃葉の顔を見る。
(気に入ってもらえるだろうか……)
一同は、蒸し鶏をタレにつけて食べる。口の中へしっかりとタレを絡めた蒸し鶏を入れ、味わった刹那、皆が白石の方へ視線を向けた。
「な!」
「え?」
「はっ」
「むっ……」
最初に声を発したのは重治郎であった。重治郎の驚きのような声に続き、木乃葉、春野、加納屋も続くように声を出した。驚きの表情と共に妙な声を出した皆を見て白石は冷や汗をかいた。
(駄目だったのか……)
味には自信があった。味付けも家庭風をイメージして味をつけた。
それでもこの時代の人間にはこの味には慣れがなかったのかと思い、白石は普通に煮付けかなにかにしておけばよかったのかしれないと後悔する。
「うっ……」
皆の視線を受け白石は胃がキリキリと痛むのを感じた。重治郎は視線を向けていた鶏肉から白石へ視線の行き先を変えた。
「こ、これはなんなんだ!」
「うっ……」
加納屋という人の鶏肉を無駄にして怒られるのだろうかと覚悟した白石に重治郎は真逆の評価をした。
「び、美味としかいいようがないですよ。大拳法家殿。蒸したかしわがほんのり柔らかくそして臭みがない。程よい肉質感に甘美な肉汁と油、そしてそれらが交わるようにこの酸味のある琥珀色のタレが絶妙に絡み合う、そこへネギがさらりとした香りとシャキッとした清涼感をもたせている……もはやこれは人知を超えたなにかだ……」
淡泊な味の鶏肉がこうも甘辛いタレと合う物なのだなと重治郎は言葉を付け足した。
「このサクサクお大根もそのタレと絡み合って格別な爽快さとシャキシャキ感が味わえます……うふっ……」
「ほっぺが落ちそう。美味しい……」
重治郎に続き、春野は頬を手で触りながら満足げな表情を浮かべる。木乃葉はうっとりした表情を浮かべ、幸せとはまさにこのことだろうということを表現している。
「い、いやいや、この漬物もただ者ではない! 朝鮮風の割にはこの飯と合うこと合うこと……中はとろりと甘く蕩けるようで皮は弾力を持ち苦みが少々残る、だがこの飴色の摩訶不思議な醤油風ピリ辛ごま油のタレと茄子そしてご飯と出会うとき味覚革命が起きた……まさに料理の戦とはこのことをいうのだ」
加納屋はなんという見事なお手前だという言葉を残して茄子の皮のサクサク感を楽しみつつ、男らしい様子でガツガツとがむしゃらに食べ進めていく。
「だ、だめなのかと思いました……皆様に不快な思いをさせてしまったのではないかと……」
安堵した白石は胸をなで下ろすと感激する皆にそう言った。そんな白石に第一声を放ったのは木乃葉だった。
「高価な砂糖を大量にお使いになった時のように豪快な方で居てほしいものです。ふふふっ。我が一家、命のご恩人をご不快に思うことはありません。だから白石様も食べましょう」
「は、はい」
(た、高かったのか砂糖……これから気をつけよう。いや許可を取るべきか)
今後の忠告を心に刻みこんでから白石は料理に手をつけて皆と食べる。
(そういえば朝ご飯を大人数で食べるのはいつ以来だろう)
白石は和気藹々とした食卓の風景を見てなぜかほっとした気持ちになり、久しぶりに気持ちの良い食事を食べられた。
その中で加納屋の眼光だけが白石を見定めていたことを白石は知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます