第9話 加賀見の反撃

 ここ最近のTruePulseの開発は、順調すぎるほど順調だった。

 僻地からのフィードバックは改善点よりも感謝の声が多く、チームも笑顔を取り戻していた。

 俺も、ようやく再起の手応えを感じ始めていた。


 ――もちろん、まだ課題は残っている。

 それでも、このまま行けるはずだと信じていた。


 そんな中、招集された全体会議。


 会議室の空気はどこか張り詰めていて、いつもより参加者の口数が少ない。

 テーブルには契約書のコピーが無造作に置かれている。

 大手医療機器メーカーのロゴ――メディセンス・ジャパン社のライバルである「グローバル・ケアテック社」の文字が、やけに冷たく目に入った。


 胸の奥がざわめく。不穏な気配。


 ――怖い。


 嫌な予感が背筋を這い上がる。

 あの日と同じだ。

 技術も仲間も、一瞬で奪われた、あの悪夢の始まりに似ている。


「……これは、どういうことだ」


 セリスは組んだ足を崩さず、端正な顔に微笑の形だけを浮かべた。


「メディセンス・ジャパン社の内部情報を手に入れました」


 会議室の空気がかすかに動く。誰かが小さく息を呑み、別の誰かが視線をそらす。嫌な沈黙が落ちた。


 セリスは淡々と続けた。


「コヒーレンス・スキャンのプロトがほぼ完成し、技術的問題の解決に目途が立ったそうです。10月に実装されたら、TruePulseは勝てません。医師との連携では、向こうに優位性がある」


「だから――価値が落ちる前に、大手に高値で売るべきだと判断しました」


(……要するに、ReMediに勝てる見込みがないから勝負を降りる、ってことか)


 胸の奥が重く沈む。

 耳の奥で血流の音が大きく響き、視界の端が暗く沈んでいく。


 ――まさか、そんな……。


 また、すべてを失うのか。

 あの日の無力感と、喉の奥が焼けるような悔しさが蘇る。


「理念はどうする。俺たちは“誰も取り残さない”ために――」


「理想は贅沢品です、Dr. Kuon。数字とキャッシュがあってはじめて、理想を語る資格が得られる」


「――まだ、TruePulseが負けると決まったわけじゃない」


「それを、あなたが言うのですか、Dr. Kuon」


 セリスが、冷たい目で俺を見つめると、手元のPCを操作する。

 その瞬間、会議室の空気が張り詰め、紙をめくる音や小声のやりとりがぴたりと止んだ。

 視線が一斉にスクリーンへと向けられる。

 映し出されたのは、土下座する加賀見と俺。


「あなたには、コヒーレンスの秘密を洩らした疑いがある。場合によっては守秘義務条項14.3違反の疑いで背任罪にも問われかねない行為です」


「……っ!それは」


 言い訳をしかけて、唇を噛む。

 ヒントを伝えただけだ。

 それでも、漏らしたと言われれば否定はできなかった。

 冷ややかに見守っていたセリスが、目を細める。


「率直に言えば、あなたは信用できません」


 俺は一瞬目を閉じた。

 あの時、加賀見にヒントを渡さなければ――そんな後悔が、胸を締め付けた。


 資料を閉じた北見が口を開いた。

 苦い表情を浮かべ、冷たい視線を俺に向ける。


「……見損ないました、久遠さん。加賀見なんかに味方して、何がしたいんですか? あなたは、技術さえ完成させられればそれでいいと思っているんじゃないですか? 理想は高いけど、ビジネスはできない人なんじゃないですか」


 その一言ずつが胸を刺す。

 北野の視線に、喉が詰まって息が浅くなる。


 セリスは契約書のロゴを指先で軽く叩いた。


「僕は敗者にはならない。“若き帝王”は負けを学ばない。学んだ瞬間、帝王ではなくなるからね。勝者は全てを手にし、敗者は存在すら忘れられる――君もそれくらいは理解していると思っていた」


 静寂を破ったのは、氷室の落ち着いた声だった。


「残念だけど久遠、セリスの言うことには合理性がある」


「だけど議決権は俺に……」


「……たとえ議決権はあなたにあっても、メンバーが離れれば組織は崩壊する」


「……けど」


 それでもまだ言いかけた俺に、氷室が小さくため息をついた。


「ただ一つ道があるとすれば……。グローバル・メディテック社との契約が正式に締結されるまでの期間に、PreMediより早くTruePulseを完成させ、多くの医師の信頼を得る。それしかないわ」


 その時、氷室の胸元で、細いチェーンの先に下がった小さなペンダントが、会議室の光を受けてわずかに瞬いた。その視線が一瞬だけ柔らかく揺れる――そう見えたのは、気のせいだろうか。


 胸の奥で悔しさがうずき、同時に認めざるを得ない自分がいることに気づく。

 その感覚が、さらに苦かった。


 ……これが現実か。


 言葉は、もう出てこなかった。


 ――完成までに残る時間はあと28日。


***


 夜、サーバールームのアラートが耳をつんざく音で鳴り響いた。

 管理画面には国外IPからの異常アクセスが連続で記録され、警告ウィンドウが次々とポップアップ。

 赤いバーが侵入率を示すように、90%に向かって伸びていく。


「……外部侵入? いや、このパターン……」


 俺はキーボードに飛びつき、侵入経路を追跡した。

 画面に映るログに、奇妙なパケットの暗号化パターンが点滅していた。「ロシア経由のVPN…いや、偽装だ!」と気づくが、次の瞬間、新たな警告ウィンドウが開き、指が汗で滑った。


 ファイアウォールの再設定を試みるが、エラーコードが次々と吐き出される。


「くそっ、間に合わない…!」


 一度遮断しても、数秒後に別経路から潜り込んでくる。ログの奥に、かつて加賀見が自慢していた「カオス理論ベースの暗号」に似た痕跡が一瞬だけ光った。

 狙いは医療データではなく、TruePulseのプロトタイプ領域。

 背筋が冷たくなった。

 即座に回線を全遮断し、バックアップと隔離処理を強制実行。


 しかし、数十秒の遅れが致命傷――一部アルゴリズムが持ち出され、最新版の処理フローは消去されていた。

 徹夜の復旧作業が続く深夜、緊急ミーティング。

 北見が苦々しい表情で言う。


「漏洩分は限定的ですが、閾値処理と推定アルゴリズムの初期版が抜かれました。復旧には二週間はかかります」


 その視線は、まるで俺に責任があると言わんばかりだった。

 唇を噛む。

 このタイミングと大胆なやり口――証拠はないが直感した。


 加賀見、あるいはそれに近い誰かだ。


 廊下に出て、スマホを手に取る。三度の着信音。

 諦めかけた瞬間、通話が繋がった。


「……久遠か」


 掠れた声。思った以上に疲弊している。


「恩をあだで返す気か」

「なんのことだ」

「しらばくれるな」

「……恩だと? お前は俺を哀れに思って、ちょっとヒントをくれてやっただけだろう。本当に助ける気もなかっただろう?」

「お前っ!」

「ReMediは10月に実装可能だ。こんどこそ本当に終わりだな、久遠」


 短い沈黙。

 その言葉は、冷えた刃のようだった。


「……くそ野郎」


 胸の奥がざらつく。

 冷たさがじわりと広がる。

 怒りと同時に、芯が氷のように固まり、呼吸が浅くなる。


「それが、お前の“信じ方”かよ」


 ため息とも嗤いともつかない音がして、通話は切れた。

 証拠保全と法的対応を誤らなければ裁判で戦えるだろう……だがTruePulseの実装には間に合わない。


 そうなればアレイダ社は消える。裁判すら起こせない。

 そこまで読んでいたのか――その思いが、さらに胸を締め付けた。


***


 数日後、ReMediが“精度向上”アップデートを発表。

 公開されたデモ映像には、俺が提案した閾値処理と酷似したアルゴリズムの挙動が、誇らしげに映し出されていた。

 見た瞬間、血の気が引き、指先が冷たくなる。

 怒りよりも先に、胸の奥が凍りついた。


 心が折れそうだった。

 そのとき、メールが届いた。

 僻地診療所の若い医師からで、画面には笑顔の子どもと『あの機能のおかげで救えました』という短い文。


 胸の奥で何かが微かに灯った。


 ――辛い。全てを投げ出したい。

 でもまだ、諦めるわけにはいかなかった。


***


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