第3話 レベルアップ

 俺は訓練場の隅にある、重厚な木製の扉に手をかけた。

 ギィィ……と、まるで断末魔のような軋みを上げて、地下へと続く石の階段がその姿を現す。

 ひんやりとした黴臭い空気が俺の頬を撫でた。


(ここが最初の狩り場、シレン家地下訓練場……。原作じゃカイトが怖がって入れず、プレイヤーも存在すら知らなかったボーナスステージだ)


 RTA走者にとって未知の領域ほど心躍るものはない。

 俺は躊躇なく暗い階段へと足を踏み入れた。

 5歳の身体には不釣り合いな木剣を引きずりながら、一段、また一段と下りていく。

 壁の燭台に灯された魔法の光が俺の長い影を揺らしていた。


 しばらく進むと開けた空間に出た。

 そこは土と石で構成された簡素な広場。

 そして、その中央で何かが蠢いていた。


(……いたな。最初の経験値)


 体長1メートルはあろうかという、巨大な鼠。

 血のように赤い瞳が暗闇の中で爛々と輝いている。

 鋭く伸びた牙からは涎が滴り落ちていた。

〈ディスクライド〉における最弱モンスターの一角、〈ジャイアントラット〉。

 普通の5歳児が見れば腰を抜かし、泣き叫んで逃げ出すだろう。

 原作のカイトがそうだったように。

 だが俺の目には、その姿が愛おしい経験値の塊にしか見えない。


「グルルルゥ……!」


 ジャイアントラットが俺の存在に気づき、威嚇の唸り声を上げる。

 ゲーム知識によれば、ジャイアントラットの行動パターンは極めて単調。

 一直線に突進してきて、噛みつくだけ。

 何の捻りもない典型的な雑魚モンスターの動きだ。


(ステータスは……レベル3相当。今の俺はレベル1。普通に戦えば苦戦は免れない。だが――)


 俺には【魔力喰い】がある。

 リソースを気にせず、一方的に攻撃を叩き込める。


「チャート通り始めさせてもらうぞ」


 俺は木剣を構え、意識を集中させた。

 シレン家に伝わる初歩の攻撃魔法。

 その名を〈マナ・アロー〉。

 体内の魔力を圧縮し、矢として放つだけのシンプルな魔法だ。

 威力は低いが、燃費もいい。


「――〈マナ・アロー〉」


 俺がそう呟くと、手元に淡い光が集まり一本の小さな光の矢が形成される。

 次の瞬間、矢はジャイアントラットに向かって一直線に飛翔した。


 ビシュッ!


「ギィッ!?」


 矢は寸分違わずジャイアントラットの胴体に着弾。

 悲鳴を上げた奴が、憎悪に満ちた目でこちらを睨みつける。

 手応えは……軽い。

 さすがにレベル1の魔法では致命傷には程遠いか。


 だが、問題ない。

 俺は即座に二射目の詠唱に入る。

 魔力がごっそりと減る感覚。

 しかし、それとほぼ同時に【魔力喰い】が発動し、周囲の魔素が俺の身体へと流れ込んでくる。


(すごい……! 減った分が即座にチャージされていく! これなら本当に無限に撃てるぞ!)


「二射目〈マナ・アロー〉!」


 再び放たれた光の矢が、ジャイアントラットの足を撃ち抜く。

 動きが鈍ったのを確認し、俺はさらに距離を取る。

 RTAの基本は被弾リスクの徹底的な排除だ。


「ギィィィィアアア!!」


 怒り狂ったジャイアントラットが、ついに突進を仕掛けてきた。

 だが、その動きは俺の予測通り。

 遅すぎる。


「〈マナ・アロー〉、〈マナ・アロー〉、〈マナ・アロー〉!」


 俺は冷静に、まるで作業のように魔法を連射する。

 一発、二発、三発。

 光の矢が次々と突き刺さり、その度にジャイアントラットの勢いが削がれていく。

 普通なら、5歳児の魔力量では一発撃つのがやっとなはずの魔法。

 それを俺は息をするように連発していた。


 これこそが俺の考えた最速レベリングの核心。

 圧倒的な手数による、一方的な攻撃。


 そして十数発目の矢が突き刺さった時、ついにジャイアントラットの巨体がぐらりと傾き、そのまま地面に倒れ伏した。

 その身体は淡い光の粒子となり、霧のように掻き消えていく。


 ――ピロンッ


 待ちわびた音が脳内に響き渡った。


【経験値を獲得しました】

【カイト・シレンのレベルが1から10に上がりました】

【ステータスが上昇しました】

【スキル〈鑑定〉〈隠密〉を習得しました】


「……はっ。笑えるくらい一気に上がるな」


 レベル差のある敵をソロで討伐したことによる、経験値ボーナス。

 全てが想定通り。

 いや、想定以上だ。

 レベルが上がったことで全身に力がみなぎってくる。

 さっきまでとは比べ物にならないほど身体が軽い。


 そして、俺はもう一つの変化に気づく。

 ジャイアントラットが消滅した瞬間、普段よりも濃密な魔力が俺の身体に流れ込んできたのだ。


(そうか、生物が死ぬ際に放出する魔力……。これを直接【魔力喰い】で吸収すれば回復速度も跳ね上がるのか。敵を狩れば狩るほど、次の戦闘が楽になる。なんて素晴らしい永久機関だ)


 この地下には、まだ数体のジャイアントラットがいるはずだ。

 この調子で狩り尽くせば、今日中にレベル20も夢じゃない。


 俺が次の獲物を探そうとニヤリと口角を上げた、その時だった。


「――カイト? そこで何をしている」


 背後から、低く厳格な声が響いた。

 俺がゆっくりと振り返ると、そこには見間違えようのない人物が立っていた。

 白銀の髪を後ろに流し、彫りの深い顔立ちに鋭い鷲のような瞳。

 シレン家当主にして、原作ではカイトの才能の無さに絶望し、冷たく突き放すことになる男――

 俺の父親、アーク・シレンその人だ。


 アークは俺の足元で消えかかっている光の粒子と、俺が木剣を握っている姿を交互に見て、眉間に深い皺を刻んでいる。

 おそらく、地下から聞こえる魔法の音に気づいて様子を見に来たのだろう。


(さて、どうする。5歳児が一人で魔物を倒したなんて、普通に考えれば異常事態だ)


 ここで下手に言い訳をすれば、怪しまれるだけ。

 ならば、取るべき態度は一つしかない。


 俺は、原作のカイトが持っていた才能への渇望と傲慢さを思い出し、それを自分の表情に乗せた。

 そして、父親であるアークを真っ直ぐに見据え、ふてぶてしい笑みを浮かべてみせる。


「なんだ父上。見ての通りですよ」


 俺はさも当然というように肩をすくめて言った。


「この程度の魔物、俺にとっては退屈しのぎにもなりません」


 一瞬、アークの時間が止まったかのように見えた。

 彼の鷲のような瞳が驚愕に見開かれる。

 それもそうだろう。

 昨日まで魔法の基礎すらおぼつかなかったはずの息子が、たった一人でジャイアントラットを討伐し、不遜な言葉を口にしているのだから。


 これが、俺の新たな生き方。

 圧倒的な実力を背景に、原作のヘイトキャラとしての傲慢さを隠れ蓑にする。

 無能貴族、カイト・シレンの逆襲。

 その第一幕が静かに上がった。

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