王立ギルド魔物被害調査課の白と黒
三石 成
第一章 火焔魔術
Ⅰ オアシス
目の前には、黒く焼け焦げた大地だけがある。
ここは大砂漠の北西。比較的砂は少なく、乾燥しきった地盤が剥き出しになっている不毛の地。ただしこの場所には、過酷な大砂漠を移動する冒険者や交易商人に束の間の休息を提供する、『オアシス』と呼ばれていた村があった。
——あった、はずである。
もはや煙すら上がっていない黒焦げの大地は、直径およそ千メートルほどの歪な円状に広がっている。その範囲は、オアシスがあった場所と完全に一致する。
元来の砂色の大地と黒焦げの大地の境界には、頭から足元まで薄手のマントに身を包んだ中年の男が一人立っていた。傍には、男がここまで乗ってきた灰毛の馬がいる。
ただしこの世界の馬は鋭い爪と牙が生えた肉食魔獣である。サラブレッドより二回りほども体が大きく、猫のような縦型の瞳孔を持っている。たてがみは腹のあたりに届くほどに長かった。
「……いったい、何があったってんだ」
男は低く呟くと、自然と付着していた砂粒を落としながら、ゆっくりとマントのフードを外す。
混じりけのない白髪が眩い陽の光を受けて煌めく。うなじのあたりで無造作に結ばれた後髪は短い房を作っており、こめかみから顎全体を覆う髭も白い。髪と髭の白さは加齢による変化の結果だが、元々白に近いブロンドだったことが強く影響している。
身長は百九十センチを超えるほどに高く、四十六歳という年齢にしては不釣り合いなほどに張りのある筋肉がつき、体格が良い。
馬の手綱を放し、男は一人で足を前へと進めると、焦げついた大地を踏みしめる。正体不明の黒焦げの物体がパリパリと乾いた音を立てた。靴の底からは余韻のような熱気が伝わってきたが、立っていられないほどではない。
しゃがみ込んで大地に触れるが、完全に炭化した物質は、元が何だったのかという判別もできなかった。『ここに村があった』という事実の方が偽りだったのではないかと思えるほど、すべてが跡形もなく焼けてしまっている。
燃えている間は、この地に凄まじい炎が渦巻いていただろうと予想ができる。ただ、その猛烈な炎が消えた理由は、誰かによって消火されたわけではなく、単にこの地に燃えるものがなくなったからに他ならない。
男が嘆息したとき、遠くからエンジン音が響きはじめた。音のする方に視線を向けると、陽炎の中に、魔動バイクに跨った人の姿が見えた。こちらに向かって走ってきている。
時折小さく何かが破裂するような異音を含むエンジン音に反応して馬が嘶くので、ロズは馬の元へと戻って、その首元を宥めるように叩いてやった。
それから間も無く、砂に塗れてもなお黒光りする車体を持つバイクが、焦げついた大地の横までやってきた。乗り手が地面に足をつくと、重低音を響かせていた魔動エンジンが止まる。
「アンタがロズ・テンドール、か? 遅れて悪いな。途中でエンジントラブルを起こした」
バイクから降りてきたのは、黒革のジャケットを羽織った青年だ。
単純に白髪の男が大きいというだけの話ではあるが、横に並んでみると十センチ以上身長が低い。黒いシャツの開かれた胸元にはシルバーチェーンのネックレスが、左耳にはダガーのピアスが揺れていた。艶やかな黒髪は短めにカットされているが、センターパートの前髪は頬にかかる程度に長い。装飾品のシルバーを除いで見事な黒ずくめだ。
「そりゃあ、こんな繊細そうなオンロードバイクで砂漠にやってきたら、砂塵やら熱やらでエンジンもダメになるだろうよ。むしろここまで辿り着けただけでも大したもんだ」
派手な出立ちの青年からロズと呼ばれた白髪の男は、現れた人物の派手な出立を見て、渋い表情を浮かべる。
ロズと青年は初対面だ。しかし、ロズは青年が何者であるかを知っていた。『今後の仕事でバディを組む新人を送った』という上司からの魔送文書を昨夜受け取っていたからだ。つまりこの青年が、今後バディを組むことになる新人というわけだ。
だがその通達は一方的なものでり、ロズ自身がバディを組むことを了承したわけではない。
「どこへ行くにも愛車で移動するのが、俺の流儀なんだ」
ロズの言った皮肉を理解していないのか、青年はどこか自慢げにそう言いながら、黒い丸型のサングラスを外す。すると、通りすがった人のすべてが男女関係なく振り返るような、極めて整った顔面が露わになった。
青年の顔を見てロズは一瞬驚いたものの、すぐに、その頬が妙に上気していることの方が気になった。ディーの肌は浅黒い色をしているためにわかりにくいが、それにしても赤くなっている。
理由はすぐに思い当たる。砂漠の炎天下に、黒革のジャケットという場違いもはなはだしい服装でいるからだ。
ロズは深くため息を漏らすと、馬の鞍にかけていた大きな斜めがけ鞄の中を探り、予備のマントを引っ張り出した。
そんなロズの行動をよそに、青年は話を続ける。
「俺の名前はディー・ソーヤ。先日王立大学校を首席で卒業し、昨日から王立ギルド魔物被害調査課に配属された。話は行ってると思うが、今後はアンタとバディを組んで行動するようにと、管理部から指示を受けている。さっそくだが、調査が必要な今回の案件の詳細情報を教えてくれ」
王立大学校とは、その名のとおりに王の認可を受けた大学校であり、国のエリートを育成する最高峰の教育機関だ。卒業生のほとんどが王に仕える官吏か王国軍の兵士になる。王立大学校を卒業した上で、ギルドで働こうという者は前代未聞である。ましてや、ディーは王立大学校を首席で卒業したという。
口調はともかくとして丁寧な自己紹介を受けたが、ロズは無言のままマントをディーへと差し出す。ディーは形の良い片眉を上げ、不思議そうにロズを見返した。
「これは?」
「
「アンタと違って若いんで、俺は大丈夫だ」
「そんな赤い顔をして何が大丈夫だ。ぶっ倒れても介抱はしてやらんからな」
ディーは一瞬不服そうに顔を歪めたが、尋常ではない熱を持っている自身の黒髪の頭頂部に手を当ててから、結局は黙ってマントを受け取り、ジャケットを脱いで身に纏った。途端、ディーは目を丸くする。体がマントの影に入った瞬間から、彼が先ほどから感じていた殺人級の暑さが半減したのだ。呼吸さえしやすくなった感覚があった。
ロズはディーの様子を構わずに話を続ける。
「それと、口に気をつけるんだな小僧。年長者をおしなべて敬えとは言わんが、現時点では俺はお前に仕事を教える立場にあるわけだ。王立大学校卒だか首席だが知らんが、一人で仕事をやれねぇんなら、教えを乞う人間の名前くらいまともに呼び、敬語を使え」
「つまり一人で仕事ができるなら、勝手にしてもいいと?」
生意気な新人の口答えに、ロズは胡乱な眼差しを向ける。
「俺の見立てでは、お前のその『愛車』は、動いた状態で再度この大砂漠を抜けることはできんだろう。俺がお前を見捨ててこのまま一人で行動させたら、お前は配属初日から大砂漠の真ん中に取り残されることになるぞ。ちなみに言っておくが、砂漠の魔物は夜に湧く」
「たしかにここに来る途中で一度エンジントラブルは起こしたが、なんとか宥めて走ってきたんだ。こいつはそんなに柔じゃないさ」
自信たっぷりなディーの様子に、ロズはため息を漏らす。
「ああ、そうかい」
説き伏せることを諦めると、焦げた大地の方へ視線を向けた。
「じゃあご要望のとおり、さっそく仕事の説明といこう。今回俺たちが調査するのは、この惨状の原因だ」
「惨状? ただの溶岩地帯だろ」
ディーが不思議そうに問い返し、同じように焦げた大地を見る。
初めてこの地を訪れた者がそう勘違いするのも無理はない。何も知らない状態でこの辺りの様子を見れば、元からこうだったのではないかと思えるほどに跡形もなく黒焦げなのだ。
ロズはゆっくりと首を横に振る。
「ここには人口二百人ほどのオアシスという村があった。一昨日『村がなくなっている』という冒険者からの通報があり、魔物による被害の可能性をふまえて俺たちが派遣された、というわけだ」
先ほどディーが自己申告していたが、二人は王立ギルドの魔物被害調査課に所属する職員で、不審な事件や事故が起きた際、魔物による被害を調査する役目を負っていた。
この世界には多くの魔物がいて様々な形態と生態を持つが、全ての魔物に共通するのは、『より多くの命を刈り取ることを行動原理としている』ということだ。
魔物は人間を含む全ての生物にとって非常に危険な存在である。そのため、人々から魔物討伐の依頼を請け負うことを生業とする者たちが生まれた。彼らはこの国では『冒険者』と呼ばれ、現在では労働人口の半分を占めている。
常に危険と隣り合わせではあるものの、依頼報酬に加えて魔物から得られる特殊な素材を売ることもできるために収入源は多く、裕福な生活ができるのがこの国の冒険者という職業である。
そして、そんな冒険者たちをとりまとめる役目を持つ団体が『ギルド』と呼ばれている。ギルドは冒険者のサポートを全面的に担っているが、わかりやすい活動の一つとして、依頼の発行・報酬の支払い業務がある。
国民は誰でも、ギルドを通して冒険者へ様々な内容の依頼を出すことができる。その上で、もし災害のような大規模な魔物の被害が生じた場合は、個人からではなくギルド名義で『青印依頼』と呼ばれる公的な依頼が発行される。
しかし、被害はあるが原因となっている魔物の正体や詳細がわからない時がある。
例えば今回のように、突如として村が丸々焼き消えたという場合。『何とかしてくれ』という漠然とした依頼を出したところで冒険者は困るし、冒険者が『問題を解決したぞ』と報告してきても、それが本当かどうかの判別もつけられない。
そういった場合に依頼発行の業務を請け負うのが、ディーとロズが所属している魔物被害調査課だ。
まずは調査をし、事件の背景を明らかにする。調査してみた結果、原因は人的なものだったとか、実は自然災害だったなどということもあるのだが、その場合は憲兵や政府に仕事を引き継ぐ。
被害の原因が魔物だった場合は、対象となる魔物の情報を添えて討伐依頼を発行する。依頼を請け負った冒険者が魔物を討伐すれば、被害拡大を抑えることができる。単純で効果的な国の公的な仕組みだ。
「跡形もなく村が焼き消えたと聞けば、いったい何があったのか? と思っただろう。それを調べるのが『魔物被害調査課』である俺たちの仕事だ」
ロズはそう言って、話を締め括った。
「ここに……村があったのか?」
周囲の惨状を眺め、ディーは素直に驚きの表情を浮かべた。
「相当昔だが、この村には俺も一度来たことがある。小さいが、砂漠の中継地点として、冒険者や交易商人たちに重宝されて賑わっていた」
そう返事をするロズの声は昏い。
ロズが以前にオアシスを訪れたのは二十年近く前になるが、彼の脳内では、そのときに見た平和な村の光景が思い出されていた。
特別に親しくしたわけではないが、宿屋の主人はよくしてくれたし、村には活気があり、多くの子供たちも暮らしていた。今では、その子供たちが大人になって、家庭を持ち、新たな命を育んでいたかもしれない。
まだこの村で何が起きたのかはわからないのだが、被害の規模から言えば、村人も巻き込まれて亡くなっている可能性が高い。
「どこかの家から起きた火事が村中に広がったのか?」
ディーから向けられた疑問に、ロズは軽く笑う。
「まさか。ただの火事でここまで跡形もなく村が消えるわけがない。強力な魔物か、上級魔術師の仕業に決まっている。被害後の状況がここまで異質となると、自然災害の線は薄いだろう。近くにある山が噴火したってわけでもねぇしな」
ロズはそう話しながら、鞄から手のひらサイズの小瓶を取り出した。深い緑色のガラスを保護するように、蔦を模した金色の細工が表面を覆っている。
「元はただの火事だったところから、何日も時間をかけて燃え尽きた可能性は?」
「初めて通報があったのが一昨日。その通報の内容も『村が燃えている』じゃない。『村がなくなっている』だ。オアシスは人の出入りが多く、毎日のように訪問者がある村だから、一晩か、数時間か、或いは一瞬のうちに全てを燃やし尽くしてこの状態になったんだろう」
小瓶を持ったロズが話しながら歩き出すと、ディーも後をついてくる。黒焦げの大地の中心地までたどり着き、ロズは持ってきた小瓶の栓を外した。
瓶の口に軽く親指を被せて中身が少しずつ出るように調整し、周囲に透明な液体を撒きはじめる。溢れた液体は空中でキラキラと黄金色に輝き、霧散していく。
「何やってるんだ? それ」
「わからんのか、これは聖水だ。あとで聖職者は呼ぶが、少しでも死霊の発生が遅らせられるようにな」
この世界では、人間が亡くなった場所には魔物の一種である死霊が湧く。
多くの人間が亡くなった事故や事件現場などを放置すると死霊の大群生地になり、討伐しない限り近づくことすらできなくなってしまう。
ディーも当然、人間の死が死霊を発生させることは知識として知っている。ただ、街の中で人間が真っ当に亡くなった場合は、聖職者が適切に霊魂を送り出すことがごく当たり前のことになっている。すると問題は起きないため、どうしても実感としては薄くなる。
今までほとんど王都を出たことがなかったディーは、聖水を使った応急処置については知らなかった。
ようやくこの地で起こった惨劇を真の意味で理解し、ディーは表情を曇らせる。
「……ここにあった村の人口。アンタ、どれくらいだったって言ってたか?」
「二百人ほどだ」
「その全員が死んでしまって、骨すら残ってないってことか」
「もしどこかに避難してくれてるんなら、それが一番いいが」
感情を押し殺したようなロズの返事を聞くと、ディーは自身の胸元に右掌を押し当て、目を閉じて軽く俯く。
そんなディーの様子を横目に見つつ、ロズはそれからしばらく、小瓶が空になるまで聖水を振りまき続けた。
死霊の応急処置を終えると、ロズは踵を返した。背後からディーに声をかけられる。
「どこに行くんだ?」
「アリリタだ。世間知らずな小僧でも名前くらいは聞いたことがあるだろう。大砂漠の中心地にある『砂漠の華』とも呼ばれる都市だ」
ロズが足を止めずに答えると、ディーはむっとした表情を浮かべた。
「現場はここなんだろう? もっと色々調査をしなくていいのか?」
「残骸があるなら、そりゃ俺だって喜んでそうしたいがな。こんな状態の場所の、何を調査しろってんだ」
黒焦げの大地を改めて見渡し、ディーも歩き出すとロズの後を追いかけてくる。
「アリリタに行って何をするんだ」
「ここから一番近い街がアリリタだからな。もしかしたら数日前にここにいた者が、アリリタに移動しているかもしれん。最近オアシスを訪れた者から、そのときの村の様子がどうだったのか、話を聞くんだよ。聞き込み調査だ」
「数日前の村の様子なんか知ってどうするんだ」
「そっから、わかることがあるかもしれねぇだろうが。それともなにか? 『現地に行ってみたけど何も燃え残ってなかったのでわかりませんでした。終わり』って報告書でも出すのか?」
そこでロズは一度足を止め、振り返った。
「で、お前はどうする。さっき大口叩いたように一人でやっていくつもりなのか。それとも、俺についてきて教えを乞いたいのか。前者ならいい加減、馬鹿丸出しの質問を繰り返すのをやめて、どっかに行ってくれねぇか。邪魔くさくて仕方ねぇ」
ロズの銀に近い薄色の瞳で睨めつけられ、ディーは眉間に皺を寄せる。
「俺は優秀だから、一人でもやっていける。ただ、アンタとバディを組んで行動しろというのが管理部からの指示だ」
「上からの指示なんざ、俺の知ったこっちゃねぇな。俺はいつも一人で問題なく仕事をしてきた。お前はどうするんだって聞いてんだよ」
現在二人がオアシス跡地にいるように、被害のあった現場に向かい、調査活動をする関係上、魔物被害調査はそれなりの危険が伴う。そのため、二人一組で行動するのが原則だ。
しかし、元冒険者であり、腕に自信のあるロズは、自ら望んでずっと一人で活動してきた。それはギルドの規定には反した行動だったが、王立ギルドが万年人手不足であるという状況もあって、今まで我儘が罷り通ってしまっていたのだ。
ロズの強い眼差しを受け、しばし押し黙っていたディーが口を開く。
「……指示は、指示だろう。アンタについてアリリタまで行く。だが、アンタに教えを乞うわけじゃない。あくまでバディだからな」
「ふぅん? ま、勝手にしな」
ロズは大した興味もなさそうに片眉を上げてから、フードをかぶり、再度踵を返して愛馬の元へと向かった。鎧に足をかけ、手綱を掴んで一息で鞍に跨ると、さっさと馬の腹を蹴って歩き出す。
ディーもその後に続くべく、黒焦げの大地の境界に停めていたバイクに急いで跨る。少し離れただけだというのに、黒革張りのシートが陽の熱を集めて驚くほど熱くなっている。
同じく熱を吸収しているハンドルを強く握り、そのままいつものようにエンジンをかけようとした。が、いくらスロットルを回そうにも、何かが引っかかったようにうまく回らない。力に任せて動かそうとするが、状況は変わらなかった。
「おいおいおいおい、お前はそんなに柔じゃねぇだろ。いい子だ、な? 動いてくれ」
往路で奇跡的にエンジンを復活させた時のようにバイクへ呼びかけながら、軽く車体を揺らし、幾度もスロットルを回そうとする。だが、何度挑戦してみたところで事態は変わらない。
ディーのこめかみを、暑さによるものだけではない汗が伝たい落ちた。自分に構わずすでに出発したロズは、どんどんこの場から遠ざかっていく。
——最低限の整備用品は手元にあるが、自力でバイクを整備して、ロズの後を追ってアリリタへ行くことができるのか? ロズにまだ声が届くあいだに、助けを求めた方が良いんじゃないか?
ディーがこのバイクを愛用し、常に乗り回していたことは事実だ。しかし、王都には魔動車両の整備工場が山ほどある。動かなくなったバイクを自分で修理した経験などない。
焦った思考の末に、ディーはロズが先ほど言っていた言葉を思い出す。『砂漠の魔物は夜に湧く』と。砂漠のど真ん中で移動手段を失うということが、即ち死を意味していることくらいは理解できた。
ディーはついに、まったく動かなくなってしまったバイクから降りる。
「おい、アンタ!」
声を張り上げ、ロズに向かって呼びかけるが、ロズはいっさい気にするそぶりもなく馬の足を進め続けている。
ディーは自分の口の横に両掌を添え、再度大声を出す。
「ロズ! バイクが動かないんだ。戻ってきてくれ!」
ロズは一瞬だけこちらの様子を確認するように振り返ったが、再度前を向いてしまう。その間も、馬の足は止まらない。
振り返ったということは、ディーの声はロズに届いているのだ。それでも、ロズには助けに戻ってこようという素振りはない。ディーは肩を落としながら空を仰ぐ。雲一つなく晴れ渡った青い空が頭上を覆っている。
降り注ぐ陽差しの強さに、ディーは外していたサングラスをかけ直した。しかし、ここに来るまでの道中に感じていた、気が遠くなるような暑さは和らいでいる。その理由には当然、思い当たっている。ディーはマントの薄い布地を握った。
大きく息を吸うと、自分の出せる最大の声量で叫ぶ。
「ロズさん! 手を貸してください!」
ロズの乗る馬の足が止まった。しばらくの静止の後に、馬がこちらに鼻先を向けUターンする。
ついに黒い大地の横まで戻ってくると、ロズは馬に跨ったまま、ディーを見下ろす。目深に被ったフードの影になって、表情は読み取れない。
「まったく、難儀な小僧だ」
バカにするというよりも呆れた様子でそう言うと、ロズはディーに向かって腕を伸ばした。
「必要最低限の荷物だけ持って来い。アリリタまで乗せて行ってやる」
「愛車を捨てて行きたくない……です」
「どうせここが現場だ、また来ることになる。次はアリリタから馬車を借りて来て回収すればいい。仕事でそのバイクを使い続ける気があるんだったら、オフロードを走れるように改造するんだな。そいつは街から出ることを想定して造られてねぇ」
幼い子供を諭すように言われ、ディーは無言のまま頷くと、バイクにつけていた鞄の一つを外してロズの手を取った。すると、ディーが予想していたよりもずっと強い力で手を握り返された。そのまま腕を引かれ、ロズの腕力だけで馬の背に引き上げられる。
ディーはほとんど苦労することなく馬に跨り、ロズの腕と手綱の間に収まることになる。
「フードを被ってろ、小僧。熱中症になるぞ」
手綱を引き、馬の腹を蹴りながらロズが一言告げると、ディーは黙ってフードを被った。
馬の足でも、オアシスからアリリタまでは四時間かかる。はじめての二人での道行は、随分と静かなものだった。
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