ピクチャー・イン・ピクチャー

金井水月

ピクチャー・イン・ピクチャー

 ホームルーム中の教室で、俺は担任の退屈な話を聞き流しながら、黒板をぼうっと見つめていた。何の文字も書かれていない黒板は、まるで電源の入っていないスマホの画面のようで、なんだか少し可哀そうだなと思った。

「いよいよ本格的に寒くなってきたから、体調には十分気を付けるように。じゃあ日直。号令よろしく」

「起立、礼」 

 日直が気怠そうな様子で号令を発した途端、その瞬間を待ちわびていたかのように、教室中のいたるところから一斉に喧騒が溢れ出す。

しゅん、じゃあな〜」

「おう、またな」

「明日は絶対マンガ返せよ~! 舜!」

「はいはい、また明日」

 俺は、賑やかに帰宅していくクラスメイト達に次々と中身のない返事を返していく。

 そして、一通りのメンバーを捌き終わると、決まって最後に一人の男子が話しかけてくる。

「舜は相変わらず人気者だなあ」

 振り返ると、やはりとおるが立っていた。高校生にしては背が低く、サラサラの黒髪を耳が隠れるくらい長く伸ばしている。大人しい小学生のような見た目をしているな、といつも思う。

「別に、人気者ってことはないだろ」

「いやいや、昔から舜の周りにはいつも人がいっぱいだったよ」

 通は、幼稚園からずっと同じクラスで過ごしてきた、いわゆる幼馴染である。チャラチャラした俺と、いいとこのお坊ちゃんのような通で、見るからにキャラが違うので、教室の中で話すことはあまりない。それでも、同じマンションに住んでいるため、こうして二人で一緒に帰る仲は継続しているのだった。

「まあ、そんなことどうでもいいだろ。帰ろうぜ、通」



 俺たちは、毎日使っている通学路を歩いて帰っていく。

 十一月の太陽は、下校時にはもうその身を水平線の向こうに隠そうとしている。太陽が恥ずかしくて頬を染めているから空が赤くなるのかな、なんて下らないことを考えた。

「あ。舜、ちょっとストップ」

「ん、どうした? また写真?」

「うん。そこに咲いてる花撮るから、ちょっと待ってて」

 五分くらい歩いたところにある横断歩道を前にして、通がスマホを取り出した。電信柱の下に咲いている花やら、その周りの雑草やらを、真剣な表情で写真に撮っている。一度撮り始めると興が乗ってきたのか、一枚、また一枚とすごい速度でシャッター音を鳴らしていく。終いには、十歩進むごとに一枚くらいのペースで写真を撮るようになって、俺たちの歩くスピードは牛歩のように遅くなっていた。

 通は、いつも突然写真を撮り始める。

 思えば昔からそうだった。

 とにかく写真を撮るのが好きで好きで仕方がなくて、いつどんな場所でも写真を撮っていないと落ち着かないやつだった。スマホを持っていなかった時代は、誕生日プレゼントで親から貰ったデジカメをいつも首からぶら下げていた。

 俺は、通のこういうところが素直に好きだった。いつも自分の好きなことに真っすぐで、絶対に自分を曲げない。あまりにも写真に一直線すぎるせいか、小学校や中学校ではひどく馬鹿にされていじめに近い扱いを受けるようなこともあったけど、通がクラスメイトから何か悪口を言われるたびに、俺が何気なく守っていたような記憶がある。

 俺は通の姿を見て、かっこいいと思っていた。人間として尊敬できる、通みたいなやつと幼馴染みでいれて、幸せだと思っていた。

 けど、最近は少し違う。

「相変わらず、写真バカなんだな。お前は」

「バカとはなんだい、バカとは」

「いや、通学路で写真撮ってるやつ、どう考えてもバカだろ」

 俺は若干呆れた様子を醸し出しつつ、あえて嫌味のようなことを言ってみる。通は、そんな言葉を全く気にする素振りもなく、一心不乱にシャッターを切っている。

「……またコンクール用のやつ?」

「ん? いや、これはコンクール関係ないやつ。ただ単に、撮りたくて撮ってるだけだよ」

「ふーん……」

 いやに涼しい風が、無防備な首元を撫でていく。

「お前さ、」

 ふと、自分でも不思議なくらい流暢に、棘を持った言葉が口を衝いて出てきた。

「なんで、毎日毎日そんなに写真なんか撮ってるわけ? こんなただの通学路に、写真を撮るほどのものがあるとは思えないんだけど」

 言った瞬間、流石に嫌な言い方をし過ぎたかもしれないと少しだけ後悔した。

 だが、通はむしろ、それを聞かれるのを待ってましたと言わんばかりの勢いで、俺の方へ振り向いた。普段は長い前髪に隠れがちな大きな目が、綺麗に輝いていた。

「いやいや舜くん、わかってないね~。「撮るほどのもの」なんて、この世にいくらでもあるんだよ。たとえそれが、見慣れた通学路だったとしてもね」

「うん? 見慣れてるのに?」

「うん、見慣れてるのに。むしろ見慣れてるからこそ、日々新しい発見があって面白いとも言えるかも」

「何だそれ、全くわからん」

「そうだな、なんて言ったらいいのかな……」

 通は、じっくりと言葉を吟味するように語り出す。

「例えば、ただ道を歩いているだけなんだけど、突然目に映ってる何かが、こう、ものすごくキラキラ輝く瞬間があるんだよ。それはただの雑草だったり、標識だったり、信号だったり、普段は当たり前すぎて見落としちゃうような、本当に小さいものなんだけど。でも、それが一番キラキラ光って見える」

 ゆっくりと、でも確信を持った言葉を選んでいるようだった。

「僕は、そのキラキラを、絶対に見逃したくないんだよ。目の前にあるキラキラに溢れた世界を、ありのまま感じ取って、ありのまま記録したい。そのために写真を撮ってる……のかな」

 最後はどうやら恥ずかしくなったのか、通は、少し照れた様子で笑っていた。

「ふーん……まあ俺にはよくわかんないけど、通がなんか色々考えてるんだなと言うことはわかった」

「なんて言ったらいいのかなあ。舜にも、僕が感じてる写真の面白さを伝えたいといつも思ってるんだけど」

 通は、手を顎に当ててうんうんと考え込んでいる。

 俺は、本格的に沈み始めた夕焼けの光が少し眩しくて、思わず目を細めた。

 ああ、いつもこうだ。

 通が、写真について楽しそうに喋っているときの、この感じ。

 通は誰よりも自分に正直なやつだ。それは幼稚園から一緒に過ごした俺が一番知っている。通が言うキラキラを見つけて、それを写真に残したいと、きっと本気で思っている。俺には決してわからないその何かを掴もうと、懸命に努力している。

 通は、どこかへ行ってしまうんじゃないか。昔からずっと隣にいるのが当たり前のことで、考えたこともなかった。けど、通は本当はもっと遠くへ行くべき存在なんじゃないか。いつか写真で結果を残して、その名前を世間に知れ渡らせるような存在なんじゃないか。

 何の取り柄もない、俺なんかの隣にいるべきではないのではないか。

 ある時までは、二人で同じ道を歩いていたはずなのに、同じ世界を見ていたはずなのに。俺だけが置いていかれているような、俺だけが違う世界に取り残されてしまっているような。そんな気がしてくる。

「……というか」

 通は、突然思い出したかのように俺の方を向いた。

「舜だってたまに撮ってるでしょ、写真」

「……たまに、な。通が写真撮ってるとき、俺も暇なんだよ」

「じゃあ、僕が言ってることもある程度わかるんじゃない?」

「いや、わからんな。俺は通みたいに才能ないから」

 言ったそばから、胸がちくりと痛む。

「キラキラ……? とか、よくわかんねえし。適当な時に、適当に撮ってるだけだよ」

 その痛みを隠そうとして、俺は矢継ぎ早に言葉を重ねる。

「通みたいにコンクール目指して頑張ったり、理想を持ってやってるわけじゃないから。通とは違うよ、俺は」

「そうかなあ? 僕は舜の写真好きだけどな~」

「はあ? どの辺がだよ……」

「うーん、なんというか、舜の写真はすごい繊細で優しいんだよね。題材の選び方とか、撮り方とか含めて、撮ってる人の優しさが伝わってくるというかさ」

「なっ……!?」

 こんな堂々と褒められるとは思っていなかったので、俺は思わず息を詰まらせてしまった。赤面してしまっていたかもしれない。

「……真面目にさ。舜は本当にすごいよ」

 通は、凛とした口調で、断定するかのように言う。

「写真もそうだけどさ。みんなの人気者だし。背も高いし。スポーツもできるし。成績も良いし」

「いや、そんなやつ俺以外にもいくらでもいるし、通の方がよっぽど……」

「僕には、写真くらいしか誇れるものがないから。その写真だって、ずっとコンクールには出してるけど、落ち続けてるよ。全然すごくない。舜の方が僕よりよっぽどたくさんのものを持っててすごいって、僕は昔からずっとそう思ってるよ」

「でも……」

 パシャッ。

 話が平行線になろうとしていた中、通が突然カメラを俺の方に向けてきた。

「!?!?」

「うーん、やはり被写体としても素晴らしい。カメラに映えますなあ」

「なっ…! ちょ、勝手に撮るな!」

「秋の夜空に向かって少し黄昏ているような表情くださーい」

「んな顔するか、おい!」

「ははっ、こういうのもいいね」

 にやにや笑いながら、スマホを構え続ける通がとても楽しそうで、俺はなんだか怒るのも馬鹿らしくなってしまった。

「ったく、お前は……」

「……夏休みに応募したコンクールのことなんだけどさ」

 パシャパシャとシャッター音を鳴らしながら、スマホの向こう側で通がぽつりと言った。表情はあまり見えない。

「ああ、なんか俺も海に連れてかれたやつ?」

「そう、それ。実はそのコンクールの結果が、明日の新聞で発表されるんだよね」

「ふーん、そうなのか」

「舜も楽しみにしててよ。今回のは自信あるんだよね」

「……ああ、入賞してるといいな」

「なにそれ、ほんとに思ってる?笑」

「思ってるよ笑」

 通に小突かれて、俺はけらけらと笑った。

 夕暮れの光が作る照明が、通の横顔にはっきりとした陰影をつけていた。

 通が、コンクールで賞をとってしまったら。

 俺はその先を考えるのはやめて、なんとなく、通の顔から目を逸らした。



 翌朝、俺はやや眠い目をこすりながら、学校へ向かっていた。傘をさすほどでもない雨がぱらぱらと降っていて、肌に水滴がまとわりついてくる。全体的に視界が悪く、なんだか世界に霧がかかってしまったようだと思った。

「おーい、舜!!」

 そんな最中、聞き慣れた声を耳が受け取った。上気した顔の通が、まさに俺のところに駆け寄ってくるところだった。

 何か嫌な予感がした。聞こえていないふりをして、今すぐ逃げ出そうかと思った。

「舜!! 見た!? 今朝の新聞!」

「……っ!!」

 その予感は的中し、俺は硬直する。

 やめてくれ。

 その先は言わないでくれ。

 もう俺を、置いていかないでくれよ。

「僕……大賞獲ってたんだ!」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず学校とは正反対の方向へ走り出した。

「舜!?」

 通は驚いた様子で、大きな声を上げている。

「おい、どこ行くんだよ! 舜!」

 どうやら俺のことを追いかけてきているようだが、振り返ることはできなかった。今は話したくない。顔も見たくない。声も聞きたくない。できることなら、このままどこか遠くへ行って欲しい。

 俺には、通の隣に立っている資格がない。

「おい……待てって、舜!!」

 後ろから凄いスピードで通が迫ってくる。

 そうだ、通はあんな見た目をして、意外と足が速いんだった。二人で思い切り走るのなんて、小学生の時以来だろうか。毎日のように一緒にいるのに、すっかり忘れていた。

「はあ、はあ……捕まえた……」

 俺も全力で振り切ろうと走ったが、やがて追いつかれた。 

 通が、心配そうな目で俺を見つめる。

 その顔を見ていると、無性にイライラした。

「もう辞めてくれよ!!」

 俺は、自分でも訳の分からないまま、子供のように感情的な言葉をまき散らしていた。

「なんで……なんでお前は子供の時からいつまでもいつまでも俺についてくるんだよ!! 俺みたいな、何の取り柄もない人間に関わってくるなよ!! お前の方が俺より何倍もすごい人間なのに、俺のことを褒めてくるんじゃねえよ!!」

 こんなことを本人に向かって言いたいと思っていたわけではない。そう頭ではわかっているのに、溢れてくる感情を止めることはできなかった。俺は、喉の奥から汚いものをすべて絞り出すように、言った。

「お前と一緒にいると、俺は惨めになるだけなんだよ……」

「舜……」

 瞼が抑えきれなかった涙が、雨粒と一緒に頬を伝っていった。

 通は面食らったような顔をしていた。当然だと思う。二度と口を利いてくれなくなるかもしれない。それくらいのことを言ってしまった。

「もういいだろ。俺に構わないでくれよ。どっか行け」

「……いや、待ってよ。舜」

「なんだよ!!」

「……舜」

 通は、なにか意を決したように唇を引き結ぶと、手に持っていたスマホを俺に差し出した。

「舜。これ、見て」

「なんだよ……」

 通に差し出されたスマホの画面には、俺が写っていた。

 正確には、


「これ、僕がコンクールに出した写真なんだ」


 通は、まっすぐに俺の目を見て言った。

「は? なんで……」

「舜がなんで自分のことをそんなに卑下するのか僕にはわからないけどさ……」

 いつの間にか、雨は止んでいた。

「舜はさ、してるよ」

 雲の合間から漏れ出た光が、俺たちを包み込んでいるようだった。

「ほら、だって見てよこの写真。舜だって、めちゃくちゃ楽しそうに写真撮ってるじゃん。この写真が大賞に選ばれたってことはさ、舜にもそれだけの魅力があるってことなんじゃないの?」

「でも、これはお前の写真だろ……? それはお前がすごいだけで、俺は何も……」

「あのさ」

 通が、強めの口調で遮る。

「……よくわかんないけどさ、舜にとって僕はすごいやつなんだろ? じゃあさ、その僕が舜のことをどう思ってるのかも、これで伝わったんじゃない?」

「それって、どういう……」

「何回も言ってるじゃん? 舜は、みんなの人気者だし、背も高いし、スポーツもできるし、成績も良いし……」

 少しためらいつつ、通は言った。

「僕の、憧れなんだよ。昔からさ」

 その声は、俺を深い迷路から導き出してくれるような、優しさに満ちた声だった。

「……ま、まあ、無許可で撮ったし、本当は隠しておくつもりだったんだけどね!」

 通は急に恥ずかしくなったのか、頬をほんのり赤く染めながら、いそいそとスマホをポケットに閉まった。

「……ははっ、なんだよそれ……」

 俺は、思わず笑ってしまって、その場にへたり込んだ。

 気付けば霧のように不明瞭だった視界は晴れて、目の前ではにかむように笑う通の顔だけが、俺の視界に映っていた。



 その後、結局俺たちはマンション近くにある公園のベンチに、並んで座っていた。このまま学校に行かなければサボりになるわけだが、それもいいかなと思った。ゆっくりと、二人で話をしていたい気分だった。

「あっ……」

 ふと、通が空を見て、ポケットからスマホを取り出した。

 俺もつられて空を見上げると、雨の上がった空に、うっすらと虹がかかっていた。

「綺麗だね」

「ああ、すげー綺麗だ」

 改めて、虹のかかった空を見上げると、俺はこの景色を久しぶりに見たような、不思議な感覚を覚えた。今までこんなに近くにあったのに、見ようともしていなかった景色だった。

「ほら、舜も写真撮ったら? 僕のことばっかり見てないでさ」

「なっ……!? 誰がお前のことばっかり見てるんだよ!?」

 通は、意地悪そうに笑って俺のことをからかってくる。こいつ、無害そうな顔してこういうところあるんだよな……

 ふと、俺はちょっとした悪巧みを思いつく。これなら通にやり返せるかもしれない。

「じゃあ今日は、お前を撮ってやるよ」

「……え!? 僕!?」

 通は露骨に慌てて、腕で顔を隠そうとする。

「ちょ、どうしたんだよ突然!?」

「ほら、通もキラキラしてるからさ。俺も通のキラキラを写真に残したいな~」

「なっ……!!」

「ほらほら、隠れるなって~」

「くっ、こんな時だけ強い……まあでも、それじゃあ……僕も」

「え?」

「人を撮るんだったら、自分も撮られる覚悟はしてるよね!!」

 通は心底楽しそうに言うと、俺に向かってカメラを向けた。

「おお!? そうくるか!?」

 結果的に、二人でお互いにスマホを構え合うような形になってしまった。

 その構図があまりにもおかしくて、俺たちは二人でけらけらと笑い転げた。

 お互いの画面に映った俺たちの目は、とてもキラキラしていて、まるで子供のように光っていた。

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ピクチャー・イン・ピクチャー 金井水月 @kurage_pancake

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