7 異変と改変

「……文香ちゃん?」

「どうした?」

 私の後ろから顔を出した月垣くんが、一気に切り詰めた雰囲気へと変わる。

 文香ちゃんは煙でできた人形みたいに、ぼんやりとこっちを見て、そのままふわっと前を向いてしまう。

 動きにも、瞳にも、表情にも生気がない。

「なに……どうしたの⁉ どうなって……」

 文香ちゃんの肩を揺すっても、何の反応もない。

 ぞくっとして、思わず後ずさる。

 月垣くんを振り向くと、一瞬視線が揺らいだ。

「月垣くん、なにか知ってるの⁉」

「いや……知ってる、けど」

 月垣くんは言いにくそうに私から視線を外す。

「教えて。月垣くんが知ってるってことはこれ、文香ちゃんが変なふうになってるの、私の小説と関係あるんだよね?」

 私がぐっと目に力を込めて月垣くんを覗き込むと、月垣くんは「……もっと、ちゃんとまとめてから教えるつもりだったんだけどな」と眉をひそめて、ぐしゃっと黒髪を乱した。

 それから観念したように私をじっと見つめ返して、ゆっくり口を開いた。

「……『パイレーツ・キッズ』の設定だと、ダイヤモンドたちは子どもたちの、キラキラした心の宝石を奪うんだよな」

「え……まあ、そうだけど……」

 ダイヤモンドたちは海賊だから、それはもちろん、宝石を奪う。

 でも本物の宝石じゃなくて、ワクワクしてる子どもたちの、心の宝石だ。それを五十個集められれば、願いが叶う。

 だからダイヤモンドは自分の願いを叶えるために、空飛ぶ海賊船で世界中飛び回って、五十人の子どもたちから心の宝石をとってるんだ。

 ダイヤモンドがどんな願いを叶えたいのかは、まだ作者の私も決めてなくて、保留になっちゃってるんだけど。

「それだよ。心の宝石をとられたから、あいつはああなってるんだ」

 月垣くんの言葉に、私は一瞬思考が止まった。

「えっ、なんで? でも、宝石とられてもこんなふうにならないよ? むしろとられる前よりワクワクするし」

「だからだ。具現化した小説に矛盾があると、それを解消するために、世界が新しい設定を付け加えることがあるんだよ。この場合、心の宝石を取られたらワクワクする気持ちは消えるはずなのに、お前が考えた設定だとそれがない。だからそこを改変されたんだ。現にダイヤモンドたちが現れた夜から、何人かの子どもたちは心の宝石をとられてる。それで昨日も六人くらい欠席してただろ」

「な――」

 私は言葉を失って、立ち尽くす。

 確かに宝石をとられてむしろワクワクが増すってちょっとおかしいかなと思って、でも、もともと不思議な世界だからそんなこともあるだろうって放っておいた部分だけど。

 じゃあ。

 私のせい?

 文香ちゃんが今こんな、感情のない人形みたいになっちゃってるのも。

 昨日、桜花ちゃんの友達や、クラスメートが休んじゃったのも……私のせい?

「……でも」

 視界が揺れる。

 足がすくんで、動けなくなる。

「でも、ダイヤモンドたちは、そんな……子どもたちからキラキラした気持ちをとっちゃうような、悪い子たちじゃないよ……」

「だから、言っただろ。小説に矛盾があると、それは修正される」

「じゃあ、今の、みんなは」

 いつも明るくて、遊び心を忘れないダイヤモンドも。

 高飛車なところもあるけど、仲間思いなサファイアも。

 楽しいことが大好きで、猪突猛進なルビーも。

 王子様みたいに優しいアクアマリンも。

 気だるげだけどほんとは強くてかっこいいエメラルドも、みんな。

「悪者に、なっちゃったってこと……?」

 月垣くんが、金色の瞳で私を見据える。

「もし子どもたちから、心の宝石を奪うのが悪者だっていうなら、そうだな」

「違うっ!」

 私の喉から、信じられないくらい激しい声がほとばしった。

 気づいたら足が勝手に地面を蹴って、体が勝手に教室を目指す。

 自分でも、何をしてるのか分からない。

 正門を抜けて、昇降口に飛び込んで、脱ぎ捨てた靴を下駄箱にしまう余裕もなく、靴下のまま階段を駆け上る。

 違う。

 違うよ。

 みんな、すごく優しいのに、楽しいのに、誰より子どもたちの気持ちをわかってくれる子なのに。

 悪者なんて、そんなわけない。

 絶対なるわけない。

 子どもたちから、楽しくてたまらないキラキラ輝く気持ちを奪っちゃうような、そんなひどいことはしないよ。

――だって、だって。

 がらっと勢いよく、教室の扉を開く。

 はっはっと、荒く息を吐いて。

 足が、すくんで。

――だって、私が。

 教室は、空っぽだった。

 いつもなら先生が教室に入ってくるギリギリまで賑やかな教室が、おそろしいほど静まり返っている。

 よくお互いの机の前で話している愛理ちゃんも、みわちゃんも、和菜かずなちゃんも。

 教壇を囲んでキャンプファイヤーごっこするのにハマってる、たかくんも、悠太ゆうたくんも、マサくんも。

 誰も、いない。

 親友の桜花だって、いない。

 鼓動と呼吸音が、どんどん遠くなっていく。

――私が。


 私が、宝石みたいな心を大事にするために、みんなを創ったんだから。

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