2 今日から私の、隣の席は

 ダイヤモンドたちが私の前に現れた、その翌日。

 春休みが明けて、今日からは新学年、新学期だった。もう最高学年になるなんて、なんだか実感がわかない。

 始業式後、そのまま遂行された帰りの会で、私は頬杖をついて先生の話を聞く。

 といっても頭の中は昨日のできごとでいっぱいで、ほぼ話は聞き逃してたけど……だって、あんなのありえない。

 よりによって自分が考えたキャラクターが、現実に出てきちゃうとか……。

 やっぱり昨日のあれ、夢だったんじゃないかな。

 一度その考えが頭に浮かぶと、なんだか一気にそんな気がしてくる。

 うん、そうだよ、わりと夜遅かったし、いろいろショックなことがあって、あんな夢見ちゃったんだ。

 現実だったら嬉しかったけどなあ……もうちょっと続いてほしかったけど、終わっちゃった夢のことをいつまでも気にしてたって仕方ない。

 今日から六年生になるんだし、うん、よし、切り替えてこう。

 そう結論付けた私は、ようやく意識を教室に浮上させた。

 プールの水を通したみたいに遠くでぼんやり聞こえていた担任の先生の声が、一気にクリアに耳に入ってくる。

「じゃあ、とりあえず席はあいうえお順になってるけど……もし目が悪くて黒板見えないとか、やむをえない理由があれば交換するから。誰か変更したい人?」

 先生はそう言って、ぐるっと教室を見回した。

 このクラスはあ行の人が多いらしく、「お」の私は廊下側から数えて三列目の、一番前の席だ。

 でも視力はわりといいほうだし、誰か交換したがってたら私が譲ろうかな、って思うものの、誰も名乗り出ない。

 誰もいないか、と先生が呟いたところで、

「おい」

 低い、けど澄み切った声が教室に響いた。

 全員が一瞬びくっとして、後ろに目をやる。

「お前、目悪いんじゃないのか?」

 それは廊下から四番目――私の隣の列の、一番後ろにいた男子だった。

 軽く切り揃えられた前髪に、金色の目。……金色の目?

 もしかして、月垣つきがきこぼれくん?

 零くんは自分の隣の席、つまり私の列の一番後ろを見て喋ってる。

 後ろの席の人たちにさえぎられて見えないので、なんとか体をよじってみれば、そこに座っていたのは気の弱そうな女の子で。

 月垣くんの言う通り、大きな丸い眼鏡をかけていた。

「あ、え……っと……」

「移動したいならちゃんとはっきり声に出して言えよ。それとも、前に行きたくない理由があるのか?」

 金色の瞳で射抜くように睨みかけられ、女の子は完全にちぢみあがってしまう。

 え、とか、あの、その、と意味のない言葉を漏らす女の子に、月垣くんは不機嫌そうに眉をひそめて顔をそむけた。

 低い声で、ぼそりと一言。

「ないなら早く移動しろよ」

――こっ、こっわ!

 女の子はひっと身をすくめ、私含めたクラスメートも、自分が言われたわけでもないのに硬直する。

 だって、月垣零っていったら、うちの学校で有名な不良生徒だ。

 金色の瞳が噂になってるのはもちろん、しょっちゅう学校遅刻したり早退してるとか、来てもほとんど寝てるとか、中学生数人と大喧嘩して全員倒しちゃったとか。

 そういえば服の袖から見える腕も、絆創膏とガーゼだらけだ。それになんとなく近寄りがたいというか、冷たい雰囲気だし……。

 そんな男子からあんな言い方で圧かけられたら、怯えるに決まってるよ。

 実際、視力のいい私の目は、その女の子の瞳がじわっと泣き出しそうにうるんだのに気づいて――

「あっ、あのっ!」

 怖い。そりゃ私だって怖いけど、あんな顔してるの見たら、ほうっておけなかった。

 思わず手をあげた私に、教室中の視線が集まる。

 もちろん月垣くんの鋭い視線と、その隣の席の子の不安そうな目も。

 一瞬ひるみかけるけど、私はせいいっぱい笑顔を作って、なるべくいつも通りの声で言う。

「私けっこう視力いいから、交換しようか? こっちの席来なよ。一番前だし、見やすいと思う」

「……え」

 うん、もともと誰か交換したがってたら名乗り出ようって思ってたし、私がやらなくても誰かはやらなきゃいけないんだ。

 なら、私がその誰かになる。周りが怖がったり嫌がることは、自分が引き受けちゃうのが一番いい。

 うるんでいた女の子の瞳が見開かれた。

 一方の月垣くんは、何も言わずにふいっと顔を逸らす。

 そして、机に突っ伏してしまった。

 ……えっ、ねっ、寝た? この状況で⁉

 私だけじゃなくたぶんみんながぎょっとしたと思うけど、月垣くんはもう顔を上げすらしない。

 結局先生が確認をとって、私は一番後ろ、月垣くんの隣の席へと移ることになった。


 あっという間に帰りの会が終わって、みんなざわめきながら帰りの支度を始めたけど、月垣くんはまだ目を覚まさないままだった。

 隣の席で爆睡しているその姿を、私はおそるおそる横目に見る。

 ど、どうしよう。怖い怖い怖い。

 でも、起こしたほうがいいよね?

 それに隣の席ってことは、たぶんこれからいっぱい話す機会だって増えるだろうし、今から慣れておいて……。

 おずおずと体を寄せて、話しかける。

「……あ、あの……」

 自分が思ったよりずっと細い声だったけど、月垣くんには届いたらしい。

 腕の中にうずめていた顔がほんの少しだけ持ちあがって、前髪の隙間から金色の瞳が見えた。

 あ、思ったよりずっと綺麗な色してる。と、その煌めきに一瞬見惚れた次の瞬間、月垣くんはわずかに眉をひそめて、鋭い視線を私にとめた。

「――あ?」

 こ、声があからさまに不機嫌そうな低さっ!

「あ、いやっ、あのっ」

 話しかけたはいいものの、体が固まった私は思考がうまく回らなくなる。

 とりあえず名前、そうだ名前っ!

「あっ、えとっ、隣の席の、お、落葉灯露唯ですっ!」

 よく考えれば普通に「もう帰りの時間だよ」って言えばよかったんだけど、月垣くんの迫力にフリーズした私は、寝起きのクラスメートにいきなり自分の名前を叫ぶとかいう奇行に走ってしまった。

 月垣くんはふわりと状態を起こして、鋭さの消えた丸い瞳でじっと私を見る。

 驚いた、というより、なんだろう、この顔は――

 満月みたいな色の瞳が、ふわりとゆらめいた。

「いい名前だな」

「へっ?」

「そうか、ヒロイって読むのか。……よろしくな、ヒロイ」

 そう言った月垣くんはぐっと伸びをすると、またすぐに突っ伏してしまう。

 私はアゼンとして、その黒髪を見つめた。

 ……びっくりした。

 変な名前、って言われたことは何度もあるけど、いい名前なんて言われたの、これが始めてだ。

 月垣くんって意外と、いい人なのかな……?

 いやでも、まだ怖いイメージに変わりはないけど。

――っていうか今、名前呼ばれた?

 おちばひろい。

 落葉、なんて名字を嫌がったお父さんとお母さんが、なんとかポジティブなイメージに変えようと考えに考えたのが私の名前だ。

 落ち葉拾いって地味なことでも、人のためになることを、コツコツ堅実に……みたいな意味らしい。いくらなんでもこじつけすぎないかなって思う。

 正直私は名字と繋がりなんかなくていいから、普通の名前が欲しかった。

 ……まあ、今はそんなことないけどね。

 月垣くん、どのへんがいい名前だと思ったんだろう。響きとか?

「……」

――って!

 月垣くん、せっかく起こしたのにまた寝ちゃったよ!

 ど、どうしようこれ、さすがにもう一回起こしたら機嫌悪くなりそうだし……。

「ひーろいっ!」

「うわっ!」

 どすん、と後ろからぶつかられて、私は小さく悲鳴をあげる。

「おっ、桜花おうかちゃん!」

 綺麗な長髪に小顔、ぱっちりした大きな瞳。

 ぶつかってきたのはクラス一の美少女で、なおかつびっくりすることに私の一番の親友でもある桜花ちゃんだった。

 桜花ちゃんは私の顔を覗き込むようにして、にぱっと笑う。

「一緒に帰ろ!」

「え、で、でも月垣くんが」

「起こすの? きっと疲れてるんだと思うよー、寝かせといてあげなよ」

「疲れてる……?」

 え、もしかして月垣くん、昨日の夜も喧嘩してた⁉ それでこんな傷だらけなの⁉

「ま、先生か誰かが起こすでしょ。ほらほら一緒に帰ろうよヒロイ、これから六年生なんだし話したいこといっぱいあるんだよ~」

「わっ、わかった、わかったから押さないで、うわっ」

 桜花にじゃれつかれて笑いながら、私は急いで荷物をまとめる。

 っていうか桜花ちゃんもけっこう友達いると思うんだけど、私でいいのかな。そりゃ確かになんだかんだで同じクラスになることが多くて、いつのまにか仲良くなったけど。

「桜花ちゃん、愛理あいりちゃんたちは?」

「ああ、みんな今日はね、三人ともお休みだよ」

「――お休み?」

 そういえば今日、始業式なのに休みの人、結構多かった気がする。五、六人くらいいたんじゃないかな。

「それに私は、今日はヒロイと帰りたいから。……だめ?」

「あ、いや、いいけど」

 私は準備を終えたランドセルを背負って、にっこり笑った。

「じゃあ帰ろっか、桜花ちゃん」

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