異世界転生 間違った番号で

Awiones

第00章:プロローグ

 水曜日が嫌いだ。週の真ん中だからじゃない。終わりが見えないからだ。

 肩書きが書類上で立派に聞こえるというだけで、人間であることを忘れられる日。どうでもいいことにうなずきすぎて顔が痛くなる日。コーヒーマシンが最も必要な瞬間に故障し、それでも皆が俺の脳みそが完璧に潤滑されたアルゴリズムのように動くと思い込む日。

 スライドが変わる。グラフが映る。流行り言葉が踊る。

 硬い会議用椅子にもたれ、腕を組み、口を閉ざす。蛍光灯の唸りが室内の声よりうるさい。もう聞いていない。連中は気づかない。

 気づいたためしがない。

「垂直戦略をハイブリッド・シナジーモデルと再調整すれば——」

 ああそうだな、ガキ。好きに再調整しろ。来週壊れた時に拍手を強要するな。

 名前は美上ハヤト。28歳。横浜生まれ。現在、電子レンジサイズの東京アパート在住。表向きはこのコンサル会社の「重要人物」だ。少なくとも名刺にはそう書いてある。最近読む暇もないがな。

 天才じゃない。ビジョナリーでもない。ただ、黙り続ければ相手が「こいつは思慮深い」と勘違いすることを覚えた男だ。今のところ上手くいっている。

 スライドが変わる。儀礼的な拍手。誰かが視線を向ける。俺はうなずく。

 完璧。それで満足する。

 若い頃は、この立場に意味があると思っていた。いつか誰も干渉せず、生きさせてくれる時が来ると。高く登れば登るほど、より多くの人間が「お前の肩に俺の分も背負え」と要求するらしい。

 辞めたら何をするか考える時がある。ミニマリストになるとか。トマトを育てるとか。ブログを書くとか。エアフライヤーの修理法を覚えるとか。

 だがその時、家賃を思い出す。

 会議は「やっと終わった」という安堵の拍手と共に終わる。ノートPCを回収。廊下を歩く。採用した覚えのない数人にうなずく。エレベーター。ロビー。外へ。

 夜の東京は、冷たい光と忙しそうな見知らぬ人々のショールームだ。皆が動き回りながら、決して目的地にたどり着かない。俺は努力せずともそこに溶け込む。


 つづく


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