空白の英雄

@tom541

プロローグ

「……残念ながら違う。あなたは、英雄ではないわ」


老婆の言葉に、部屋の空気が冷えた気がした。

俺は、ただ唖然としていた。


――まあ期待はしてなかったけどな

異世界に転生してきて、英雄として目覚めるなんて、そんなことを期待するほどめでたくない。


しかしだったら何で俺は転生されたんだ? 

向こうでも失敗して——


また同じなのか……?


---


夏の暑さがじりじり肌を焦がす中、汗が額からポタリと落ち、遠くで蝉の声が響いてる。


ベンチに腰かけてスマホをいじっていた。


「ああ、やる気起きねえ……」



無意識に呟いた言葉に、自分でも呆れた。


俺の名前は武藤光。31歳独身のしがないサラリーマンだ。


今は17:00で業務中にも関わらず、特に何もせず時間をつぶしていた。


理由は決まっている、なんの予定も入っていないからだ。


だからといって事務所に戻ることはできない。どうせ早く帰ったところで上司にお叱りを受けるだけだ。


そういう営業は多いと思う。



「早く時間すぎねーかなー」


そう声に出してしまうほど、今は暇を持て余していた。


昔からこんなに無気力だったわけではない。



かつては仲のいい同級生たちと、小さなパソコン関連の会社を経営していた。


きっかけは、ゲーム仲間だった連中と、ふざけながら始めたプロジェクト。


気づけばいつの間にか、「これで食っていこう」と本気になっていた。


あの時は昼も夜も夢中でプログラムを組み、


突飛な発想をみんなで実現するために取り組んでいた。



あの時は本当に楽しかった。


だが、それも長くは続かなかった。


色々あって今は別の会社で営業として働いている。


周りの人たちは忙しそうに歩いているのに、


俺だけが取り残されたような気がした。



「もうそろそろ戻るか」


時計を見ながらそう言い聞かせて、スマホに目を戻そうとした時、


正面のベンチにスーツ姿の男が腰かけた。


暑そうに汗をぬぐって、お茶を飲んでいる。



あいつもサボりか?


やっぱりどこの会社にでもいるんだな。


気持ちは分かるよおっさん。俺もそうだからな。



なんとなく目の前のおっさんに親近感を持ちながら


会社に戻ることにした。


都内の駅近くのオフィス。


ここでいつも上司に怒られる毎日。


まあ仕事をほとんどしていない俺に、文句を言う資格はない。


さっさと日報を作り上げ、支店長に提出した。



「武藤君よお!今日も成果ゼロ!?一日中何やってるんだ!」


最悪だ。


今日は支店長の話が長そうだ。


怒られ慣れた俺には、


支店長の話が長いのか短いのか、だいたいわかってしまう。


こんな能力、何の役にも立たないが。


「すみません、本日はアポが取れていたお客様が体調不良でリスケになりまして」


用意していた言い訳を伝える。


これで許されないことはわかっている。


ただの社会人としてのマナー、最低限の報告だ。



「だったら違うお客さん取ってこいよ!今月まだ何も売れてないだろ!しっかり準備して、明日挽回しろ!」


「はい、申し訳ございません。失礼します。」


さて今日の仕事も終わりだ。


支店長が帰ったら俺も帰ろう。残念ながらもう支店長の説教など響かない。そんな気持ちはすっかりなくしてしまった。


「じゃあお先に」


30分後、ようやく支店長が退社した。


「うーん」


軽く伸びをして帰る準備を始める。


周りを見渡すと、もう俺以外誰もいなかった。


こんな会社に思い入れはない。生活のために働いているだけだ。


でも、誰もいないこの静かな雰囲気は嫌いじゃない。


ぼーっとしていたが、そろそろ帰ろうと思い席を立つ。


戸締りをしっかりして会社を出た。


現在俺は電車で数駅のところにあるアパートに独りで暮らしている。


彼女なんて、長いこといない。


まあ今は欲しいとも思わないが。



「ただいま」


そう言っても当然、返事は返ってこない。


ちゃっちゃと風呂に入り、コンビニで買った弁当を食べながら缶ビールをあおる。


真夏の暑い夜、冷えたビールだけは、いつ飲んでもうまい。俺の唯一の楽しみと言ってもいい。


「…次のニュースです。ヨーロッパの研究機関にて新たな量子のゆらぎ現象の観測に成功したとの発表がありました。」


ぼやけた画面の中で、アナウンサーが何かを読み上げている。

冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出して、ふたを開ける。


ぷしゅという小気味のいい音を立てたビールを一気にあおる


「量子……懐かしいな…」


ふぅっとため息をついた。


部屋にはテレビの光だけが差し込んでいる。

カーテンの隙間から入り込む月の光と、ひぐらしの鳴き声。何も変わらない、ありふれた日常。


……ただ、頭の奥で何かがずっと疼いていた。


「……まだ残ってたか?」



クローゼットの奥から、黒いケースを引っ張り出す。


蓋を開けると、銀色の金属製の装置――ヘッドセットと手のひらサイズのデバイス、そして専用のPC。見慣れた機械が現れた。



それは――かつて、自分たちが夢中になって取り組んでいたもの。


「記憶の保存……バカみたいな思い付きだったけど、気付いたらみんな夢中になってたな」


そんな俺の思い付きを、みんな真剣に議論してくれていた。



“人間の記憶や感情、思考パターンを、独自にカスタムしたヘッドセット型の脳波計で脳内をデータ化し、自作AIでそのデータを解析して、外部媒体に保存する”


確か、こんな理屈だった気がする。


最後まで理解はできなかったが、楽しかったことだけは覚えてる。



「完成はしたけど……結局試す前にみんないなくなっちまったな」


あの時の俺はみんながいればそれで良かった。


営業や交渉は俺の得意分野だったから、すべてやった。



そしてついに装置は完成した。装置だけは…


全員で喜べると思っていたが、完成とともに俺のチームは崩壊した。

仲間との衝突、事故、後悔。



「……そういえばテストすらしてなかったな。完成してすぐにそれどころじゃなくなっちまったし」


なんとなくコンセントにコードを繋ぎ、起動準備をしてみる。


微かに青い光が点滅し、小さく駆動音が響いた。


〈同期準備完了〉


ヘッドセットの電子モニターにそう表示される


「動いた……マジかよ」


苦笑しながらも、そっとヘッドセットに手を添える。


深呼吸一つ――装着してみる。


「……マジで動くのか?」


――カチッ。


スイッチを押した瞬間、電源が落ちた

装置は変わらず沈黙している。


……何も起きなかった。


「……ダメか」


結局失敗。あの時の5人で取り組んだ最後のプロジェクト。


それが今失敗に終わった。


「こんな失敗作のために俺たちは大喧嘩して、それから…」



…ケースの蓋を閉じる。

またひとつ、散った夢を箱にしまい込むように。


ソファへ沈み込み、天井を仰ぐ。



「なんでこんなことになっちまったんだろうな……」


まぶたが重くなる。


「….寝るか」


そうして俺は、ゆっくりと目を閉じた。


遠くで、ひぐらしの声が、ひときわ大きく響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る