(四)
原稿用紙を手にしてから一週間経ったが、あまり作品は進んでいない。いや、書き始めた段階で褒めてほしいのだが、博美も私もそれを話題に出さないのでそうはならない。自分はあの日の一週間後に見せるつもりだった。多分彼女も同様に考えているのだろう。
その推測は当たっていた。昼休みに博美が
「童話って書いてるの」
と私の進捗を話題に出した。
「うん、三枚目に入ったぐらい」
「え、わりとできてるじゃん。まだ一枚目の半分、いや、それ以下かと思ってた」
「それはナメすぎでしょ。まあ、書いてみると意外とね」
書いている時、四百字は少ないと感じた。小中学生時代とは書く内容が違うということもあるだろうが、不思議な気づきだった。
そういえば、読書感想文は苦手だった。本が読めないわけではなかった。読書自体が面白い時はあった。でも、感想を書くとなると、書けない。考えれば考えるほど、頭の中が水を沸騰させた鍋のようにぶくぶくと真っ白になっていく。なんとか書いた文章は、完成したと思っても、ただの要約文だった。
「内容はよく分かってるんだけどね」
と原稿用紙に赤線を引きながら母は言った。その台詞を受けてからようやく、感想が無いことを自覚した。そして、手伝ってもらいながら改稿していき、提出できるものを清書した。読書感想文は、私にとって一番めんどくさい課題だった。
そもそも、本を読んだ感想なんて一言で済むことだ。「好きだった」と「好きじゃなかった」のどちらか。感想だけで原稿用紙五枚分の文章を書けるわけがない。五枚分を埋めるためには、文字数を蛇足で稼がないといけない。しかし、要約ではいけない。改めて考えると、要求が難しすぎる。得意な人だけに書かせればいいのに。
「ねえ、できあがったら見せて。今は見せないで」
博美の声で、私の意識が過去から現在に戻る。まぶたが持ち上がる。私の視界はぐわと広がる。まぶしい。
「中途半端は嫌だから、ね、分かるでしょ」
「すぐできると思うよ。そんなに長い話じゃないし」
四百字は少ないと感じることと長く書けることは全く別だと思う。走ることが好きな人が永遠に走れるわけじゃないのと同じだ。限界が存在する。でも、楽しいから、短くても良いじゃないかと思う。この考え方では、宮沢賢治のようにはなれそうもない。
―――ボーン
チャイムを合図に、弁当箱を片付けていく。チャイムと弁当箱の関係は、先生と生徒の関係に似ている。「集合」と言っているのである。しかし、博美が「トイレに行く」と言って席を立ったので人間の方は解散する。
私は、今書いている物語の続きを考える。原稿用紙四枚か五枚で終わってしまうかな。次の授業の準備をしながら、考える。
―――ボーン
チャイムを聞いて、学級委員が号令をかける。誰かが今日もカレーを持ってきていた。教室にはその匂いが浮いている。そのせいで、今もまだ昼の時間であると私の脳みそは錯覚した。
私は、物語のことを考え続けていた。
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