綴括噺(つづりくくりばなし)
oira666
壱ノ綴冊 ──止まったままの約束
俺、霊感とか、そういうの、いっさい持ってない。
チート能力? んなもん、あるわけない。
俺は、どこにでもいる、ただの中二男子。
……の、はずだった。
お化けとか幽霊とか、怖いには怖いけど、少し慣れた。
はっきり見えるわけじゃない。
……けど、“気づいちゃう”瞬間は、ある。
変な空気とか、静けさがうるさい時とか、
誰もいないはずの空間の“息苦しさ”とか。
そして、俺がそういうのを察してしまうと──
あいつが、来る。
「……また、引き寄せたのね」
隣から、息を吐くような、温度のない声が──
廻禍 記(めぐりまが・しるし)。俺の幼馴染だ。
気づけば、並んで歩いていた。
いつからいたのか──わからない。
でも、そういうやつだ。
深い夜の色を湛えた紺のセーラー服。
風に揺れるスカートの裾が、どこか現実から浮いて見える。
長い黒髪も、そっと風に揺れていた
けれどその目は、遠くを見るように、静かで、深い。
そして、いつも通りの──無表情。
クラスじゃ
『あー、廻禍さんって“ヒト科”じゃないらしいよ』
『なんか、給食の“わかめごはん”と話せるんだって』
『目ぇ合うと、次の日、鼻血出るらしいよ〜』
くだらない冗談のつもりで言ってるんだろうけど、
あいつの机には、落書きひとつされてない。
怖がって、誰も触れようとしないだけだ。
……でも俺は知ってる。あいつ、たまにちゃんと喋る。
急所だけを、静かに刺してくるタイプ。
⸻
俺たちが向かっているのは──
通学路にある、小さな無人駅だ。
駅員はいない。改札も駅舎もない。
電車は一時間に数本。
降りる人の姿も、あまり見かけたことがない。
さびた手すり、剥がれかけた白線。
申し訳程度に設置されたトイレと、雨風しのげるかどうかも怪しい小さな屋根。
ベンチが二つと、使われているのかいないのかわからない古びた案内板が立っているだけ。
そんな駅が、俺たちの今日の目的地だった。
……あ、言い忘れてた。
俺の名前は、百々道馬 巌(どどどうま・いわお)。
中学二年。変な苗字だけど、名前以外は――
まあ、地味で目立たない、運動はそこそこ。
部活もやってないし、成績も……まあ、察してくれ。
──けど、
ある日を境に、“普通”は終わった。
⸻
その駅には、ここ数日、ずっと同じ“人影”がある。
ペンキが剥がれかけたベンチの端に、
同じ姿勢で、うなだれたまま動かない“誰か”が座っている。
最初は、通勤の人かなと思った。
でもさすがに四日も続くと、違和感の方が勝ってくる。
その“違和感”の正体を、記は言った。
届かなかった祈り。叶わなかった願い。
行き場を失い、この世に残ってしまった“想いの残骸”。──祈りのなれの果て。祈声(きせい)
俺が、そういうのに引き寄せられる体質で。
記(しるし)は、それを“静かに鎮める”役目らしい。
名も持たず、言葉にもなれず、ただそこに残された祈り。
それに耳を澄まし、名前を与えて、静けさに戻す。
あいつは、そうやって祈声を鎮めてきた。
今日もまた──
“誰かの想い”が、ひとつ場所にとどまっていた。
残されたまま、風をも立ち止まらせるほどに、
ふくらんで。
⸻
錆びた金属の柵をくぐって、ホームに出る。
背中のリュックが、いつもより重く感じた。
──そこに、やっぱり、いた。
ベンチの端。
夕陽に半分照らされながら、背を丸めたまま動かない人影。
「……いるな」
俺がそう呟いた瞬間──
そいつは、ハッと顔を上げた。
口を押さえ、目を潤ませながらこちらを振り返る。
少女漫画で“好きな人が現れた瞬間”の
ヒロインみたいなリアクションを全力でキメた。
……髭の濃い中年男が。
しかも、なぜか学生服を着ている。
(怖い……)
「来てくれたんだぁ……本当にっ……」
駅のベンチに何日も張りついてたその人(?)は、
制服の襟が少しヨレている。
「……やっぱり来てくれるって、信じてた……!」
………無視したかった。
記(しるし)を見て祈声の目が、ぐっと見開かれる。
「……っ……その雰囲気……
髪の揺れ方……影の輪郭……
まさか……君、あの時の……!」
始まってる……脳内再会劇が始まってる……
「いや違うかもしれないけど、でもなんか似てて!
しかもすごく可愛いし、たぶん、たぶん、
違っていても、もう……」
記(しるし)が、ほんのわずかに顔を上げる。
その表情は、いつも通りの無表情。
けれど、空気だけが、ひとつ変わった。
「……それ、誰にでも言ってるんですか?」
祈声は、笑いかけていた口元を止めて、うつむいた。
「……ちが……ごめん……今のナシで……」
もう、黙っててくれ頼むから……。
祈声は、ぽつりと話し始めた。
「……あのとき、ほんの少しだけ話したんだ。
名前も知らない、たった一度のやりとり。
でも、“またね”って、ここで言われて……
それだけで、ずっと、待ってた」
俺の隣で記(しるし)は、静かに鞄の中から
“綴冊(てっさつ)”を取り出した。
御朱印帳のような折り本。
ページは、薄く透ける和紙のように見える。
左腕に、包帯のような白い布を巻き、
ゆっくりと“綴冊”を開き、筆を手に取った。
けれど、まだ動かない。
彼女は祈声の奥にある“かけら”に、耳を澄ませている。
祈声は続けた……
「電車に乗る前、“またね”って此処で言われた。
軽く手を振って。
俺は、うれしくて、“またね”って返して……
それっきりだった」
「話したのは、一度だけ。名前も知らない。
でも、その一度が──俺には全てだった」
小さく笑って、夕暮れを見上げで呟いた。
「“またね”なんて、特別な言葉じゃなかったの
に……
俺には、奇跡みたいに響いたんだよなぁ」
記(しるし)が、筆を軽く持ち直す。
目は祈声を見ていない。けれど──
「……女々しい」
その声は、感情も起伏もない、ただの事実としての言葉だった。
祈声は、はっとして──そして、ふっと、笑った。
「ほんと、それな。わかってるよ、自分でも。
……それでも、信じたかったんだよな。
たとえ、女々しいって思われても……」
どこか、ほっとしたような声だった。
それは言い訳でも後悔でもなく、ただ、自分の中に置かれた本音。
俺は思わず口を挟んだ。
「……いや、うん、言い方ってもんがあるけど
な!?
でもまあ……正論」
「……正論、効くわあ……」
祈声がぼそっと言って、乾いた笑いがこぼれた。
俺は、何か言おうとしたけど言えなくて、
ただ、ひとことだけが口をついた。
「……そっか」
そのときだった。
記(しるし)が、筆を手に取る。
静かで、迷いのない動き。
最初から、その一手が決まっていたかのように。
「……でも、それは、あなたの物語です」
風よりも静かな声だった。
祈声は、一瞬だけ目を見開いて──そして、ふっと笑った。
「……あの子の言葉じゃなくて、俺の願望……か。
……ほんと、そうだな……」
それは言い訳でも後悔でもない。
でもその声には、救われたような響きがあった。
次の瞬間、筆が走る。
記(しるし)は目を伏せたまま、淡々と名を綴っていく。
──「綴括(つづりくくり)」
それは、残されてしまった祈声に“名”を与え、
神にも届かず、人にも忘れられた“想い”を、
静かに受け取り、名もなき想いを還す儀。
想いは名前を持ったとき、ようやく祈りとして納まる。
それがどんなに歪んでいても、悲しくても、
名づけることで、祈りは還る場所を見つけるのだ。
記(しるし)が口をひらく。
「“止まったままの約束”、綴括──
その祈り、名を持ちて、永劫の静寂へ。」
その言葉は、空気を切るように短く、
けれど、祈りをそっと見送るための言葉として、
確かに響いた。
風がふっと流れる。
駅の空気が変わった。
止まっていた時間が、やっと動き出したようだった。
ベンチのそばには、もう誰の気配も残っていなかった。
⸻
やっと俺の出番。
この時のために、俺はいつも、大きなリュックにいろんな物を詰めている。
雨が降ろうが槍が降ろう、なんでも来い!
そう思ってるけど、俺には綴冊の文字は読めない…
綴冊のページに、朱の文字がふわりと浮かび上がる。
記(しるし)がそれを見て、筆を止めたまま、
静かに読み上げた。
「奉綴──
あつもの、ひとつ。
風過ぐるを待て。
そして、“問うなかれ”」
祈りを鎮めたあと、その“名”にふさわしい形で
返礼する。神さまへの、ささやかな“ありがとう”。
それが──奉綴(たてまつりつづり)だ。
「……あつもの?」
巌は一瞬だけ眉を寄せて呟く。
「鍋とかじゃないよな……“あつもの”って、
アツアツおでん?……カップラーメン?」
記(しるし)はスルーして、当然のように俺の
リュックに手を伸ばしてくる。
「はいはい、どうぞどうぞ。って、あつものって
これで合ってんのか……?」
俺は慣れた手つきで保温ポーチを開け、
缶コーヒーを取り出す。
さっき詰めておいた未開封の一本。
缶の表面には、まだほんのりとあたたかさが残っていた。
記(しるし)はそれを受け取り、何も言わず、ホームの端まで歩いていく。
夕陽に背を向けて風に髪を揺らしながら、
まっすぐに立つ。記は動かない。
まるで、風が祈りをさらっていくのを待っているかのように。
祈りが遠くへ帰っていくための“余白の時間”。
長いようで、短いようで、
でも確かに、“ひとつの想い”がほどけていくのを感じた。
⸻
記(しるし)が戻ってくるころには、駅にはもう、
いつもの空気が戻っていた。
誰もいない、小さな無人駅。
夕陽が傾いて、風がすこし強くなる。
電車は、まだ来ない。
俺はベンチに腰かけて、深くひとつ、息をついた。
「……なあ、記。“またね”ってさ、言ったほうは──もう忘れてるのかもな」
記は少しだけ間を置いて言った。
「でも、言われた側は──覚えてる」
その声も、風に消えそうなほど静かだった。
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