先生の瞳が、わたしを知らないーわたしを知らない瞳に、何度でも恋をするー
長谷 美雨
第1話 この春も、先生の瞳はわたしを映さない(Side:美友希)
恋って、どうしてこんなに苦しいんだろう。
強く胸を締め付けてくるくせに、答えだけはどうしても教えてくれない。
教室の窓越しに、柔らかな光が揺れていた。
先生の瞳がわたしを知らないまま――春がきた。
春の朝は、少し冷たくて甘い匂いがする。
桜の花びらが制服の袖に落ちるたびに、わたしの心をそっと撫でていくような気がした。
わたしは、優等生って言われてるけど、それが先生に見つかる理由にはならない。
きっと、このまま見つからずに終わるだろう。
だから、卒業した後、何年経った後でもいい。
いつか先生に思い出して貰えるような、記憶に残る生徒でありたい。
そのために、今年こそはもっと“笑顔でいるわたし”を頑張れたら良いな、そう思ってる。
学校の最寄り駅には、同じ制服を着た生徒たちが溢れていた。
今日から新学期、また慌ただしくも賑やかな時間が始まる。
新しい時間の始まりは、いつも少しだけわたしを前向きな気持ちにしてくれる。
浮足立つ気持ちが抑えられず、学校へ向けて自然と駆け足になっていた。
坂を登りきった瞬間、思わず立ち止まった。
校門の向こう、満開の桜が風に揺れていて、
美友希「…この景色、まただ」
そう思っただけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。
昇降口前には、自分のクラスを探す生徒たちで賑わっていた。
わたしも、その後ろから自分の学年をA組からなぞるように、自分の名前を探した。
美友希「えっと、わたしの名前は…あ、あった!」
その時、
「美友希(みゆき)~!おっはよぉ~!!」
遠くからでも分かる、世界を一気に明るくするような、元気と可愛さの混じった声が響き渡る。
美友希「鈴音(すずね)、おはよ!」
鈴音「うちのクラスどこ!?美友希は!?美友希と一緒やないと許さへんで!!?」
美友希「うん!また同じクラスだよ!」
ハラハラしながら掲示板に目をやっていた鈴音は、わたしの言葉に一気に嬉しさを爆発させた。
鈴音「また同じクラス!?まっじで最高やんな!!」
そう言ってわたしに抱き着くと、声を弾ませて笑った。
わたしも「うん!」と笑い返す。
けど、わたしの心臓は、少しだけ鼓動が加速していた。
鈴音と一緒に教室に移動し、自席を見付けて座った。
窓際の一番後ろの席、そこがわたしの場所。
美友希「やった、また窓際の一番後ろだ。」
思わず心の中でガッツポーズをする。
少し空いた窓から吹き込む風が、冷たくも心地良い。
教室の中は、新しいクラスに緊張している声や、笑い声でいっぱいだった。
鞄を机の横にかけ、ふぅっと息を吐く。
さっきよりも更に鼓動が早まり、全身が脈打つ感覚になっていた。
キーンコーンカーンコーン
そのチャイムと同時に、
“―ガラッ”
勢いよく空いたドアに、クラスメイトの視線が一斉に向いた。
わたしも高鳴る鼓動を抑えるように、制服の裾を指で摘まんだ。
出雲「うーっす!2年B組の担任の出雲 大河(いずも たいが)だ!1年間宜しくなっ!」
と、元気いっぱいの声と爽やかな笑顔を見せる出雲先生。
わたしは少し気落ちしながらも、安堵感でいっぱいになっていた。
美友希(出雲先生って、話しやすいし明るくて楽しいし…うん、やっぱり大好き。だから嬉しいな。)
そう思っていると、鈴音がガタリと勢いよく立ち上がった。
鈴音「なんや!大河ちゃんが担任かい!!こりゃラク出来そうや!」
鈴音の軽口にクラスメイトが笑い声をあげる。
出雲「天之(あめの)、いきなり先生にケンカ売ってんのか!?油断してると課題増やすぞ!?」
と笑いながらツッコミを入れる。
そんな楽しく和やかな空気の中で、ふと、廊下に視線を向ける。
廊下の温度が、ほんの少しだけ下がった気がした。
視線の先、ゆっくり歩いてくる横顔は、相変わらず整っていた。
——氷瀬(ひのせ)先生。
美友希(氷瀬先生、A組の担任なんだ―)
そう思ったほんの一瞬、
氷瀬先生の視線がかすかにこちらをかすめた気がして、息が止まりそうになる。
でも先生の瞳は、すぐに前を向いて歩き続けてしまう。
美友希(……落ち着け、わたしの心臓!)
再び、鼓動を落ち着かせたくて胸を抑える。
でも、今回は直ぐに収まりそうにない。
その背中に「わたしを見て欲しい」って言えたら、どれだけ楽だろう。
でも言えない。
言った瞬間、わたしの恋が壊れてしまう気がするから。
出雲「じゃ、まずは必要なプリント配るからな。順番に回してけー」
出雲先生の言葉にハッとし、慌ててプリントを受け取った。
わたしは真っ先に“時間割”の紙に目を通した。
「英語担当:氷瀬」
美友希(やった!凄く、本当に嬉しい…)
美友希(また一年、先生の授業が受けられる!)
その文字を見ただけで、心臓が小さく跳ねる。
顔が熱くなるのを隠すように俯きながら、笑みがこぼれるのを止められなかった。
出雲「これから体育館で始業式だから、皆移動するぞー!」
出雲先生の声が響き、クラス全体が立ち上がりざわめき始める。
わたしも貴重品を持って立ち上がると、すぐ横に鈴音がぴたりと寄ってきた。
鈴音「ひのせっちが担任じゃなくて、残念やったな、美友希??」
とニヤニヤしながら囁いてくる。
美友希「ちょ、ちょっとっ!鈴音っ!」
顔が熱くなるのがわかって、慌てて鈴音の肩を叩く。
でもその笑顔の影で、わたしは小さく息を吐く。
美友希「…先生とわたしの距離は、クラス1つ分。それで、それくらいで良いのかもしれない。」
クラス1つ分。
それは、手を伸ばせば届きそうで、実際には触れることが叶わない距離。
鈴音「は?それ、どうゆう意味なん??」
眉間にしわを寄せる鈴音。
わたしは自分の気持ちを、冗談の中に沈めた。
美友希「…氷瀬先生を毎日間近で見るとか、わたしの心臓が絶対に持たない。」
鈴音「ん!?それって、担任がひのせっちちゃうだけで、美友希の生存率が上がるってことか!?」
鈴音のその言葉に、思わず吹き出してしまった。
廊下の窓からは風の流れに乗って飛んできた桜の花びらが、中庭にひらひらと落ちていくのが見えた。
わたしはそれを眺めながら、前を向いて歩き出した。
窓の隙間から、ピンク色の花びらが舞い込む。
新しい時間、新しい生活、何が起こるか分からないこれからが、始まろうとしている。
でも、わたしは知っている。
この春も、何度季節が巡っても、先生の「瞳」がわたしを映すことはない。
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