第9話 心が望み、そして躍るのならば、それは十分に冒険足りうる。
太陽が、稜線のようにも見える"壁"の縁を這い上がろうとしている。
"
そう、ここは巨大な建造物である"帰り路の塔"の内部だ。
であるにも関わらず、天を仰げば本来あって然るべき天井は無く、雲ひとつ無い青空が広がっている。
もはや誰も、その事について疑問を口にしなくなって久しい。
リーシャはご機嫌だった。
狼のようなフサフサの尻尾が、リズミカルにぴょこぴょこと左右に揺れる。
リーシャは日の光を浴びてきらめく銀色の髪を揺らし、石造りの水路脇に作られた手すりの上を、まるで細い丸太橋を渡るように歩いていた。
「水路は良い目印なんだ、二層の水路は場所が変わっても必ず壁から中心に向かって流れてる。流れの向きを観察すれば、どちらに向かっているかわかるんだ。ていうか、危ないから降りなさいリーシャ」
リーシャが半身をよじって振り返れば、後ろから少々口うるさい兄弟子が目くじらを立てている。足元に目をやれば、エンバもこちらを心配そうに見上げていた。
「はぁい」と素直に返事をして、リーシャは軽やかに手すりから降りた。
いけない、いけない。幾分はしゃぎすぎだ。そう自分でも思のだが、ソワソワと心が踊り出すのを止められなかった。
ギルド本部までの二日がかりの小旅行。
兄弟子ヨアヒムにとっては日常的なただの移動だったとしても、リーシャにとってはそうではなかった。
師匠が出掛けて以来、工房をほとんど出ることのなかったリーシャにとって、それはちょっとした冒険だった。
昨日、兄弟子が見立ててくれた新しい服を着て、工房の外、しかも街の外を歩く。それだけでも十二分に鼓動が高鳴るのだ。
少し遠出をするという事で、リーシャとヨアヒムは昨日のうちに、"
半袖でゆったり目の薄桃色のチュニック、リンネルをなめし革で補強した、丈夫なハーフパンツ。
コルセット型の革の胸当てに、道具袋が下げられる丈夫なベルト。
それに腰より少し長い、外套替わりにもなる丈夫な若草色のケープ。
あとは体に見合ったサイズの、ポケットのいっぱいついたリュックサックだ。
実用性と機能性で選ぶ兄弟子と、リーシャの好みが時折衝突し、洋服選びは難航したが、優しい兄弟子はリーシャの納得がいくまで一緒に探してくれた。
胸当ては背中側で革紐を結ぶ形になっていて、一人で着られないのが少し不満だったが、お気に入りのサンダルと同じく、胸元にお花の刺繍があしらってあるのがリーシャは気に入っていた。
昨日まで水路だったらしき小道には、水たまりがたくさんあり、建物から染み出す水が小川を作っている。
時折水鏡に映る自分の姿を見ては、リーシャはにへっと頬をだらしなく緩めた。
道すがら、ヨアヒムは建造物の歴史や地理的な知識を、あちこち指差しながら披露してくれた。
実のところ、本で読んで知っている事も多かったが、実物を見ながらの講釈は、五感を通した実感となって身体に染み込んでくるようで新鮮だった。
「疲れてないか? リーシャ」
「うん、ぜんぜん!」
ヨアヒムは半刻おきに小休止を取りながら道行を進めていた。
旅慣れていないであろうリーシャを気遣ったのだ。
リーシャにしてみれば目新しい外の世界への興味が先立って、その小休止ももどかしく思うほどだった。
それでも、ヨアヒムの気遣いがわからないほどリーシャは鈍感ではなかったし、足を止めていても折をみては様々な知識を披露してくれる兄弟子との時間は、リーシャにとって掛け替えのない楽しい時間だった。
「今日は"縦穴"までたどり着く予定だけど、思ったより早く着けそうだ」
「"縦穴"?」
「一層と二層を繋ぐ縦に伸びる回廊だよ。螺旋状の通路で螺旋の真ん中がポッカリ開いてるんだ。だからみんな"縦穴"って呼んでる」
そうなんだ、と頷きながら、リーシャはこれからの訪れる"縦穴"なる場所を想像してみる。
「あれ? "縦穴"は何度か通った事があるんじゃ無いのか?」
いぶかしむヨアヒムの言葉に、リーシャは自分の中に一層と二層を行き来した記憶が無い事に気づく。
リーシャ自身奇妙な違和感を覚えたが、「よくおぼえてないの」と気もそぞろに返事をするにとどめた。
今の高揚した気持ちに比べれば、些末な問題に思えたからだ。
二層はおおよそ廃墟の様相を呈している。
かつてはヒトの営みがあったと、想像に難く無い街並み。だが、"
街が動くようになって誰もいなくなったのか、誰もいなくなってから動くようになったのか。
それを知っている者も居ない。
ただ、かつてここに住んでいたであろう何者かが使っていた道具などは未だに見つかる。
正直それ以外に目立った発見がなかった二層は、次の層への通過点と認識されるようになり、詳しく調べようとする者がいないのだ。
と、ヨアヒムは少し得意げに講釈を披露した。
「それ、ヨアヒムの本に書いてあったね」
リーシャが隣りを歩くヨアヒムを見上げると、彼は頬を指でポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべている。
ヨアヒムは自分の本の話題になるといつもそうだった。
その話題を避けているようにも見えて、リーシャは大好きなのになぁ。と、いつも思うのだった。
三度小休止を挟んだ頃、これまで通ってきた入り組んでいて細い通路が途絶えた。少し開けた広場の先には、見上げるほどの壁が行く手を阻んでいるのが見える。
「行き止まり? だよ? ヨアヒム」
「いや、ここで良いんだ。仕掛けが効かなくなってるな、ギルドに報告しないと」
迷ったのかと少し不安になったリーシャはヨアヒムを見上げた。
几帳面な兄弟子は荷袋から何やら
兄弟子がいったい何をしているのか、気になったリーシャは背伸びをしてヨアヒムの手元を覗き込む。
そんなリーシャの様子に気づいたヨアヒムは、柔らかな笑みを浮かべて少し屈んで見せた。
手に持った羊皮紙の巻き物がリーシャにも見えるように開く。
パァっとリーシャの表情が華やいだ。
ヨアヒムはいつだってリーシャをのけ者にしなかった。
その在りようは大好きな師匠と同じで、リーシャはそれがとても嬉しかった。
ヨアヒムが手にしていた巻き物、それは地図だった。
そこには『効果切れ』と真新しく書き加えられた事がリーシャにも分かった。
だが、当然リーシャにはその意味がわからず難しい顔をして小首を傾げる。
「この辺りの壁にはちょっとした仕掛けがあってね」
クスリと笑みをこぼしながら、書き物を終えたヨアヒムは立ち上がる。
その顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
リーシャがきょとんとした表情を見せると、ヨアヒムは「まぁ見てて」と壁に手を伸ばす。
だがその手は壁に触れなかった。ヨアヒムの指先は壁の中に滑り込むように消えている。
「大丈夫なの? ヨアヒム?」
「平気だよ、リーシャもやってごらん」
差し出されたヨアヒムの反対の手に、リーシャはおっかなびっくり手を伸ばす。
ヨアヒムの手に引かれて壁に触れたリーシャの手が、壁の輪郭を通り過ぎて行く。一瞬ゾワリと全身の毛が逆立ったような感覚はあったが、ヨアヒムの言った通りなんとも無い。
「そこにないものをあるように錯覚させる魔法だよ。ほらここに……」
そう言いながらヨアヒムは頭を壁の中に突っ込むと、リーシャの手を引いて同じ様に壁の中を覗くよう促す。
「あった、ここ、刻印がある」
思わず瞑ってしまった目をおずおずと開けると、そこには薄暗い登り階段が伸びていた。
ヨアヒムが指す方へとリーシャが目をやると、かすかに光る文字のようなものが見えた。
「"幻惑"の刻印だよ。ギルドが"抵抗"の刻印を書き足して効果が出ない様にしてたはずなんだけど、消えかけてる。こういうのを見つけるのも俺たちの仕事なんだ。一応、応急処置しておくかな」
言うが早いか、ヨアヒムは目をつぶり刻印をなぞる様に手の平をかざす。
リーシャは、またゾワリとする感覚を覚えたが、ヨアヒムの動きを見逃すまいと目を凝らした。
わずかに光を増した刻印の少し左側でヨアヒムは指先で文字を記す様な動きをしてみせた。
もう一度ヨアヒムが手をかざすと、別の刻印がもう一つわずかな光を帯びた。
気が付けば階段に日が差している。
リーシャは慌てて首を引っ込めて外から壁を見直す。そこは最初から階段に続く通路だった様に見えた。
「すごい! ヨアヒム何したの!?」
「大したことしてないよ、消えかけてた"抵抗"の刻印に少しマナを補充だけだ。刻印自体は他の
少し照れくさそうに、しかし雄弁に兄弟子は質問に答えてくれる。
「さっきのヨアヒム、師匠みたいだった!」
「おだてても何も出ないぞ、それに今のぐらいリーシャにもすぐできる様になるさ」
興奮気味なリーシャの言葉に、ヨアヒムは照れくさそうに視線を逸らした。
あれが自分にもできる、それはとても素敵な響きだった。リーシャは思わず詰め寄るように近づいてヨアヒムを見上げる。
「ほんとっ!?」
「あぁ、本当さ。リーシャ、"幻惑"の壁に手を入れた時、ゾワッとしたろ? それはつまりマナの働きを感じ取ったってことだ。それはとても大切な素質の一つなんだよ」
壁の仕掛けを補修しながらも、リーシャの様子にまで気がついたこの兄弟子はやはりすごいとリーシャは思う。
何がどうすごいのか? と問われれば上手い答えが見つからないのがもどかしい。
「そうなんだ! でも、なんでリーシャがゾワゾワしたってわかったの?」
「なんでって、耳も尻尾も逆立ってたから」
ヨアヒムはくすくすと笑いながら先に階段を登り始める。
見透かされた様でなんだか気恥ずかしくなって、むぅぅと声を漏らしながらリーシャも後を追った。
建物にすれば三階分ぐらいの長さを登ると、見晴らしの良い高台に出た。
ヨアヒムが言うには、ここは壁の屋上に当たる場所らしい。
左右を見渡せば、それはぐるりと弧を描く様に続き、その端は霞んで見えない。
「ここが通称"内壁"だ。ここまで来たら今日の行程は半分消化したかな」
壁の上を吹く抜ける風に乱れる髪を押さえながら、隣を歩くヨアヒムが独りごちた。
そろそろレイラ謹製のお弁当を広げようか、とヨアヒムが提案しようとしたその時だ。
リーシャの耳がピクリと動いた。
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