帰り路の塔の魔法鍛冶師《マギアスミス》〜リーシャとヨアヒムの退屈しない日常〜

咲良風鎮

第1話 出会いとは得てして理不尽なものである。

 それ・・が人々の記憶にとどめ置かれるようになったのはおよそ五百年ほど前の事。

 当時はまだ小国だった大陸北方の大国セルベニア王国の歴史書を紐解けば、それ・・は一夜にして姿を現したと言う。


 外周約六ファルラングの円筒状の城壁のように見える壁。

 その高さたるや百ラングは優に超え、周囲のどの人工物よりも高くそびえ立ちその威容を示していた。

 壁には正確に北を向いた巨大な門らしきものがあったが、その扉は固く閉ざされ何人の侵入も拒んでいたと言う。

 突如として現れ、人の手で作られたとは到底思えないを人々はただザ・ウォールと呼んだ--


--著:ヨアヒム・チューダー『"帰り路の塔"開拓史にまつわる諸々』より抜粋







「なんだって俺がこんな目に……」


 青年は今日何度目になるか、もうわからないほど吐いた言葉をつぶやいて、赤錆色の髪をワシワシとかき乱した。

 歩き通しでくたびれた身体に鞭打って背筋を伸ばせば、伸びすぎて視界にかぶる前髪の向こうに小高い丘が見える。

 その頂上にたたずんでいるのは古びた、だが作りのしっかりとした建物が一つ。

 母屋と特徴的な煙突を備えた離れからなる、やや背の高い平家のそれは工房アトリエだった。

 魔法鍛冶師マギアスミスの工房だ。

 そこは青年にとって特別な感慨を抱かせる場所だった。

 さもあらん、数年前までは青年もそこに住んでいたのだ。


 懐かしい--。


 そういう感情がにわかに湧き立つ。

 馴染みのある自然石を積んだだけの不揃いな階段が、緩やかな坂を這うように蛇行して伸びている。

 心地よい風が吹き抜け、額に浮いた汗をさらって行った。けれども、青年の気持ちは少しも晴れない。

 そこに向かわねばならない理由が、青年の気分も足取りも重くさせていたのだ。


 緩やかに続く階段をようやく登りきった青年の目に、かつては慣れ親しんだ景色が映る。

 振り返れば、丘の下に彷徨う街ベイグラントが一望できた。

 その景色はまたやはり懐かしく、青年はわずかに頬を緩める。


 しばしの間、感慨深げに眼下の街並みを眺めた後、青年は気持ちを切り替えるように小さく息を吐き、肩の力を抜くと再び振り返った。


 --妹弟子……ね、どんな奴なんだか。

 

 重い足取りを進めるごとに近づいてくる見知った工房の姿に、青年は自分がここを訪れる原因になった人物に思いを馳せた。

 そうなのだ。

 青年はある人物に会うためにこの場所を訪れた。だがその人物を青年は知らない。まったくもって、気の乗らない訪問だった。



 重い気持ちを引きずるようにして、ようやく玄関先にたどり着いた青年は、腰ベルトにつないだいくつかの道具袋の一つに手をつっこむ。

 しばしゴソゴソとポーチの中を探り、やがて鈍色にびいろの鍵を取り出す。

 工房の合鍵だ。

 それを玄関扉の鍵穴に差し込み、おもむろに回す。

 ガチャリと重い手応えと共に鍵が開いたその刹那、何か思い出したかのように、青年は手を止めた。


「勝手に入るのはやっぱり不味い……のか?」


 独り言ひとりごちるように唸りながら、青年は顎先に片手を当てて思案し始めた。

 伏せ目がちに思案顔を作った青年は、玄関扉の傍、しっかりと閉ざされた丸い窓に掛かるカーテンがわずかに揺らいだ事に気がつかない。


「あー、えっと、ごめんください? いや、なんか違うな……」


 口にしかかった言葉に、どうにも違和感を感じて青年は口ごもる。

 かつては自分も住んでいた家だ、孤児だった青年にしてみれば、そこは実家のようなものなのだ。それを訪ねるには他人行儀にすぎる気がした。

 だが師の元を離れて数年、もう自分の居場所ではないという思いもある。まして、今は顔も知らない妹弟子が住んでいるとあってはなおさらだった。


 --きちんと名乗って訪ねるのが筋か? こんな時なんて言えばいいんだっけ?


 青年はブツブツと繰り言のように考えを吐き出す。

 しばしの思案の末、青年は口を開いた。


「えーっと、巨匠マエストログラハム・エィンズロック、あ、いや、? 八番目の子弟ヨアヒム・チューダーと申す者です?」


 口をついて出てきたのは、まったくもってひどい口上だった。慣れないことはするものではない。青年は顔が火照るのを感じながら、玄関扉の向こうの反応に注意を向けた。

 だが、人の気配は感じるものの、応答はない。


 --もしかして呆れられてる?


 先ほどのひどい口上が脳裏をよぎる。

 羞恥心と、今こんなことをしなければならなくなった理由について考えが至ると、沸々と怒りがこみ上げた。

 限界だった。


「あああああーーーーーーもうっ、なんだって俺がこんな面倒ごと引き受けなきゃならないんだ!」


 先程ヨアヒムと名乗った青年は、堪えてきた怒りを大音声と共に爆発させた。

 工房の中にいるらしい、会ったこともない妹弟子にも、もちろん聞こえているだろうが、それが一体なんだと言うのか。

 そんな居直りを決め込んでしまえば、もはや歯止めは効かない。


「だいたい全部あの阿保師匠のせいじゃないか、天才は変人が多いって言うけど程があるぞっ! 新弟子取ってすぐにほっぽり出して放蕩するとかやっぱり鍛冶以外のことに関してはからっきしの馬鹿か? 馬鹿なのか? それに『行き先は六層だ』だぁ? 六層どんっっだけ広いと思ってんだよ阿保かっ!? せめて連絡取れる行き先告げて出るもんだろっ!」


 当の本人はいないと言うことはわかってはいても、決壊してしまった感情のつつみはもう元には戻らない。

 ヨアヒムの溜まりに溜まった鬱憤うっぷんは濁流のごとく盛大に吐き出された。

 だから気がつかなかったのだ。

 工房の堅いかしで出来た玄関扉の奥で静かに立ち上る怒りに。


「それになぁっ!」


 ヨアヒムが更なる怨嗟の声を振り上げようとしたその時だ、工房の玄関扉がバアンッと激しい音を立てて内から開いたのは。


「……へ?」


 呆気にとられた表情のまま、ヨアヒムが目にしたのは少女だった。

 年の頃は十を数えるかどうかと言ったところか。随分と幼い印象を受けたが、その整った目鼻立ちはきっと美人になる。そう思わせる少女だった。


 漠然と、いささか場違いな感想を抱いたヨアヒムを、眉尻を釣り上げたその瞳がめ付けている。

 ヨアヒムがどれほど鈍感でも、彼女が怒り心頭の絶頂にある事はすぐに理解できただろう。

 硬く握り締めた小さな拳はワナワナと震え、獣のようなフサフサとした耳と尻尾がこれでもかと言うほど逆立っていた。


 --あの耳、それに尻尾。あれは確かフォルマ族の……。


 突然姿を現した少女に呆然としながらもヨアヒムは目にしたものを理解しようとした。


「ししょーの……」


 だからだろう、その特異な容姿に気を取られたヨアヒムは、少女の呟くような声を聞き逃してしまった。


「……え?」

「ししょーの悪口言うなぁぁぁぁぁっ!」


 思わず聞き返したヨアヒムが聞いたのは少女の爆発した感情だった。

 うっすらと涙をためた青い瞳がヨアヒムを鋭く射抜いている。


「エンバっ!」


 少女はを叫んだ。

 それが何であるか、ヨアヒムはすぐに理解することになる。

 ゆっくりと少女が片腕を挙げる様が、ヨアヒムの瞳に映った。

 するとどうだ、少女の傍に一瞬光がまたたいたかと思うと、青白い燐光をまとった狼が現れたのだ。唸り声をあげ今にも襲いかからんばかりの様相で。

 ヨアヒムの背筋を嫌な予感が駆け上がる。


「ちょっ、待っ、話を……!」


 慌ててヨアヒムは声を上げる。だが無情にも、少女は最早聞く耳を持たないようだった。


「しらないっ! 行ってっ! エンバっ!」


 叩きつけるような号令と共に、少女の華奢な腕が振り下ろされる。

 その声に応じるように、エンバと呼ばれた青白い燐光を放つ狼は、射られた矢のように飛び出した。


 瞬く間に眼前に迫った巨狼の姿に、ヨアヒムは思わず後ずさり、そしてみっともなく尻餅をついた。

 迫る獣の顎門あぎとに、もつれる足でなんとか立ち上がり、転げ回りながら逃げ惑う。


 --なんで俺がこんな目にっ!


 嫌気がさすほど繰り返した言葉で悪態をつきながら、ヨアヒムは何故こんなことになってしまったのかを思い返していた。

 それはそう、あの日から始まったのだ。

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