第二話 【己の力】
______「まだ起きないのね...。」
そんな一言でシルフは目を覚ました。彼が認識した色は最後に見た汚れた灰色では無く。綺麗に管理された人工の白。つまりは自分が建物の中にいる事を意味する。
一体何故、誰が、どうやって。グルグルと思考を巡らせて行る最中、聞き慣れた声が再び耳に届いた。
アリス「おはよう。身体はどう?」
シルフ「ア、アリスさん...?どうやって運んだんですか...?」
アリス「ちょっと別の先生を呼んで運んで貰ったの。それより、身体。まだ痛む?」
シルフ「え、あ、痛くない。」
アリス「良かった。先生に直して貰ったのよ。」
そう言って少し微笑むアリスの表情が、今のシルフには女神に思えてしまう。いつの間にかベッドで寝かされていた自分の頭の方に腰掛ける彼女の姿が目に焼き付いてしまうのだ。
元々アリスの事は顔の良い才女としか思っていなかったためか、いざ関わると性格も良く、ここまで完璧な人間が存在しているのかと思ってしまう程。
アリス「だ、大丈夫?私の方見詰めてばっかりだけど。」
シルフ「あ、大丈夫です。すみません。」
アリス「そう、なら別に良いんだけど。それより...貴方に聞きたい事があるの。」
シルフ「聞きたい事?」
聞きたい事、何か当てはまる事はあるだろうか。取り敢えず色々振り返ってみても、教室の窓際で本を読んでいた事とボコボコにされた記憶しか無い為に何も思い当たらない。
困惑する此方の心情を察したのか、彼女は短く息を漏らしてから彼に告げた。
アリス「その顔、何にも当てはまりませんけど、って顔よね。」
シルフ「...はい。」
アリス「自覚無いのね...そう。」
シルフ「こ、怖いんですけど。」
やや怯えるシルフと対照的な態度を取るアリス。その態度にシルフは身構える。後に一呼吸置いて、アリスは言った。
アリス「貴方、何で古代魔法を使えるの?」
彼女の発言にシルフは戸惑った。自分が使っていたのは古代魔法だったのか、だとしても何故彼女がそれを知っているのか。それを説明する様にシルフは言葉を出す。
シルフ「えっと、魔法は全部本で習得して、学校の授業じゃ分からなくて、その、独学で...」
アリス「あー、そうね。一旦落ち着きましょ。急に話してごめんなさい。じゃあいくつか質問して良い?」
シルフ「はい、」
そして始まる一問一答。
アリス「まず、古代魔法について何か知ってる?」
シルフ「いえ...何も。」
アリス「じゃあ、いつからその鎖を出す魔法を使えるの?」
シルフ「き、気付いたら使えてました。」
アリス「魔法のコントロールはどうしてるの?」
シルフ「僕が普段読んでる本で何とか覚えたって感じです。」
アリス「他の魔法は使える?」
シルフ「使えなくて...使おうとしても反応が薄いみたいな...。」
知りたい事を全て聞き終えたアリスは彼に感謝の言葉を述べた後、顎に手を当てて今伝えられた情報を脳内で整理し始める。
一方のシルフは、自分がもしかしたら古代魔法を使っていたのかもしれないと言う高揚感と、下から見てもアリスさん綺麗だなと言う邪な感情が脳を占めていた。
その間、ほんの数秒。アリスは脳で纏めた事をシルフに言葉で説明し始めた。
アリス「えっと、まず貴方は自分が古代魔法を使っている事を知らなかった。それに古代魔法と言うのに気付いたら習得して、その習得した魔法のコントロールは貴方が普段読んでる分厚い本で知った。
つまり、少なくとも貴方が使える古代魔法の事が、あの分厚い本に書かれてるって事?」
シルフ「多分...はい。そうです。」
アリス「貴方、そんなとんでもない代物よく持ち歩けるわね。」
シルフ「何か分厚い本が家にあったから面白そうだなって...。」
アリス「そんな小説みたいな感覚で持ち出して良い物じゃ無いでしょ、それ。」
どうやら自分は、とんでもない代物を持っていたらしい。少し自分に自信が付いた様な気がしなくも無いが、恐らくそれは虚構だろう。劣等生の自分に、自信など必要無い。
そんな虚しい心情を紛らわす様に、シルフはアリスへ別の話題を振る。古代魔法の事とは一切脈絡の無い話題なのだが、意外にもアリスが会話をしてくれた為にそのまま会話を続けた。
シルフ「アリスさんって本当に多彩ですよね。」
アリス「そう?」
シルフ「はい、羨ましいです。顔も良くて、頭も学園で一番良くて、性格も良くて...」
アリス「ふふっ、ありがと。そんなに褒めてどうしたの?惚れた?」
シルフ「えっ、いや...別に。」
姿勢を座り直して彼女と会話をする中で、自分でも驚く程分かりやすい反応をしてしまったが、アリスは何も気にしていない様で平然とした態度でクスクスと笑みを溢すだけだった。
その反応に少し安堵しつつも、今までして来なかった胸の高鳴りに動揺してしまう。しかし、その動揺はすぐに別の話題によって落ち着きを取り戻した。
アリス「天才って言われるけど、私魔法使えないのよね。」
シルフ「えっ!?使えないんですか!?」
アリス「ええ、やっぱり驚くわよね。」
シルフ「何でこの魔法学校に...?」
アリス「ただ名門校に行きたかったの。それに別に入学するのに魔法が使えるか否かは問われて無かったから頭脳だけで入った結果、ちょっと浮いちゃったのよね。」
やはり天才は凡人の自分とは違うと実力の差を思い知らされるが、それ以上に彼女が魔法を使えない事の驚きの方が強かった。
忘れているが、此処は保健室。しかし保健室の中でこんなにも長い会話をすると言う、憧れた青春を味わっているシルフの顔には徐々に表情が戻りつつある。
このまま時が止まってしまえば良いのに、と願ってしまう程に幸せな空間。しかしそんな願いは叶わない。
次なる出来事が二人を襲ったから。突如として、保健室に響く三回のノック。
アリス「ん?」
シルフ「ど、どうぞ。」
彼の言葉に呼応する様に開かれる扉。シルフの幸せな空間の割って入る様に扉から現れたのは、一つの影。
?「失礼しまぁす。」
穏やかな印象を与える声と共に見えたのは、純白とも言える美しい白髪。年老いて映える『白髪』とは違う、純粋な白である。その髪が保健室に徐々に全容を現す様にやがて二人の視界へと姿を映す。
純粋な白髪を後ろで結い、高い身長に映える整った矯正な顔立ち。緑色の瞳を支える様にして、顔には丸い眼鏡が掛けられている。如何にも女子生徒から人気のありそうな男性であった。
その男はシルフを見るなり、予測通りと言った様子でニヤけた表情を浮かべながら彼に問い掛けた。
?「君かい?劣等生と呼ばれていた生徒は。」
シルフ「あ、はい...。」
アリス「ちょっと、その言い方は無いでしょ。」
?「あー、いやいや。すまないね。彼氏に無礼を働いてしまった。」
シルフ「かっ、彼氏!?アリスさんのっ!?」
アリス「そんなんじゃ無いわ。てか貴方は誰?」
冷静なアリスの問いに、男はハッとした様に眉を上げてから再びニヤけた表情を浮かべる。このニヤけ笑みがデフォルトの表情なのだろうか。
ゼイ「自己紹介がまだだったね。私はゼイ。βグループにて、神話学を担当している教師だ。君は私の担当では無かったね。通りで出会わない訳だ。」
アリス「先生が直々に何の用?」
ゼイ「そうだね、君だ。君に用がある。」
シルフ「っ...?」
ゼイ「先程の授業を校舎の窓から見ていてね。君の扱う魔法が古代魔法に酷く類似している物だから気になって後を追って来たんだ。」
そう言ってシルフを指差すゼイ。自分に何の用だろうか、と不安に思うシルフを余所に、ゼイは彼に真実を告げる。しかも、それはシルフにとって身体に電撃が走る程の物だった様で。
ゼイ「単刀直入に言おう。君は劣等生では無い。むしろ、優等生だ。」
シルフ「え...?」
一瞬、シルフはゼイが何を言っているのか分からなかった。散々「劣等生」や「落ちこぼれ」と罵られて来た為に、今更君は凄い等の言葉を信じる事は難しい。
しかし、先程のアリスの言っていた『古代魔法』なる物を自分が使っていた事、今現在ゼイと言う教師から出た「優等生」と言う言葉。
その言葉が徐々に真実の意味を帯びて来ている事を実感しつつある。そのシルフの実感を後押しする様にゼイは話を続ける。
ゼイ「私の担当は神話学。その神話と古代魔法は密接に関わっていてね、少し知識も持ち合わせているんだ。だから分かる。君の扱う古代魔法はとても高度な物。だから気になるんだ。君の事も、君の扱う古代魔法の事も。」
シルフ「な、なるほど...」
ゼイ「そこでだ。今日の放課後、君と少々話をしたい。良いかな?」
彼の問いに断る理由も無いので、了承の返事をしようとした時。彼の問いに次いで新たな問いも呼び掛けられる。
アリス「私もシルフに用があるの。此処で対立するのもアレだから、シルフに決めてもらいましょ。」
穏便に解決しようとするアリス。しかし彼女の意見にゼイが食い付いた。
ゼイ「すまないね、アリスくん。私の場合緊急なんだ。まぁ暇自体はあるのだが、折角ならすぐにでも話がしたい。君がシルフ君に話す用は明日でも良いかい?」
アリス「そんな長話するの?でも残念な事に私の用は話すだけじゃない。」
ゼイ「ほう、その用とは?」
アリス「部屋に泊まってもらうの。」
シルフ「はっ___」
彼が驚愕の声を漏らそうとした瞬間、アリスは隣に座るシルフの背中に後ろに回した人差し指で文字を書く『し、ず、か、に』。どうやら声を発するなと言う事らしい。
一方のゼイは唐突に放たれた言葉に動揺した様子を見せたが、アリスとシルフの2人を見詰めた後に短く息を漏らして答えを出した。
ゼイ「ふっ、そう言う事かい。ならば言ってくれれば良かったのに。流石に生徒同士の青春を邪魔する訳にはいかないからねぇ。じゃあ私の出る幕は一旦下ろそうか。では、また会おう。シルフ君にアリスくん。」
飄々とした言葉を最後に、彼は保健室から姿を消した。廊下には彼の去る事を暗示する革靴の音が規則正しく響く。シルフを取り合っての攻防戦。勝者はアリスの様だ。
ゼイが去った事を遠ざかる足音によって感じ取ったアリスは深い溜息を吐く。一方、隣に腰掛けるシルフは溜息なんて吐いていられない状況の様子。むしろ見た目ではヘ平静を装っているが、身体の内では鼓動の速度が増して身体が火照って行くのが分かる。
どうやらその装いは徐々に崩れている様で、隣から、ふっ、と吹き出す音が聞こえた。
アリス「ふっ、お泊りって言葉に反応したの?」
シルフ「...はい。」
アリス「あら正直。まぁ元々する気は無かったんだけど...」
その言葉の後は一拍区切られる。妙に緊張感を持たせる空間だが、その緊張感はシルフにとって次に来る衝撃に備えさせる為の時間であったと思い知らされる事になる。
アリス「本当にしちゃう?お泊り。」
シルフ「ほ、本当にするんですか!?」
アリス「嫌なら良いんだけど、期待させといて裏切るのは違うかなって思ったから。私は別に良いのよ、部屋に何かある訳じゃないし。ただ貴方がどうかなって。」
隠せない動揺を態度に出して、つい考え込んでしまうシルフ。個人的に生きたい気持ちは溢れて止まないが、もし仮に部屋に泊まった場合アリスが他の生徒から何か言われる可能性が拭えない。
しかしそれはそうとして行きたい。理性を生かすか、欲を生かすか。その答えは十数秒悩んだ後に口から紡がれた。
シルフ「...お願いします。」
欲を生かした。
アリス「ふふっ、そう言うと思ったわ。じゃあ今夜ね。待ってるから。」
私利私欲の塊の返事をしたシルフをアリスは平然と受け入れた。普通対して仲良くも無い異性と一つ屋根の下でお泊りなんて状況、普通の女子生徒は嫌がりそうな物だがアリスは違うのだろうか。
そんな妄想をしている内に、自身の隣に掛かっていた重さが消える。
アリス「じゃ、また夜ね。」
シルフ「は、はい!」
彼に向かって手を振った彼女は保健室のドアをスライドして開けた後に、もう一度シルフと視線を合わせて部屋を出て行ってしまった。
彼女の後ろ姿を見送るシルフの鼻腔には、彼女が残した残り香が微かに感じられる。柔らかな甘美な香り。その香りは感じるだけで身体が軽くなった様な感覚がする。
更に、確定となったアリスとのお泊り。同性ましてや異性の人間とさえ話した事が無い自分には荷が重い経験なのだが、同時に優越感も感じられる。
今まで自分を小馬鹿にして来た人間は、まさか学園のマドンナと二人きりで泊まる経験なんてした事が無いだろう。それに比べて自分は劣等生のクセにアリスとお泊り。何とも言えない高揚感がシルフを包んだ。
シルフ「夜...何時くらいに行けば良いんだろ。」
ふと、時間を確認する為に部屋の壁に掛けられた時計を見る。その時計が差していた時刻はなんと17:00。とっくに授業なんて終わっている。
きっと自分は相当な時間寝てしまったのだろう。まぁあれだけの傷を身体中に負ってしまえば、長時間寝る事は必然的だろう。しかし自分が相当な時間寝ていたとするならば、アリスはその時間ずっと隣にいた、と言う事なのか。
シルフ「アリスさん...」
彼女に対する想いが募って行く。アリス、なんて不思議な女性なんだろう。
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