第17話:『女神様と歩む異世界は、これからも祝福と騒動まみれ!』


最初に感じたのは、柔らかな光だった。

無理やりこじ開けられるような、暴力的な光ではない。閉じた瞼の裏側から、じんわりと、温かく、優しく、世界が色を取り戻していくような、そんな心地よい光。

次に聞こえてきたのは、遠い、喧騒の音。活気のある街のざわめき、馬車の蹄の音、そして、どこからか聞こえてくる、教会の、穏やかな鐘の音。

俺、佐藤ユウキは、ゆっくりと、目を開けた。

視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど、豪華な天蓋だった。金の刺繍が施された、深紅のビロード。ふわりと体を包み込むシーツは、雲のように柔らかく、部屋には、嗅いだことのない、甘く、清らかな花の香りが、満ちていた。

(……ああ、そうか。俺、戦って、それで……)

魔神との、最後の戦い。虹色に輝いた、聖剣の光。そして、腕の中で、最後に聞いた、愛しい人の、声。

全ては、夢ではなかった。

俺は、ゆっくりと、体を起こそうとした。その時、自分の右手に、柔らかな、温もりがあることに気づいた。

見ると、俺の手は、誰かの、白魚のような、美しい手によって、固く、固く、握りしめられていた。

その手の主は、俺のベッドの脇に置かれた椅子の上で、体を丸くして、静かな寝息を立てていた。

流れるような、プラチナブロンドの髪。

長い睫毛に縁取られた、閉じた瞳。

少しだけ、あどけなさの残る、その寝顔。

俺が、この世界に来て、一目惚れした、俺の、たった一人の、女神様。

ソフィアだった。

彼女は、俺が眠っている間、ずっと、こうして、俺の手を握りしめて、そばにいてくれたのだろう。その、あまりにも愛おしい姿に、俺の胸は、熱いもので、いっぱいになった。

俺は、空いている方の手で、彼女の、その柔らかな髪を、そっと、撫でた。

「……ん……」

その、わずかな感触に、彼女の睫毛が、ふるりと震えた。

そして、ゆっくりと、その、夏の終わりの湖面のような、深く、美しい、青い瞳が、開かれた。

最初は、ぼんやりとしていたその瞳が、ベッドの上で、体を起こしている俺の姿を、はっきりと捉えた、瞬間。

その瞳が、これまでに見たことがないほど、大きく、大きく、見開かれた。

「…………ユウキ……?」

彼女の声は、掠れていた。

そして、次の瞬間。

彼女の、その美しい瞳から、大粒の涙が、堰を切ったように、ぽろぽろと、こぼれ落ち始めた。

「……! ユウキ! 目が、覚めたのですね……! よかった……本当に、よかった……!」

彼女は、もう、女神の仮面など、つけてはいなかった。ただ、愛する人の目覚めを、心の底から喜ぶ、一人の、恋する乙女の顔で、俺の胸に、飛び込んできた。

俺は、その、華奢で、温かい体を、力強く、抱きしめ返した。

ああ、帰ってきたんだ。俺は、この腕の温もりのために、戦ったんだ。

その時、部屋の扉が、凄まじい勢いで、バンッ! と開かれた。

「ユウキが、目を覚ましたって、本当か!?」

「師匠! ご無事でしたか!」

「聖勇者様! お目覚め、おめでとうございます!」

「ユウキ! 心配したんだからね!」

「ユウキさん……! よかったです……!」

仲間たちが、全員、なだれ込むように、部屋に入ってきた。

その顔は、皆、涙と、鼻水と、そして、満面の笑みで、ぐちゃぐちゃだった。

俺は、泣きじゃくるソフィアを抱きしめたまま、そんな、どうしようもなく、愛おしい仲間たちの顔を見て、最高の笑顔で、言った。

「おう。ただいま、みんな」

俺が、完全に回復してから、数日後。

俺たちは、再び、王城の、あの壮麗な謁見の間に、立っていた。

国王陛下は、改めて、俺たちに、世界を救ったことへの、最大限の感謝の言葉を述べた。そして、前回以上の、破格の褒賞を、俺たちに、提示してきた。

「ユウキ殿。貴公には、公爵の位と、この国で、最も豊かだと言われる、南方の領地を与えよう。そして、他の仲間たちにも、それぞれ、伯爵の位と、望みの褒美を、与えるつもりだ」

公爵。領地。

普通なら、狂喜乱舞して、受け取るべき、栄誉だろう。

仲間たちも、固唾を飲んで、俺の決断を見守っている。

だが、俺の答えは、決まっていた。

俺は、国王陛下に向かって、深々と、頭を下げた。

「陛下。その、あまりにも、もったいないお申し出、心から、感謝いたします。ですが、どうか、お許しください。俺は、公爵になる器じゃありません。俺は、ただの、冒険者です」

俺は、顔を上げた。そして、隣に立つ、俺の、愛する人を見た。

「俺は、これからも、みんなと、そして、ソフィアと一緒に、この、広い世界を、旅して、回りたいんです。それが、俺の、たった一つの、望みですから」

俺の言葉に、国王は、驚いた顔をしたが、やがて、深く、深く、頷いた。

「……そうか。君らしい、答えだな。分かった。君の、その高潔な意志を、尊重しよう」

謁見の後、俺は、エリザベート王女に、呼び出された。

王城の、美しい庭園。色とりどりの薔薇が、咲き誇っている。

「……振られちゃった、わね」

彼女は、少しだけ、寂しそうに、笑った。

「でも、見てて、分かったわ。あなたと、あの、ソフィアとかいう人の、絆の深さには、今の私じゃ、到底、敵わないって」

「エリザベートさん……」

「でも!」

彼女は、くるりと、こちらに向き直った。その瞳には、もう、涙はなく、いつもの、快活な、ヒマワリのような光が、宿っていた。

「これで、諦めたわけじゃないんだから! 私は、もっと、もっと、いい女になって、いつか、絶対に、あなたを、ソフィアさんから、奪い取ってみせるわ! だから、覚悟しておきなさい!」

彼女は、そう言うと、俺の頬に、ちゅっ、と、軽いキスをして、軽やかに、走り去っていった。

良き、ライバルの、誕生だった。

その数日後。

世界を救った英雄たちを、そして、平和の訪れを祝う、盛大な、祝勝の宴が、王城で、開かれた。

大広間には、王国の重臣たちだけでなく、俺たちが、これまでの旅で出会った、懐かしい顔ぶれも、招待されていた。

アルカディアの、ギルドの受付嬢、ミリアさん。水の都アクアリアの、商人たち。鉱山の村ダストピットの、村長さん。みんな、俺たちの活躍を、伝え聞いて、駆けつけてくれたのだという。

そして、その宴は、もちろん、ただでは、終わらなかった。

これまでの、俺たちの旅の、集大成とでも言うべき、最後にして、最大の、大ドタバタ劇が、繰り広げられたのだ。

「おお! こちらの、隣国の、マダム! なんと、情熱的な、瞳をお持ちか! 私と、愛の、タンゴを、踊りませんか!」

「あら、いやだ、このスケベな騎士様ったら!」

ジンは、どこかの国の、妖艶な貴婦人と、フロアの真ん中で、もはや、格闘技にしか見えない、激しいダンスバトルを、繰り広げている。

「うおおおおお! 王国の騎士団長よ! 私と、腕相撲で、勝負しろおおおお!」

「望むところだ、女傑! だが、負けても、泣くんじゃないぞ!」

サラと、アンジェラは、酔っ払って、近衛騎士団の団長を巻き込み、テーブルの上で、ガチの、腕相撲大会を、始めていた。

「皆さーん! 私の、お祝いの魔法を、ご覧くださーい!」

セレスティアが、余興で、魔法を披露しようとした。

「テーブルの上の、お料理を、もっと、もっと、華やかにしますね! 『フラワー・カーニバル』!」

彼女の放った、ピンク色の光が、会場中の、テーブルに、降り注いだ。すると、ローストチキンも、パイも、スープも、全てが、一瞬にして、色とりどりの、美しい花に、変わってしまった。

「あーーーーっ! 俺の肉があああああ!」

「わたくしの、フォアグラが、薔薇に……!」

会場は、阿鼻叫喚に包まれた。

「あ、あわわわわ! 私が、元に、戻します!」

パニックになった、マリアが、お祈りを始める。

「聖なる光よ、その姿を、本来あるべき、食料の姿に……!」

彼女の、優しい光が、花々を包む。すると、花は、元の料理には戻らず、なぜか、ローストチキンだったものが、コケコッコー! と、元気な鳴き声を上げる、生きているニワトリとして、完全に、蘇生してしまった。

バタバタバタッ!

ニワトリたちが、会場中を、飛び回り、貴婦人たちの、豪華な髪飾りの上に、次々と、止まっていく。

もはや、大混乱だ。

俺は、その、あまりにも、カオスで、めちゃくちゃで、そして、どうしようもなく、楽しい光景を、眺めていた。

その、俺の隣には、いつの間にか、ソフィアが、立っていた。

彼女もまた、目の前の、大騒ぎを、呆れたような、しかし、どこか、楽しそうな目で、見つめている。

「……ふふっ」

「あはははは!」

俺たちは、どちらからともなく、顔を見合わせて、吹き出した。

そして、そのまま、二人で、腹を抱えて、涙が出るほど、笑い合った。

宴の、翌日。

俺たちは、王都の、巨大な門の前に、立っていた。

見送りには、エリザベート王女を始め、国王陛下や、仲間になったばかりの、たくさんの人々が、集まってくれていた。

俺たちは、結局、冒険者として、旅を続けることを、選んだ。

爵位も、領地も、莫大な金も、俺たちには、必要なかった。

俺たちが、本当に欲しいものは、そんなものじゃ、ないからだ。

「じゃあ、行ってきます!」

俺は、みんなに向かって、大きく、手を振った。

その、俺の右手を、ソフィアの、柔らかくて、温かい手が、そっと、握り返してきた。

見上げると、彼女は、これまでで、最高の、幸せに満ちた笑顔で、俺に、微笑み返してくれた。

彼女は、もう、女神の仮面など、被ってはいない。

ただ、愛する人の隣で、幸せそうに微笑む、一人の、美しい女性だった。

「待てよ、ユウキ!」「師匠、お供します!」「聖勇者様、私も!」「ユウキさん、待ってください!」

後ろから、いつもの、騒々しい声が、追いかけてくる。

俺たちは、振り返り、顔を見合わせて、また、笑った。

どこまでも、青い空。

どこまでも、緑の、大地。

俺たちの、新しい冒やり投げが、また、ここから、始まる。

女神様と歩む異世界は、これからも、祝福と、愛と、そして、どうしようもない、ドタバタと、カオスに、満ち溢れているのだろう。

――でも、まあ。

そんな、めちゃくちゃな毎日が、きっと、最高に、幸せなんだ。

俺は、隣に立つ、世界一の恋人の手を、強く、強く、握りしめた。


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