第二十三話







「あんた、大丈夫か?」


 ざわついた音とともに、春狼の意識は外部へと呼び戻される。


 目を見開いたつもりが片方だけしか開かない。左目に痛みはなく、代わりにその下の頬が熱を発している。


 春狼は頭を激しく殴りつけられたことを思いだした。脳震盪を起こし、そのまま気を失ったのだ。


 ――ここは、どこだ? 俊麗は? 李殿は? あのあと、一体どうなった?


 かすんだ視界で春狼は辺りを見回す。かろうじて無事な右目が、辺りが明るいことを知らせてくれる。襲撃を受けたとき、辺りは夜闇に包まれていた。あれから少なくとも、半日は経過しているだろう。


 土に匂いが鼻をくすぐった。すぐそばに冷たい土の感触があるため、地面に投げだされているようだった。体は拘束されていないものの、背中の痛みで起き上がれない。


「ああ! なんて可哀想なの⁉ せっかくの綺麗な顔が台無しだよ!」

「おまえは相変わらず綺麗なもんが好きだなあ。まあ、怪我してなけりゃ、こいつは大層な別嬪さんだが」


 短く巻かれた赤毛と、小さな輪郭が見えた。春狼の目前に小柄な少女がしゃがんでいる。少女が春狼の怪我を見て大きく嘆いたのを皮切りに、周囲の男女が一斉に口を開いた。


「どうする?」

「どうするったって、このまま放っておいたら野犬に食われるか、人買いに売られるかのどっちかだろ。これだけ上物なら高値で売れるだろうし」

「嫌な世の中だねぇ」

「ほんとになあ、悪いことはするもんじゃねえのによぉ」

仁是にぜが見つけたんだから最後まで責任持てよ~」

「えー⁉ みんなだって反応したじゃんか! 声かけたのは俺だけどさぁ」


 初めに声をかけてきたのは、春狼と同じ年くらいの少年らしい。仲間から仁是と呼ばれた少年は、乱雑に髪を掻きまわす。面倒事に顔をしかめながらも、最終的に諦めるしかないと腹をくくった様子で、春狼に顔を近づけた。


「あんた、どうする?」


 短い茶色の髪が風に揺れる。彼の緑の目が火兎の目の輝きと似ていた。


「あんた、このままここにいたら死ぬか、死にたいと思うような目に遭うぜ。――助けてほしいか? 生きたいか?」


 仁是の声は真っ直ぐだった。嘘のない事実が、春狼の心を冷静にさせる。


「生きたいのなら、俺があんたを助けてやる」

「実際助けるのは頭領だけどなぁ」

「うるさいな! 横から茶々いれるなよ!」


 仁是は赤い顔で、横やりを入れた男に叫び返す。気を取り直すように息を吐いてから、再び真剣な目を向けてくる。


「で、どうする?」


 春狼ははっきりとしない頭で、彼、もしくは彼らが助けてくれるらしいことを悟る。彼らのことを、春狼はまるで知らない。ただの善人か、悪人かも分からない。


 どのような道を辿ろうとも、春狼は生きなければならなかった。生きたいと思う理由に、春狼の脳裏に唯一の主の顔が浮かぶ。


 春狼は噛みつくように、引きつれる唇を動かした。


「俺はまだ、やらなくちゃいけないことがある!」


 春狼の力強い言葉に、仁是は弾みよく「よしっ!」と頷いた。


 仁是は春狼の体を軽々と持ちあげる。視界がぐるりと動いて、春狼は眩暈(めまい)とともに目を閉じた。


「なあ! こいつ連れてくから、誰かかしらに知らせてくれ!」


「はいは~い! 僕も運ぶの手伝う!」

「おまえには無理だよ。ちっこいから」

「ちっこくないもん! これから大きくなる予定だもん!」

「他の奴、手伝ってー!」

「無視すんなよぉ‼」


 仁是と少女の調子のいい会話を耳にしつつ、春狼は乱れた頭の中を整理する。


 春狼と俊麗、そして李は、新年祝儀の帰りに襲撃を受けた。おそらく、麗華殿に刺客を仕向けた連中のしわざだ。あれ以来、殿舎の周囲は警備を強化されていたため、暗殺をしたくとも手だしできなかったのだろう。


 新年祝儀の場で、相手側が大胆にも襲撃を仕掛けるとは想像しなかった。衛兵を買収したのか、変装していたのかは知れない。一歩間違えれば疑惑が濃くなる行動に出たということは、それだけ敵が追い詰められているという証拠だ。


 仁是に担がれながら、春狼は視界を最大限に広げる。


 宮中では嗅ぎ慣れない、自然の空気。湿った土と、青い草の匂い。寒々しい冬の気が、敏感に肌を撫でる。日の光は燦々と照っており、雲一つない青い空が余計に眩しく映る。宮中にいたときは一度も聞いたことのなかった、山鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 春狼は知っていた。春狼が望んでやまないこの世界を知っていた。


 ――ああ、俺、宮中の外にいるんだ……。


 それは春狼が渇望する「自由」だったが、それを心から喜ぶことはできなかった。


 連れられた先は廃墟に近い屋敷。塀は瓦礫と化し、門は傾き、柱は虫に食われている。屋敷は蔦に覆われ、全体像が分からない。


 かろうじて建っているという外観に反して、中は奇妙なほどに片づけられていた。壁は崩れているところがあるものの、庭や屋敷の壁に入り乱れていた植物の影はない。使わない家具が端に寄せられ、人が楽に通ることのできる廊下に整頓されている。


 春狼を見つけた男女の集団の他に、建物内には別の者が十人ほど集まっていた。吊り床に寝転ぶ者、地図を机に置いて見やる者、食事をする者。各々が自由な行動をしていながら、帰ってきた者たちに労いの声をかける。


 仁是が運ぶ春狼を見て、「また拾ってきたのか」と呆れるさまから、人を連れてくるのは春狼が初めてではないようだ。


 年齢も、性別も関係性のない集団。和気藹々と会話をする者たちの姿だけを捉えると、垣根のない温和な集まりに見えただろう。腰に剣を下げ、武器を磨く姿が目に映らなければ。


 ――こいつら、何者なんだ?


 広げられた空間でくつろいでいる者たちよりも、奥の一室に春狼は連れられる。気分は屠殺される家畜。この先の運命が未知な、哀れな子羊だ。


 部屋には埃を被っていない、清潔な布団が一組だけ敷かれている。寝心地がいいとは言い難いそこに寝かされたとき、少女が年若い女を連れてやってきた。


「怪我がひどいわね。今手当てするからね」


 女は木箱から塗り薬と包帯を取りだして、机に並べていく。塗り薬の容器には効能と内容物について明記されている。それらが塗り薬の効果があるものか、記憶と照らし合わせる余裕が春狼にもできていた。気を張り詰めながら、春狼は冷静に観察し続ける。


「痛いところは? 頬が痛そうだけど。あ、頭からも出血してるわね。手の火傷もひどいわ」

「……あと、背中が少し痛い」


 団体が集まる陣地を教えて、春狼に悪事を働くとは考えにくい。治療と称して毒を盛られても、春狼はわずかな毒では死なない。十年間、毒に対処できるよう訓練されてきたのだから。


 女に体を起こされ、少女によって服を脱がされる。今着ているのは新年の祝儀に則した、華やかな礼装だ。引きずられたためか、破けたり泥がついていたりと、修復できそうにないひどい有り様だった。


「ちょっと、いつまでいるの! 服を脱がすから、あんたは外に出てって!」

「分かってるよ!」


 女が仁是を叱りつけると、少女も目元を強めて彼を睨んだ。高価な服が汚れたことで少し沈んでいた春狼は、突然仲間を責めだした女性陣に制止の声をかける。


「別にいいよ、そこにいて」

「よくないわよ。あなただって、男に肌を見られたくないでしょ?」

「別に? 俺も男だし」


 だから見られても減るものじゃないと続けようとして、部屋にいた三人が「えー⁉」と声を揃えて叫びだした。何をそのように驚かれているのか分からず、春狼は困惑する。三人は一様に春狼を凝視した。


「え? え?」と震える指を春狼に向けて、驚愕から抜けだせない仁是。逆に、女たちはすぐに頭を切り替える。


「ごめんなさい。あなたがあまりに綺麗だったから」

「うんうん。髪も顔も着物も、今まで見たことないくらいの美人だったから、てっきり女の子だと思ったんだよ!」


 ほんのりと顔を上気させて褒める女たちに、春狼は悪い気がしなかった。自身の魅力を十分自覚していたが、他人からの称賛の声はいくらあっても嬉しいものであった。


「……あんた、男なのか?」

「? そう言ってるだろ」


 仁是は衝撃を受け、目を見開いた状態で声を震わせる。呆れながら肯定を返すと、仁是は器用に顔を赤くしたり青くしたりして、最後には整理がつかなくなったのか、泣き叫ぶように大声を張った。


「俺は、信じないからな‼」

「信じろよ⁉」


 涙目になって部屋を出ていった仁是の後ろ姿を、春狼は微妙な気持ちで見送った。


「許してあげて。お年頃なのよ」

「もしかしたら初恋だったかもね」


 非情な仲間たちの追撃は、幸運なことに仁是には届かなかった。


 女は気を取り直して、春狼に治療を施していく。額には血止めの薬と清潔な包帯が巻かれる。痛々しく腫れた頬は、消毒と熱さましの布が貼りつけられた。灯篭の火を投げたことでできた手の火傷にも、どす黒い色の塗り薬をたっぷりと塗られた。


「あなた、最近今以上の大怪我をしたんじゃない?」


 脇腹の傷跡を見て、女は悲しそうに目元をさげる。


「でも、もう治ったから」

「こんな大きな傷、最悪死んでたわよ」


 女は少女に渡された塗り薬を春狼の叩きつけられた背中に塗る。包帯を胴に巻きつけられて「痛いところはこれで全部?」と問いかけられた。春狼がうつ伏せのまま頷いたのを見て、女はようやく安堵の息を吐いた。


「あなた、お名前は?」


 誘導するような、滑らかな問いだった。春狼は一瞬息が詰まり、何と返すべきか即座に考える。女たちは春狼が気を引きしめたのを気にすることなく、暢気なほどに朗らかに笑った。


「話したくないならいいの。でも、名前が分からないと呼びにくいから。私はぎょくっていうのよ。ここでは主に、医療系統を担当しているの」

「僕は陽女ひめだよ! 仲良くしてね!」


 軽々と名前を教えてくる二人に、春狼は緊張した自分がばかばかしく感じてしまう。


「……春狼」

「《しゅんろう》ね。字はどう書くの? あ、字は書けるかしら?」


 春狼が季節の春に、獣の狼だと告げれば、玉は頬を緩めて「素敵ね」と微笑んだ。


 玉は女性らしい仕草で、陽女とともに賑やかに話を進めていく。本題となる話はなく、春狼の肌艶がいいとか、手入れはどうしているのか、と話を膨らませていく。


 玉が部屋の外から呼ばれて用ができるまで、玉と陽女とのおしゃべりは続いた。陰口や気遣いのいらない会話は、春狼の心を冷静にさせた。


「春狼には、ここの団長に会ってもらうわ。一応拾ってきた……ごめんなさい、言い方が悪いわね。連れてきた子はみんな、団長と対面する決まりになってるの」


 陽女を置いて、玉が部屋を出る間際にそう言った。


「頭、って言われてた人か?」


「そうよ。私たちが一番頼りにしていて、一番尊敬する人」


 またしても疼きだした背中の痛みを思いだす。鮮明にならない頭で核心をつく質問をする。


「ここは、一体どういう集まりなんだ」


 玉と陽女は一度だけ視線を交わしてから、春狼を真っ直ぐに見つめた。


「私たちは『燈心草とうしんそう』。誇りをもって、自分たちは「義賊」だと名乗っているわ」


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