第十四話
◇
都には流通の際に使われる門が大きく分けて三つある。外城壁にある外門。都と宮中を隔てる中門。宮中にある内門。
外廷や〈十部〉の庁舎がある下層と、宮中や後宮のある上層の間に内門はあった。
厳重なる検問を終えた者のみが、宮中に商品を卸すことができる。
春狼は俊麗から命じられて、内門で新しい銀食器を受けとりに行った。
後宮に潜入するといった異例がない限り、春狼はほぼ麗華殿に在中している。使い走りをされた不満よりも、燈子宮の外に出られることで気持ちは跳ねた。
しかし、喜びの時間はあっさりと終わりを告げる。内門を任されている官吏から、依頼の品である銀食器を問題なく受けとったからだ。寄り道をするわけにもいかず、ささやかな自由との別れに消沈する。
回廊の端に立ち、空を見あげた。真っ青な雲一つない秋空だ。塀で囲まれた殿舎の屋根が目の端に映りこみ、籠の鳥にでもなった心持ちだ。
――俺はどうなりたいんだろうな。
自由になりたいと思っているものの、その先を考えることは避けてきた。俊麗によって突然作られた希望は、本来ならありえないものだ。春狼はそれを本能的に見ないようにしてきた。
菫花部で身につけざるを得なかった技能は、宮中の外で大いに活躍するだろう。元来の器用さもあって、仕事には困らないはずだ。
それは自分の求めていた自由だろうか、と春狼はぽつんと思う。明確な目的を持つ者が身近にいるからか、一人になったときに先のことを考えるようになった。
「あら、そこにいるのは春狼かしら?」
声の方を向くと、そこには女官を引き連れた可丹の姿があった。春狼は急いで態勢を整え、礼をする。
「頭をさげなくていいのよ。春狼は俊麗お兄様の菫なのだから。普通にお話してほしいわ」
ほのぼのとした口調で、可丹は酷なことを言う。背後に控える女官たちは可丹の性格を理解しているからか、忠言する様子もない。
春狼はゆっくりと顔をあげて、自分より下にある優しげな相貌を見つめた。
「ご機嫌麗しゅうございます、皇女様」
「ええ、ご機嫌よう。春狼はお兄様のお遣いかしら?」
「はい。内門の方に荷物を受けとりに」
手に持った包みをかかげると、可丹は笑顔で相槌を打った。
「私はおじい様の――文化部の上大夫を務めていらっしゃるのだけど、その庁舎の方へ行った帰りなの」
文化部の上大夫は重臣の一人だ。先々皇帝の代から高官を務めていると聞く。他の貴族と比べて位は低いものの、皇帝に娘を嫁入りさせられるほどの権力者だ。
孫でありながら皇女でもある可丹を呼び寄せる意味を、春狼は察せられないほど鈍くない。皇帝の意思か、上大夫の意思かは不明だが、十中八九、婚姻に関わる話だろう。
皇女は他国と縁戚関係を結ぶために利用される。一人母国を離れ、知らない土地で、知らない者と結婚させられる。
――まだ、たった十二の女の子なのに。
この小さな体で、目の前の少女は生まれたときから自分の将来を受けいれている。それを可哀想だと、不幸だと決めつけることこそがおこがましい。それでも切なくなるのは、春狼が未だに皇族を理解できていないからだ。
可丹は何も知らない無垢な顔のまま、春狼の顔を覗きこむ。
「ねえ、春狼。よければ後宮の門まで送ってくださらない? もう少しお話がしたいわ」
急いで帰らなければいけないかしら、と気遣いの言葉が続く。
「ぜひお供させてください」
「よかったわ。ありがとう」
嬉しそうに微笑む可丹に釣られ、春狼も口元をあげた。
可丹に乞われ、そばに付いて歩きだす。その後ろを続く女官はやはり何も言わない。
喋ることが好きなのか、可丹の話は次から次へと変わっていく。朝餉の一品がとてもおいしかったこと、最近後宮の庭にやってくる小鳥のこと、俊麗に昔遊んでもらったときの話。
小さな口からこぼれ出てくる尽きない話に、春狼の胸に優しい気が流れこんでくる。大切な宝物を見せてもらったような気持ちだ。可丹の話を聞きながら、春狼の心は癒されていった。
回廊を進み、後宮と燈子宮の門が見えてくると、可丹は残念そうに眉をさげた。
「もう着いてしまったわね」
「今日はここでお別れですが、またお話しましょう」
口に出してから分不相応であると気づく。慌てて口を閉じるが、はっきりと声に出されたあとだ。可丹は虚を突かれた顔をして、そのあと花咲く笑顔をみせた。
「本当? 約束よ。絶対よ!」
嬉しそうに笑う可丹に、春狼は肩を撫でおろす。
今にも飛びあがりそうな可丹に片手を包まれ、別れの挨拶を交わしていると、燈子宮の門が開く。開かれる門の中央に立っていたのは、従者を連れた第三皇子だった。第三皇子は門前に立っていた春狼と可丹に気づくと、目を大きく見開いた。
「可丹!」
突然怒鳴り声をあげ、第三皇子は可丹をぎらりと睨みつけた。
「皇女ともあろう者が、軽々しく卑しい者に触れるでない! おまえの行動で婚姻が破綻してみろ。おまえから皇族の資格をはく奪させるからな!」
「も、申し訳ございませんお兄様」
可丹が深く礼をしても、第三皇子は厳しい視線を向けたままだ。
「皇女らしからぬ行動は慎め!」
「はい、お兄様」
第三皇子は目を吊りあげて舌打ちをする。
「妃としての自覚がない者から生まれた者は、やはり皇族を分かっていない。いっそのこと身分を返上したらどうだ? これだから身分の低い者は駄目なのだ」
可丹が反論しないのをいいことに、第三皇子は暴言を吐き続ける。
春狼は頭を下げながら、はらわたが煮えくり返る思いだった。身分がないに等しい春狼にできることはない。理性をなくして殴りかかってしまえば、責任をとるのは可丹や主人の俊麗だ。ぎゅっとこぶしに力をいれて耐えざるを得なかった。
第三皇子は罵声を飛ばし、再び舌打ちをして足の向きを変えた。春狼を最後までいない者として扱い、足音を立てながら去っていく。その後ろ姿に、春狼はひそかに舌を向けた。
袖を引かれて振り返ると、可丹は白目を少しだけ赤くして、申し訳なさそうに立っていた。
「ごめんなさい春狼。嫌な思いをさせたわね」
春狼は沸き立つ怒りをごまかすように、勢いよく首を横に振る。
「皇女様は、大丈夫ですか?」
年上の男に散々に怒鳴られ、貶されたのだ。怖くなかったはずがない。可丹は控えめに微笑んでまつげを下に向けた。
「私が皇女らしくしなかったのがいけないの。お母様を悪く言われたのは悲しいけれど、他のお義兄様やお義姉様にも言われたことがあるから。宮中にいる限り、慣れなければいけないことよ」
悲しそうに瞳を揺らす可丹に、春狼の我慢は勢いよく弾けた。
「そんなことに慣れちゃ駄目だ! 慣れてしまったら、それが当たり前になってしまう。悲しかったことも嫌だったことも、大丈夫だと思いこんでしまう。可丹様は、可丹様のままであっていいと、俺は思います」
興奮気味に言い切った春狼は、真っ直ぐと可丹を見つめる。ぱちくりと瞳を見開いて固まる可丹に、春狼は遅れて失態を察した。さあっと音を立てるがごとく顔色を青くする春狼に反して、可丹は顔を赤く上気させる。春狼の言葉を噛みしめるように口元を和らげた。
「そうね。皇女はいっぱいいるもの。私くらい、私らしくしてもいいわね」
頬を桃色にして、可丹は柔らかく笑った。その表情を見て、発言の後悔は次第に安堵へと変わっていく。
可丹は小鳥のような足取りで近寄ってくると、春狼の耳元に顔を近づけた。周りの音が一瞬にしてなくなったような錯覚で、可丹の声だけが耳に響く。
「俊麗お兄様をお願いね。私はそばにいてあげられないけど、春狼がいるなら安心だわ」
顔を離した可丹の笑みは、十二とは思えないほど大人びて見えた。
春狼はなぜか分からないが、涙がでそうなほどの切なさを覚えた。俊麗を思う義妹の姿が、春狼には痛々しく、悲哀のような感情が心を締めつける。
可丹が門の向こうに消えるまで春狼は深く礼をする。門が音を立てて完全に閉じたのを聞いて、春狼はゆっくりと顔をあげた。
――俊麗と、向き合うべきだな。
心優しい可丹に託され、小難しい俊麗と対峙するために、自分にできることは何かを考えながら麗華殿に戻った。
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