第2話 陛下、また来たんですか?

「ちょっと、そこで待ってて」


 慶佑に先に小屋の中に入ってもらってから、月麗はキョンシーの方へと向き直ると、懐から取り出した紙銭――紙を銅銭の形に切った冥界のお金を手渡す。


「はいこれ、今日の報酬ね。お疲れさまでした」


 彼女たちは軽く頭を下げると、嬉しそうに飛び跳ねながら寝床へと帰っていった。


「しかし、そんな紙切れをありがたがるなんて、信じられんな」

「ただの紙切れに見えるかもしれませんけど、これでもあの世では立派なお金ですよ」

「どうせ賄賂だろうが。まったく、死んでもろくでもないことしかしないのだな」

「ふっ、皇帝にもなって、そんな青臭いことを――」


 慶佑の綺麗事を月麗は鼻で笑う。耀国の中でも官吏に対する賄賂は公然と行われていて、まだ若い慶佑は気に入らないらしい。何度も摘発を行っているが焼け石に水だった。


「お前の実家だって無関係じゃないだろうが!」

「私の実家が没落したのは事実です。でも、それは賄賂が原因ではないでしょう?」

「表向きの話だ。証拠が見つかっていないだけで、やつらの仕業に間違いない!」


 月麗の実家である李家が、朱雀妃・黄星華ホアン・シンホワの実家である黄家の謀略によって没落したと、慶佑は考えていて、いまだに証拠を探している。


「そんなことより、玄武宮を立て直す方法ですよ。それを教えてくれるって言うから、疲れているのに中に入れてあげたんじゃないですか!」

「――俺は皇帝なんだが?」

「――? 知ってますよ」


 早々に本題に入って欲しい月麗が慶佑を急かすと、彼が唐突に皇帝だと自己主張を始めてしまう。そんな彼の意図が掴めずに、目をパチパチと瞬かせて首を傾げる。


「他の上級妃なら、俺が来るって知っていたら、もの凄く喜ぶんだがな?」

「他所は他所、うちはうちです。それに来るなんて知りませんでしたよ」

「前回、帰る前に伝えたはずなんだがな……」


 後宮で皇帝がお渡りになると言えば、一大イベントのはず――なのだが、二日とおかずやってくるせいか、月麗にとっては日常の一部くらいの感覚だった。


「今日は忘れてただけですよ。それに普段は何も言わずに来るじゃないですか」

「そもそも連絡する手段が無いだろう。昼間は月麗しかいないのだからな」


 普段、先触れもなくやってくることを追及すると、誰もいないことを追及し返される。言い合えば言い合うほど旗色が悪くなりそうだと判断した月麗は、そうそうに話を切り上げて、慶佑を小屋の中に押し込む。


「そ、そんなことは良いんです。それより、早く中に入ってくださいよ」

「わかったから押すなって!」


 慶佑を押し込みつつ月麗も小屋の中に入る。小屋の中はこじんまりとしていて上級妃の寝所とは思えない質素な作りだが、小さいテーブルと椅子が三脚、小さい箪笥と小さい食器棚が置かれていて、必要最低限の生活はできるようになっていた。


 部屋の奥には一体のキョンシーが立っていて、帰ってきた月麗を出迎える。しかし、その後に続いて入ってきた慶佑を見て、慌ててお茶を淹れるために奥の台所へと消えていった。


「すぐお茶が来ると思うので、先に座って待ってましょう」

「そうだな」


 しばらく座って待っていると、キョンシーがお茶を持ってきて、それぞれの目の前に置く。湯気の立つ湯呑からはフルーティーな甘い香りが漂い、月麗の鼻腔を突く。その香りを楽しみながら口に含むと僅かな渋みが広がった。


「ふむ、鳳凰単叢か?」

「さすが陛下、よくご存知で」


 ピタリと銘柄を言い当てた慶佑に月麗が目を丸くする。頑なな性格を除けば、容姿も知識も武術も極めて優秀な男。お茶を飲む姿すらも様になっている。あまりにも眩しすぎる姿に、思わず月麗は顔を背けてしまう。


「あっ、お茶ありがとうね。これ、今日の報酬だから」


 顔を背けた理由を悟られたくなかった月麗は、キョンシーにも報酬の紙銭を手渡した。彼女もお辞儀をして、嬉しそうに飛び跳ねながら小屋を出ていった。


「さて、さっそく本題に入ってもらいましょうか」

「お前なぁ……。少しは空気を読んだ方がいいぞ」

「大丈夫ですよ。周りに人の気配はありません」

「そういう意味じゃないんだがなぁ……」


 慶佑は呆れながらも本題について話を切り出した。


「玄武宮で致命的なのは、後宮内に流れる噂だ。魑魅魍魎が跋扈すると言われて、まともな人間が訪れるわけがない。それに最近は亡霊が夜な夜なうろつくという噂まで出始めた」

「その亡霊って、陛下のことですよね?」

「そうなのか? 俺は生きているが?」

「そのぼろ切れをまとった陛下が、亡霊の正体ですよ」


 月麗がぼろ切れを指差しながら教えると、慶佑の顔から表情が抜け落ちたように茫然とする。すぐに気を取り直して、大きく咳ばらいをして話題を切り替えた。


「ゴホン。そんな些末なことはいい。まずは玄武宮の好感度を上げることが急務ということだ」

「そんなことは分かっているんです。上手くいっていないから困ってるんですよ」


 慶佑の言葉に、月麗は眉を下げながら主張する。そんな彼女を見ながら、慶佑は信じられない、とばかりに目を見開いた。額に手を当てて、わずかに俯き、ため息を吐く。


「はああ……。何もしていないわけじゃなかったんだな」

「当たり前じゃないですか。悠々自適な生活の邪魔をされるのはイヤですけどね」

「だが、状況は改善するどころか、悪化している……」

「うっ、で、でもっ、その原因の半分は陛下の『亡霊』ですからね?」


 状況が悪化の一途を辿っているのは月麗も把握している。しかし、全てを自分のせいにする慶佑に腹を立てて、亡霊の噂を引き合いに出した。


「それはおまけみたいなものだ。お前がキョンシーを連れていることで、変な噂が立っているのが、そもそもの原因だろう」

「うっ……。でも人手があるとありがたいのは事実なんですよ」

「だから、逆にそちらは無視して好感度を上げるのだ。題して『お悩み解決して好感度稼ぎ計画』を実行しようと思う」


 彼の話を聞いても、月麗の表情は沈んだままだった。名前がふざけているというのもあるが、それほど『お悩み』があるとは月麗には到底思えない。


 話についていけなくなった月麗は気分を落ち着けるためにお茶を飲み干し、急須からお茶を注ぐ。


「よくわかりませんが、そんな都合よく『お悩み』なんてないと思いますけど?」


 急須から垂れるお茶を切って、月麗は急須を手にしながら慶佑の瞳をじっと見つめる。真っ直ぐな彼女の視線に慶佑は思わず顔を逸らしてしまう。赤らんだ顔のまま、口に手を当てながら、何やらボソボソとつぶやいていた。


「何かありましたか?」

「い、いや、何でもない。それより『お悩み』ならたくさんあるぞ。人手不足で手つかずのものも少なくない」

「そうですか。それを解決しろと、そういうことですかね? でも、私も何でもできるわけじゃありませんよ」

「大丈夫だ。月麗に解決してもらいたい問題は怪異に関連したものだからな」


 慶佑の話を聞いて、月麗は理解した。彼女の道士としての実力を慶佑が買っていることと、怪異の問題を解決できる人間が多くないことが、上手くかみ合ったのだろう。


「ですが……。私はまだ若輩者です」

「年齢など関係ない。月麗の実力は十分に把握している」


 実力で言えば、そこらへんの道士に負けない自信のある月麗だが、十二歳の月麗は後宮の中でも若輩。年功序列を基本とする耀国で、彼女の言葉を素直に聞く人間などいるはずがない。


「年下というだけで、侮って話を聞かない人間は多いのです。逆に年上というだけで話を聞く人間も多いのですよ」

「そんなものは俺が言って聞かせれば済む話だろう」


 若輩ながら皇帝である慶佑には一般的な常識が通じない。もっとも、それは生まれてからずっと箱入り道士として育てられてきた月麗もさほど変わらないのだが。


「そのようなことで皇帝の権力を振るわないでください」

「だが、この社会が間違っているのなら、俺が正さなければならないだろう?」

「はあ。陛下は『お悩み』について教えてくれるだけでいいです。あとはこちらでやりますから!」


 自分のことを棚に上げて、彼の非常識さに辟易しながら、月麗は本題に戻るように促す。語り足りなくて、不満そうに頬を少し膨らませた慶佑が渋々ながら最初の『お悩み』の詳細を語り始めた。


「まだはっきりしているわけではないが、青龍妃が呪いにかかって臥せっているそうだ」

「病気ではないのでしょうか?」

「体のだるさや動悸、手足の痺れといった症状があるらしい」

「症状を聞くかぎりでは病でありがちな症状ですが……。呪いと断定したのは何故でしょうか?」


 その問いかけに慶佑も少しだけ逡巡する。上がってきた報告は聞いているものの、未だ半信半疑であるということだろう。彼の口から余計な先入観を与えるべきではないと考えているようにも見えた。話すべきか、話さないべきか、彼の中で天秤にかけた結果、話す方が良いと判断したのだろう。おもむろに口を開いた。


「彼女の容態を見ている侍医が原因不明だと言っているのだ。それならば呪いではないかと、彼女の周りが判断したようだな」

「……それだけで?」


 月麗が驚くのも無理からぬこと。原因がよく分からないから呪いのせいだ、などと言うのは冗談にしても酷い話だった。


「世間一般では、そういう考え方をする人間が少なくない。そういう俺も疑わしいと思っても、完全に否定できなかったからな」

「そういうものですか……」


 肩を竦めながら話す慶佑の様子からして、冗談などではないのだろう。月麗も現実の哀しさに少しだけ落胆する。


「状況は理解できました。ですが、私の見立てでは彼女はやはり病に冒されているとと思います。そもそも呪いを掛ける代償は大きく、簡単に掛けられるものではありません」

「なるほど、では、病だとするなら如何なるものと見る?」


 月麗はしばらくの間、腕を組んで考え込む。


「症状を全て把握しているわけではありませんので合っているかはわかりませんが……」

「よい、現状の判断を教えて欲しい」

「水毒――おそらく水気が亢進していることに起因する症状です。水剋火によって火気が弱まり心の臓に負担がかかっているものと思います。また、火気が弱まったことにより、土気も弱まって体のだるさ感じるようになったのでしょう」

「順番としては違うようだが?」

「気付きやすさの問題でしょう。体のだるさは気付きやすいですから」

「なるほど、月麗の説明であれば理に適っているな」


 症状から病名に関しては推測が付く。一方で月麗には、侍医まで付いている上級妃が、この病にかかるとは思えなかった。


「自分でも信じられませんが――おそらく脚気だと思われます」

「脚気だと? しかし――」


 慶佑も胡乱気な目で彼女を見る。その様子から考えていることは同じだということに気付いて、月麗も肩を竦めて首を振った。

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