第2話 副院長の思い出

先日、私が勤めている総合病院のS副院長が定年退職で病院を去ることになりました。

私は事務方で、病院経営に関するデータ分析の仕事をしています。

そのS副院長(以降S先生)は、副院長になってからの数年間、病院経営担当の副院長だったということもあり、私と病院経営改善について議論したり、様々な取り組みを考えたりした仲でした。

S先生のお別れ会は盛大に行われ私も出席しましたが、その時に先生から「ここではゆっくり話も出来ないから今度ゆっくり二人で飲もう」と誘われ、後日、病院の近くの居酒屋で二人だけのささやかな「お疲れさま会」を開くことになりました。


私「先生、長い間本当にお疲れ様でした。大変お世話になりました。」

S先生「君にはずいぶん助けられたよ。またこれからも個人的に色々教えてよね。」

二人だけの飲み会は共通の思い出から始まり、1時間もするとプライベートな話にまで及んでいました。

お酒も入りくだけてきた私は軽い気持ちで、最近、趣味で怪談や不思議な話にハマっていることをS先生に話し、「先生、何か不思議な体験とかしたことなかったですか」と聞いてみました。

S先生は少し黙ってから「かなり前のことなんだけどね・・・」と話し始めました。


今から40年ほど前、S先生はまだまだ研修医から医師になったばかりで、北陸の総合病院に勤めていたそうです。

その病院は地域で唯一の大病院であったため、救急外来は平日の夜でも救急車がひっきりなしに来ていて、当直の若手医師は仮眠を取る暇もないほどでした。

その日はS先生の当直当番の日。同期や先輩の先生も含め、救急外来の当番医師は5人、医師以外は看護師やその他のスタッフ合わせて10人ほど。平日でも一晩、救急外来を無難に回すにはこれくらいのスタッフが必要だったそうです。


いつものような忙しさが落ち着いて、深夜を少し回ったころ、救急隊からホットラインが入りました。

電話に出た研修医はすぐに周りのスタッフにも情報を大声で共有しました。

研修医「ホットライン入りました!20代男性、主訴、背部痛!意識はありますが痛みで救急隊とのコミュニケーションは取れない模様。バイタルは血圧○○/○○(ショック状態を示す数値として確認。)、SPO2○○%(血中酸素飽和度のことで呼吸困難の指標になっている。)、既往(きおう:持病を持っているかの情報。)は不明。○○救急隊、あと5分で到着します!」

看護師リーダー「先生、外傷?原因は聞いた?」

研修医は、電話を切ってしまってから「しまった」という顔をしたそうですが、これは良くあることで、案の定、「なんで聞かなかったの!」と看護師のリーダーさんからこっぴどく叱られていたそうです。

深夜で患者もいなくて少しボーっとしていたS先生も、それを聞いてキビキビと救急車受け入れの準備をしながら「患者は若い人だし高いところから落ちたりしたのかな?」くらいにしか思っていませんでした。

ほどなくして救急車が到着。患者がストレッチャーで運ばれてくる間も、救急車搬入口の外から男性の「痛い!痛い!」と大声で叫ぶ声が聞こえてきたのを今でもよく覚えているそうです。

男性は20代前半の大学生で救急搬送中も暴れて危ないのでストレッチャーにバンドで拘束されたまま運ばれてきました。

患者本人はずっと「痛い痛い!」と叫んでいるため状況がつかめず、S先生はまず救急隊員に話を聞きました。

救急隊員は、「Aさん(運ばれてきた男性の名前)は、▲山で友人とドライブしていて、突然、背中の痛みを訴え出したらしく、車に同乗していた友人が運転を変わり公衆電話から119番通報してきたんです。友人さんの話では、特に外傷とかではないらしいのですが、我々が背中を確認したところ、手のひら大の内出血のようなものが二つ背部中央に見つけられたので、今日じゃなくてもどこかでぶつけたのかな、と思います。痛みは徐々に増しているようで、現着(現地に着いた)したときにはここまで騒いでいませんでしたが、搬送中に体動が激しくなってきたので慌てて拘束した次第です。」と少し困惑した感じで報告してくれたそうです。

救急隊員は患者の引き渡しが終わったため、同乗していた友人を救急の受付へ案内し、帰っていきました。


S先生は同期のY先生、研修医の三人で初期対応を始めることにし、近くにいた看護師に「とりあえず付き添いの方には待合で待っとくように言っといて」と伝えました。


まずは痛がっているところを確認しようとしましたが、患者があまりにも暴れるため、三人がかりでベッドにうつぶせにして、着ていたシャツをめくりあげました。


S先生が救急隊員に聞いたのは「背中の中央に手のひら大の内出血らしい箇所」だったのですが、その場所には「手のひら大の~」どころではなく、くっきりと「成人男性くらいの大きさの手のひらの跡」が青紫に浮き出ていました。それは指の開き方もわかるほどくっきりとしたものでした。


三人がまず思ったのは、待合に待っている友人の「仕業」、つまり暴力行為か?ということでしたが、まだはっきりしないため警察への通報は後にすることにしました。


診察の手順などは長くなるため割愛しますが、S先生が疑った外傷による内出血や内臓破裂を見つけるための超音波検査、X線画像の所見は全て正常だったということです。血液検査の結果も感染症を示す異常な数値などは見当たらず、「神経によるものか?」と判断に苦慮し、当面は鎮痛剤を注射して痛みを和らげることにしました。


鎮痛剤を注射するとすぐに患者Aさんは叫ぶのをやめたそうですが、今にして思えば、本当に鎮痛剤が効いたからなのか、よくわからないということでした。


S先生は患者のAさんに「背中の痛みに思い当たるところはないか?」と尋ねましたが、Aさんは目を開けたまま遠くを見つめる感じで、こちらの問いかけには一切無反応でした。あまりにも反応がないため、意識障害も疑い、痛覚の検査も含め色々と試しましたが、Aさんは無反応のままでした。


Aさんをベッドに寝かせたまま、一旦看護師さんに様子を観察するように指示し、S先生はAさんの付き添いの友人に話を聞くことにしました。Aさんの背中の手形のことも確かめないといけないので、話は同期のY先生に同席してもらって聞くことにしました。


付き添いの友人はAさんと同じ大学の男性でした。

S先生とY先生は、Aさんの背中の手形がこの友人による暴力の跡だと疑っていたのですが、どうも何か辺り(特に自分の後ろを)をしきりに気にしている様子で、落ち着かせながら話を聞くことにしました。

S先生はなるべく優しく「Aさんの背中の痛みに心当たりはありませんか?」と聞いたところ、想像とは違って、Aさんと友人Bさんが数時間前に体験した話を聞いてほしい、という答えでした。S先生もY先生も、このBさんの答えに戸惑いましたが、特に今はAさんを経過観察にしているため、話を傾聴するのも必要かな、という思いで聞くことにしました。


その友人のBさんいわく、Aさんとは昨夜22時頃、遊び半分で少し前に閉鎖した山間のリゾートホテルにドライブに行ったのだそうです。閉鎖されたホテルを見に行くのも面白そうだし、何もなくてもそこの近くにある湧き水が健康に良いと聞いたので汲んで来られたら行った甲斐もある、という学生にありがちな、よくわからないノリだったということでした。

閉鎖されたホテル付近に着いたのは23時近く。辺りは真っ暗で、特に面白いことは無かったそうです。見て回るものも無いし、暗くて足元も危ないので、あまり建物には近付かず、付近を少し散策してから帰ることにしました。


二人で10分も歩くと、もう飽きてしまい、Aさんが「湧き水ってどこかなぁ?」と言い出したので、Bさんは「わからんけど、道路に面してたら楽だよな」と言いながら止めてある自動車へ戻り始めました。数分も行かないうちにAさんが「あ!あった!あった!」と小走りに先に進んでいきました。Bさんは「来るときにあったか?」と少し不審に思いましたが、Aさんは少し先で、持ってきていた水筒を道路わきに少し出ている竹筒のようなものにくっつけて水を汲んでいました。

Aさんは嬉しそうに「これ、めっちゃ美味しそうじゃない?飲んでいこ!たっぷり汲んだし見つけられてラッキー!」とゴクゴクと水筒についていたコップで飲み始めました。

Bさんは勧められましたが、山水なんてちょっと嫌だな、と思っていたので断ったそうです。


ほどなくして車に着いた二人は、来た時と同じようにAさんが運転席に座り、Bさんは助手席に座りました。Aさんが「出発するぞ~」と言ったかと思うと、Aさんが不意に助手席のBさんを見て、「やめろや・・・」と言いました。

Bさんは良くわからなかったので「え?なに?」と聞き返しましたが、次にAさんが口を開こうとしたその時、Aさんの体が前方に大きく倒れこんだそうです。

まるで後ろから突き飛ばされた感じだったと言っていました。

Bさんは反射的に後部座席を見ましたが、当然、何もありませんでした。

「今、思い返しても、Aの座席はピクリとも動いていなかったんです。」とBさんは淡々と話していたそうです。

ハンドルに突っ伏した感じでいたAさんが小さい声で「なんか入ってきた・・・痛い・・・」と言ったかと思うと、だんだん「痛い!背中が痛い!痛い!痛い!」と言い出したので、慌ててAを運転席から引きずり出し、後部座席に寝かせて、Bさんが自分で運転しながら公衆電話を探して、救急車を呼んだんだそうです。


S先生とY先生はその話を聞くと、「少し待合で待っていていください」とBさんを待合に案内してから、二人で相談しました。

S先生「良くわからなかったけど、Bさんが嘘をついてるようには思えなかった。どう思う?」

Y先生「うん、よくわからんけど、普通に考えて、両手で突き飛ばしてもあんな内出血にはならんだろ・・・なったとしたら、肩甲骨付近に損傷あるだろ?画像でもエコーでも何もなかったぞ。」

結局、二人の判断ではBさんがやったと断言が出来なかったため、上位の医師の判断を仰ぐことにしました。仮眠中の管理当直の医師(診療科の副部長クラスの医師)を起こし、事情を説明し、実際にAさんを診てもらうことにしました。

この頃にはもう時間も明け方の4時近くになっていました。管理当直の医師と共にS先生とY先生はAさんのベッドに赴き、静かに眠っているAさんに声をかけましたが、やはり反応はなかったそうです。AさんをS先生とY先生が両脇から抱えて上半身を起こし、管理当直の医師が背中をまくり上げて患部を見ました。

管理当直医師「おい、何もないぞ」

S先生、Y先生「え?」

管理当直医師「救急隊の記録は?ああ、ほんとだ、内出血痕は書いてあるな。でもないよなぁ?」

S先生とY先生はAさんの背中を覗き見ましたが、青紫にくっきりとついていた両の手形も、それらしい大きさの内出血痕も何もないきれいな背中になっていました。


二人は釈然としませんでしたが、管理当直の医師は、「まあ、意識が戻らないなら数日は入院だろ。家族に連絡入れなさい。」と指示を出し、仮眠室へ戻っていきました。


S先生はここまで話してくれて、私に「な?不思議な話だろう?」と真顔で聞いてきました。

私は、「そうですね、で、Aさんは退院したんですよね。何か覚えていたんですか?」と少し興味を持って聞き返しました。


すると、S先生は、少しの間をおいて「いや、それがね、入院したその日の夜に亡くなったんだよ。」と答えてくれました。


驚く私にS先生はその後の経緯を話してくれました。


S先生とY先生はその日の朝、当直明けで昼前には帰宅し、自宅で寝ていたそうです。

Aさんは背部痛と意識障害の症状でしたが、とりあえず意識障害の精査をするために脳神経内科に入院することになったそうです。


当直当番で診た患者を当番後にチェックすることはあまりありません。

それでもS先生とY先生は、Aさんのことが気がかりで自宅で休んだ翌日、Aさんが入院している病棟を訪れました。

脳神経内科担当の看護師にAさんのことを聞くと「昨夜、お亡くなりになりました」と報告され、二人は驚き、Aさんのカルテを見せてもらいました。


カルテの記録を見てわかったことは、Aさんは亡くなる日の22時までは一切起きることなく静かに眠っていたそうです。

ところが、23時頃、突然、目を覚まし、「痛い!痛い!」と叫び始めたそうです。

しきりに背中を自身で触ろうとしていましたが、だんだんとその手を自分の背中の上の方、そして頸の後ろ、最後には両手で頭を抱えるようにして、23時をだいぶ回った頃に糸が切れたようにベッド上で崩れ落ちて息を引き取ったそうです。

その間、病棟で当直をしていた脳神経内科の医師も必死に対応をしていたようですが、あばれないように打った鎮静剤も効かなかったため、緊急手術などの手配も間に合わず、何もできないままだったそうです。


S先生は、「私は長いこと脳外科医として色んな症例を見てきたけど、あれだけはいまだに説明がつかないよ・・・」と言ってその理由を教えてくれました。


S先生は、その当時、脳外科医になったばかりで、勉強のためにもAさんの剖検(病理解剖)にも立ち会ったそうです。


そこで見たのは、激しく損傷したAさんの脳でした。

まるで両手で握りつぶされたかのような・・・。

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