第2話 「推し」に憧れる女子大生

 所変わって、米沢よねざわ工科大学のキャンパス。雪に覆われた校舎の窓から、薄暗い教室の明かりが漏れる。数理工学科の学生・佐倉さくら深雪みゆきは、机に広げたノートと格闘していた。定期考査が迫り、特に選択科目「ニューラルネットワーク」の試験が鬼門だ。



 ニューラルネットワークとは、人工知能の基礎理論の一つで、人間の脳の神経細胞の動きを模倣した数理モデルである。今では、その応用範囲は実に幅広い。数理工学科と情報工学科の多くの学生が、この講義を履修している。そして、担当教員である和久田わくだ和樹かずき教授は、学生の間で「撃墜王げきついおう」と恐れられる存在なのだ。



 学内では「鬼仏表きぶつひょう」なるものが密かに出回り、それには教員の単位取得難易度が「★の数」で評価されている。★の数が多いほど、単位が取りにくい。つまり「鬼」ということだ。各教員の「鬼」の度合いを5段階で評価し、★の数で表している。


 この「鬼仏表」は学生有志が極秘に作成しており、ほとんどの教員が★〜★★★の範囲に留まる。ところが、和久田は学内唯一の最高難度「★★★★★」と評されている。例えば、100人中80人が単位を落とすという噂さえある。


 鬼仏表における和久田の「★★★★★」は、学生たちの間で半ば伝説と化していた。食堂や寮で囁かれる噂では、和久田の講義は「単位を取れたら就活や進学で無双」「和久田を一発でクリアすれば『ゴッド』と崇められる」とまで言われるほどだ。



 深雪はノートに数式を書き込みながら呟いた。「和久田を一発で突破すれば、私も『神』になれる……」


 だが、複雑なニューラルネットワークの理論に頭がクラクラした。友達の美咲みさきがSNSで送ってきた「鬼仏表」の画像を思い出す。「和久田、『★★★★★』ってマジ鬼すぎ……」深雪はため息をついた。



 試験勉強の合間、アパートの小さな部屋でテレビをつけると、「イブニングニュースOKITAMA」が流れていた。画面の中では気象予報士の田上たがみ健次郎けんじろうが、雪雲の動きを熱心に解説する姿。


「明日は冬型の気圧配置で、朝から雪の可能性も……」


 その真剣な眼差し、置賜おきたまの空への愛情が伝わる声に、深雪の心は高鳴った。


「わぁ、かっこいい……。私も、あんなふうに空を語れたらなぁ……」


 田上に憧れ、彼女は気象学の専門書を独学で読み漁っていた。数理工学の教科書と並べた気象学の本は、彼女の夢の証だった。もはや、テレビに映る田上健次郎は、彼女の「推し」と言っても過言ではないだろう。



 だが、ふと、和久田の講義が頭をよぎる。鬼仏表の「★★★★★」が、まるで暗雲のように心にのしかかる。美咲とのSNSのやり取りが蘇った。


「深雪、和久田の試験、マジでヤバい!去年、受講者120人で合格12人だって……」


「マジか!?……でも、単位落としたら進級ヤバいし……」

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