底天一体  ―12万の最果てへ―

鎖鹿山 深字

第1話 探究欲。

「宇宙の果てには何がある?」










こんな質問に、人は答えられるだろうか。そして――


「深海の果てには何がある?」


こんな質問にも、誰も答えられないと思う。


なぜ人は、大きく、より遠いものばかりに目を向けるのだろう。


なぜ人は、実際にいる深海の不思議な生物より、いるかもわからない宇宙人にかれるのだろう。


 


 宏大が眉をひそめて反論した。


「わかってないなぁ。それがいいんじゃないか。存在が証明できないからこそ、いろんな考察ができて、ロマンがあるんだよ。」


「知れるものを知ろうとするのではなく、ロマンや考察を求めて知れるかもわからないものを知ろうと探究するのは遠回りで不条理じゃないか?」


僕がそう言うと、宏大もすかさず言い返した。


「いや、むしろ宇宙のほうがブラックホールだとかダークエネルギーだとかで、この世の真理への近道だろ。宇宙に比べたら深海なんて大したもんじゃないよ。」


「その宇宙を知るためにもまず地球について詳しく知る必要があるんだよ!」



……いつものように、言い争いは長引く。



 


 僕の親友である宇野宮 宏大うのみや こうだいは、宇宙飛行士を目指しているらしい。


そのために普段から運動したり勉強したり、日々努力している。


確かに、宇宙に対する熱意はすごく感じられる。

ただ正直言うと、そういう知識がとびぬけてあるわけでもない。


それに対して僕は、別に運動や勉強ができるわけではないが、海や深海についての知識は、人一倍あると思っている。(思っているだけ)



 僕と宏大は、意見が真逆で、対立することが多い。


例えば、海と森、どっちが好き?という質問をされたら、僕は海、宏大は森。


動物園と水族館、どちらが好き?という質問に対しても、宏大は動物園のほうを選ぶ。


でも、口論ばかりしているからと言って、犬猿の仲というわけではない。

いや、むしろ仲はいいほうだ。多分。


もちろん自分の意見が変わることはないし、納得するわけでもない。

でも、僕は別にこの口論が悪いと思っていない。


普通の人が会話のネタにする、ゲームだとか勉強だとか恋愛だとか。

そういった話が、僕たちにとっては口論や対立した意見に相当するからだ。






 僕の趣味は、釣りをすることだ。

基本平日もそうだが、特に土日は毎週釣りに出かける。


たまに宏大を釣りに誘うこともある。

今日も誘ってみたが、生憎あいにく今日は予定があるらしい。


僕はいつもの釣り場に向かった。


僕がいつも行っている釣り場は、駅からの距離は近いが、他の人が釣りをしているところをほとんど見かけない。


 釣りの準備をしていたとき、海面にかすかに光が浮かび上がったのが見えた。


不思議に思いつつも手を動かし続けていると、その光はだんだんと膨張していった。


どこはかとなく不安に思い、僕は道具を急いで片付けた。


その間にも膨張している光は、まるで大きな引力を持った惑星のように、やがて僕を海に引きずり込んだ。


その時どうやら気を失っていたようで、その時の記憶がほとんどない。

覚えているのは───








 目を覚ました時、まず視界に入ったのは全長10m以上にも及ぶであろう巨大な鳥だった。




いや、果たしてあれを鳥と呼ぶべきだろうか。

体や翼は灼熱の炎のように赤く、眼はまるで金剛石ダイヤモンドのようにきらめいていた。


こんなに巨大で奇妙な飛行生物、図鑑にもインターネットにも載っているはずがない。


そんな錯綜さくそうした情報の中で混乱している暇も与えずに、その怪物はこちらをじっと見つめ、激しい敵意を持って突進してきた。



 なら必死に逃げるだろう。


誰だって死にたくはないし、あんな怪物を見たら、恐怖で衝動的に逃げてしまうのは当然だ。

それほど恐ろしい威圧感だった。


実際、僕も逃げたい気持ちで胸が一杯だった。


逃げなければ襲われる。そんなことは明白だったし、逃げるのが一番合理的だ。





―――でも、見たい。

そして知りたい、調べたい。



そんな探求欲が、恐怖と絶望を凌駕りょうがし勝っていたのだ。


未知なる生物に対する知的好奇心はどうしても抑えることができなかった。


 僕は足を踏み出し、徐々にその怪物に近づいた。


しかし、その生物はまるで諦めたかのように急に威厳がなくなり、逃げようとも襲おうともせずに、ゆっくりと陸に降りてきた。


不思議に思い、その生物の体に視線を向け目を凝らすと、複数の深い傷があった。


弱っているように見えたのは、そのせいだと気づいた。


 僕は助けようと思い駆け寄ったが、その時にはもうその生物はびくともしていなかった。


あの生物は最後まで穏やかで、どこか余裕を持ったような顔をしていた。生物として弱さを見せないために、そういった本能が働いたのかもしれない。


 この生物の死は、自然の生物同士による争いなのか、それとも人間による駆除なのか。


どちらにせよ非情であることに変わりはないが、僕が普段やっている釣りや、食べている肉だって、生物を殺めて、苦しめて得られるものだ。


……そう考えるとどこか矛盾しているようにも感じる。


人間は生物の頂点に立つが、それゆえ残酷で、他の生物にとっては恐怖の存在であるのかもしれない。

そういった可能性を受け入れ、そのうえでまた、生命を奪い生きていくしかない。


でも、僕の心にはやるせなさが残っていた。





 しばらくして、僕はやっと気持ちが収まった。なぜあんな生物がいるのか、ここはどこなのか、いろいろと疑問はあったが一旦忘れて、この周囲を見渡すことにした。


そこは海だった。少し遠くまで歩いてみたが、やはり知らない場所だ。

このままここにいても、何も始まらない。

そう思い、とりあえず僕は海岸に沿って歩いていった。


草臥くたびれながらも歩き続けた。歩いても、歩いても視界に移るのは海と森のみ。

それでも歩き続けるしかない。


きっと実際は10分程度しか歩いていないのだろうが、僕にはそれが1時間以上経っているように感じた。


暫く歩き続けていると、やっと、町のようなものを見つけた。


しかしその町はどこかすたれたような雰囲気で、人がいるかどうかさえも怪しかった。


 町に着くと、そこには植物や木々が繁茂はんもしていて、建物は植物に浸食されていた。


予想したように、人の気配は全くない。それなのにどこか神秘的で、幻想的な景色が広がっていた。

まるでジャングルのような雰囲気だった。


いや、それは過言かも。


いくら人の気配がないからと言って、勝手に建物へ侵入するのは抵抗がある。


とはいえ、この先に他にも町や村がある保証などどこにもない。

今ここで、ここがどこなのか、あの鳥は何なのか手掛かりになるようなものや、人を見つけないといけない。


僕は恐る恐る、建物に足を踏み入れた。


 なんとなく想像はついていたが、やはり中も相当ボロボロで、多くの塵芥じんかいが散乱していた。


他の建物も同じで、中に役立ちそうなものは見当たらなかった。


半ば諦めの気持ちで、最後の建物も調べた。


建物内には机と、その上に一冊の本が置いてあった。


相当古びた本だった。本を開けると、見たことのない文字がズラッと並んでいた。





 しかし、最後のページの一行だけは、はっきりと日本語で「深海約12万m」と書いてあった。

それは現実世界では到底理解できないことだった。


なぜこの文だけ日本語なのかはわからない。


僕は今までの出来事を整理し、一つの結論を導き出した。



あの巨大な生物といい、見たこともない文字と言い、そして何より、「深海12万m」。


これらが意味することは、到底考えられないしありえないが……






――この世界は現実世界とはかけ離れた世界である。

もしくは単に、僕の周りで現実ではありえないことが連続して起きている。


早合点かもしれない。ただのこじつけかもしれない。


でも、

…少なくとも今のところは、そうとしか捉えようがない。


どちらにせよ非現実的であることに変わりはないが。


僕は帰りたいだとか、絶望だとかいった気持ちはなかった。

それよりも好奇心が勝った。


 もちろんなら、これからどうしたらいいのかという不安や恐怖のほうが強いだろう。


でも、僕にとっては12万mの深海という、これ以上にかれるものはない。


それが事実という保証は何処にもない。でもそう信じたい。


 その果てには何があるのか、何がいるのか、それとも何もないのか。

12万の最果てへ向かい、その真実を知りたかった。


 しかしここである疑問が出てくる。


12万mという環境に耐えて探索できるのか、そもそもそんな環境に生物が存在するのか。


後者に関しては、あの巨大な鳥のような生物がいることから考えるに、そのような生物が存在する可能性は否定しきれないが……


12万mの水圧なんて、10,911mの潜航記録を持つあのトリエステ号ですら、いとも容易たやすく押し潰されてしまうだろう。


 そんなことを考えていた矢先、突如として轟音ごうおんがあたりに鳴り響いた。

そして空を見上げ、そこに見えたのは―――







ロケットだった。

 

そして僕は――

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