どうか、どうか、呪われますように……。──或る呪いの手記より
乃東 かるる@全快
第一回:藤の香りと、薄紅の衣
呪いとは、心の奥で熟れてゆく果実のようなもの。
「どうか、どうか、呪われますように……。」
わたくしの胸中で、その言葉は何度も、何度も、
口に出せば
この家に嫁いで十二年。夫は、わたくしを何不自由なく養ってくださいました。
夫、
金銭も、着る物も、食べる物も、わたくしには
わたくしも、そのような夫に感謝し、慎ましく、そしてひたむきに、妻としての務めを果たしてまいるつもりでございました。
しかし、この世の美しいものには、往々にして毒が潜むもの。藤の花の紫は、どこか
あの女が現れたのは、今年の春先でございました。
夫が
とある夜会で、夫が親しげに女性と話しているのをお見かけしたのが、始まりでございました。
薄紅の
けれど、何よりわたくしの心に残ったのは、その女の微笑でございました。どこか人を見透かすような、あるいは、品よく包んだ嘲りのような……あれは、上等な香水に潜む、わずかな硫黄の匂いのようなものでございます。
夫は、その日以来、何くれとなくその女の話題を口にするようになりました。
「料亭 葉月のあの娘は、教養がある」
「あの娘は、実に気が利く」
と。初めのうちは、ご
しかし、その言葉の端々から感じられる、ある種の熱。
そして、わたくしを見る夫の眼差しから、次第に熱が失われていくのを感じた時、まるで、私の顔の向こうに、別の誰かの姿でも映っているかのような、遠い眼をしておりました。
……心に得体の知れない冷たいものが忍び寄ってまいりました。
あれほど注がれていた情愛が、徐々に、しかし確実に、別の場所へと移ろいでいくのを、ただ黙って見ていることしかできませんでした。
それは、まるで、わたくしの中から血が抜かれていくような、静かで、しかし確かな死の感覚でございました。
そしてその夜、ひとつの“願い”を、心に据えました。
――どうか、どうか、あの女が呪われますように。
---
### 次回予告
あの人の手は、誰の肌に触れているのかしら……?
白檀じゃない、もっと安くて甘ったるい、浅ましい匂い――アタシには、よくわかる……ご同類だもの……。
背を向ける夫。冷えた膳。
ひとつ、またひとつ、奥方は絶望を積み重ねちまうのかねぇ……。
ふふ……さあ、次はどんなお顔を見せてくれるかしら。
■次回更新は7月30日です
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます