ファミレスと孤独
じゃすぴ
エッセー
私はいつもいつもいつもここでは一人。仮にあの人が一人でファミレスでメニューを見ているところを想像する。とてもやりきれない。あんなに可愛く笑う人が一人だからむかつくし、そうさせている人に怒っている。もちろんこれは当たり前に私のエゴだ。私が生きている世界では許されないことだ。だからこの平面の世界に残しておこうと思う。だからこれから先に書くこともジョークだと思って聞いてほしい。
たとえサークルの友達とファミレスにいても、遠くの向かいの席に知人が座っていても、ファミレスでは私たちのつながりを絶たれるような感覚になるのは私だけだろうか。でもあまりに商業的な背景を通してみる個人はありえないくらいどうしようもなくその個人で、それが際立つというファミレスの性質上それは必然で、どうしようもないことだなとも思ったりする。私はここでは孤独になれる。ファミレスはそれが可能だ。
ここにいると誰かと散歩をしている時よりも、一緒に課題をしている時よりも、音楽をしている時よりも、ひとりだと感じてしまう。それはファミレスでは知っている、または知らない他者と同じ時間を共有しなければならないという強制から来ているのかもしれない。あるいはそういう空間自体がありえないからかもしれない。プラスチックの椅子、安いメニュー、ドリンクバー、朝も昼も夜遅くも、ここは駅ビル二階に存在している。私がたとえどこにいて何を思っていようと営業中だ。ありがたい。そしてファミレス、お前のことを常に考えている奴なんかいない。俺たちはずっと孤独だ。お前は俺の味方だったのか。だからここではお前のことばかり考えてしまう。なんでったって事実紛れもなくいま私は孤独だから、お前もそうであるように。そうだったんだね、また時々あなたに会いに来るね。
だから隣のカップルはやたら距離が近い。ファミレスの孤独を感じ取って決して離されまいと、孤独に侵食されないように、わざとらしいキスをする。私はありありと食い物にされているし、そうしてこれを書いているし。ここで働くなんて多分耐えられない。それほどに私はファミレスとファミレスの孤独を愛しすぎている。これはエゴかな。
うれしかった。物理の先生が斜陽を知っていたのだ。私は高校生の時に数学教師に彼の本を読んでいることを馬鹿にされた。そのことで趣味を外に出すのが億劫になってしまった節はあると思う。いまは嘲笑でももういい。とにかく斜陽が他者に認知されていることがうれしい。最近は自分がどんな自分であっても受け止めようと覚悟ができていて、もう誰に何を思われても生きていける。完全には無理だけど少なくともそう思っているから、まだそんな覚悟はないけど、傷つかない準備は昔よりはできている。そうして私はどんな姿でも孤独のファミレス君を認めるし応援している!
多分躁鬱なんだと思う。長年それで苦しいことは、眠れない夜はそれなりにあったんだと思う。今日は比較的激しめだった。朝起きて胸の下あたりが胸やけみたいに苦しい。そもそも寝坊だ。ノーメイク適当な服を着る。でも学校に行くと大好きな物理ができる。食欲がない。ゼリー飲料を無理やり押し込む。煙草を吸う。疲れたので家に帰ってベッドに横になる。自分の無力さに絶望する。シャワーを浴びる。音楽を聴く。少し元気になる。そうやってやっと活動できる。図書館に行き勉強する。24時間もあって今は集中して机に向かえるのも数時間になった。自分の虚弱に押しつぶされそうになる。お腹がすいたから学校を出る……。そろそろ通院したいなという思いもあったので、頼れる知人に相談してみた。なんかこんな軽いことだったんだと思ったし、友達にも話してしまった。びっくりしていたけれどなんだかその日の昼寝はよく眠れた。そして今ファミレスにいる。先生にも質問行けたし、今は物理がとても楽しい。これからもそうだといいな。
健康第一とはとても頭でっかちで結論早いことばだなーと思うけど、やっぱり体が一番大事だ。音楽をするのにも、歌を歌うのにも、友達としゃべったりカフェに行ったり、あの人を愛するにも、眠ることさえも体力なきゃできない。あとファミレスに来ることにも。会計行くか。
ファミレスと孤独 じゃすぴ @zyasu_13
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