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 来客用スペースは少し前までの張り詰めた緊張感はなくなっていた。


 だが、いまは張り詰めた感じはなくなっているが、別の緊張感が漂っていた。


 その緊張感とは講義によるものだった。


 普段は麻衣が魔王に対して配信者についての講義をしている。


 だが、いまは魔王による講義。


 それも現代社会に関するものであった。


 特に魔王が語ったのは、「WDA」を各国が拒めない理由についてである。


 魔王は各国の利権についての詳細を語り、そこからいきなり結論を言った。


「利権を握るからこそ、各国は「WDA」を拒むことはできないのだ」と。


 いきなりの結論は、講義を受けていた朝陽と麻衣にとっては困惑するしかなかった。


 順序に沿って話をされていたのが、いきなり結論に飛んだという風にしかふたりには思えなかった。


 そんなふたりに魔王はひとしきり笑った後、講義の続きをいま始めようとしていた。


「結論から先に言ったけれど、利権を持つがゆえに国は「WDA」を拒めないことは事実だよ。でも、それはどうしてだと思う?」


「……どうしてって」


「その国だけダンジョン黎明期に戻るから、ですよね?」


「そう。その通り。でも、それがどうして「利権を持つがゆえに「WDA」を拒めない」ということに繋がると思う?」


「……繋がる理由」


「うーん」と朝陽は両腕を組みながら考え始める。


 魔王による講義は、結局のところ「WDA」と各国の関係についてであった。


 だが、その関係こそが魔王が世界を牛耳っている理由へと繋がる。


 朝陽と麻衣はすでに自分たちが魔王側にいることを理解していた。


 理解しているからこそ、魔王の講義を真剣に受けている。


 そして今回の講義は魔王がどのようにして世界を手中に収めたのか。


 その理由についてのもの。


 魔王はいかにして世界を実効支配したのか。


 言うなれば今回の講義は、抜き打ちテスト。


 そのテストを供に受けながら、朝陽と麻衣は揃って思考していく。


 魔王が語った内容から、どのようにして「「WDA」を各国が拒めないか」の答えに繋げるのか。


 ふたりは真剣に悩みながら、答えを導きだそうとしている。


 真剣なふたりを魔王は優しげに見守り、エリザは魔王のそばで「この程度なら答えられて当然」と言わんばかりの態度でふたりを見つめていた。


 そうして魔王とエリザの視線に晒されながら、ふたりはしばしの間悩んでいた。


 その間、ふたりの悩む声と時折魔王が紅茶によって唇を濡らす音だけが魔王の私室がこだましていた。


 ふたりが悩み始めてどれほどの時間が経っただろうか。


 朝陽がしかめっ面で頭を抱え始めた。


 どれほど考えても、魔王の語った内容から、「「WDA」を各国が拒めない理由」に辿り付けられなかったのだ。


 とはいえ、「わかりません」などと言えるわけもなく、朝陽は再び両腕を組んで悩みに悩んでいた。


 その隣にいた麻衣も同じように考えていたのだが、「あ」と少し大きな声を上げて、目を見開いたのだ。


 麻衣は「もしかしてなんですけど」と前置きをしてからようやく辿り着いた答えを口にした。


「他の国に攻め込まれるからですか? ダンジョン黎明期に戻るなんて状況に陥っていたら、他の国にとってはその国の利権を奪うチャンスだし」


 麻衣が口にした答えは、人道的に言えば問題がありすぎるものであった。


 あまりにもひどい内容だが、麻衣は「これしかない」という顔で頷くも、朝陽は若干呆れた顔をしていた。


「麻衣ぃ、さすがにそんな火事場泥棒みたいなことなんて──」


「正解」


「──え?」


 麻衣が口にした答えを聞き、朝陽は「火事場泥棒のようなものだ」と批判するように言うも、魔王はその答えを「正解」と言った。


 朝陽にしてみれば、あまりにも外道にもほどがある答えではあるが、魔王はその外道な答えこそが「「WDA」を国が拒めない理由なのだ」と言い切っていた。


「い、いまのが答えなんですか? でも、それはさすがに」


 魔王の答えに朝陽は戸惑っていた。


 朝陽にとってみれば、それはあまりにも外道なものだ。


 それこそ人道からは明らかに外れている。


 困った人に手を差し伸べるのではなく、困った人をより陥れる手を打つなど、人がすることではない。


 とてもではないが、信じられるものではなかった。


 朝陽の様子を見て、魔王はひとつ息を吐いてから、「無理もないか」と頷いた。


「アサヒちゃんが「火事場泥棒」っていうのはよくわかるよ。たしかに相手が戦渦に曝されている中、武力介入して利権を奪うなんてことは、誰がどう見ても外道だ」


「はい。さすがにそんな外道なことを」


「だけどね? 歴史というものは勝者が紡ぐものだ。勝者はいつも順当な者がなるものではない。最後まで生き残っていた者が勝者となる。そのためにはどんな手段でも使うものだよ」


「で、ですが」


 魔王の言葉を朝陽はすべて受け入れることはできなかった。


 しかし、言わんとしていることは理解できていた。


 魔王の言う通り、歴史は常に勝者によって紡がれてきた。


 時には敗走確実という状況から盤面をひっくり返して勝者となった者もいる。


 そうした勝利を重ねて、最後まで生き残った者こそが「勝者」として歴史を紡いできた。


 それは普遍の事実であり、学生とダンジョン攻略者兼配信者として二足のわらじで生きる朝陽からしても決して否定できるものではなかった。


 否定できるものではないが、それでも朝陽には思うところはあった。


 いままでの人生で、「人として正しいこと」を当たり前のように行ってきた朝陽にとって、麻衣が辿り着き、魔王が認めた答えは決して肯んずることはできなかった。


 だが、それも続く魔王の一言で認めざるをえなくなってしまう。


「じゃあ、アサヒちゃんさ。この前の動画みたく、バックスタップなしでゴブリンどもと戦えって言われたらどうする?」


「え?」


「あの動画だと隠し通路を見つけて、ゴブリンどもの背後から音もなく強襲したからこそ、無傷で生還できた。だけど、その隠し通路なしでバックスタップも狙わずに正々堂々とあいつらと戦って無事に生還しなよと言われたら、君はどう答える? 八つ星攻略者の「クレイジーアサシン」はどう答えるの?」


 まっすぐに魔王は朝陽を見つめた。その視線を浴びながら朝陽は声を詰まらせながらも、「……できません」と素直に返事をした。


「……魔物と私たち人間ではあまりにも身体能力に差があります。たとえ最弱のゴブリンたちとはいえ、成人男性と変わらない能力があるんです。そのうえで彼らはあまりにも多勢。その多勢相手に真っ正面からぶつかるなんて、それも単独で相手取るなんて無謀にもほどがあります」


「そうだね。魔物と人とではあまりにも身体能力に差がありすぎる。繰り返しになるけれど、ゴブリンたちと言えど、一般的な成人男性と身体能力という点において差はないんだ。そんな連中が多勢となって襲いかかってくる。それを単独でかつ無傷で生還するなんて、それこそ物語に出る勇者であってもそう容易いことじゃない」


「……はい。だから、人は戦術や戦略というものを編み出したんです。どんなに多勢が相手だろうと、どんなに実力差があろうとも勝つための術。それが戦術であり、その戦術を局所的ではなく、大規模にしたものが戦略で──」


「そう。そしてそれが国が出した答えなんだよ」


「──え?」


 朝陽は幼少の頃から父である朝三によって鍛えられてきた。そうして得た価値観を語っていた。


 その途中で魔王は言った。それが各国が出した答えなのだ、と。


「戦術ではなく、戦略を前提として彼らは答えを出したのさ。「困ったときに手を差し伸べる者たちなどいない。いるのは簒奪者たちのみだ」と。魔物たちへの対処だけで手一杯なところに強襲されれば、抗うことはできない。ダンジョン黎明期を思い起こせば魔物たちだけで手一杯となるのはわかることだ。そしてもし自国ではなく、他国でそれが起きれば簒奪に乗り出すことなんて、誰もが考えることだ」


「……だから、そうならないために、そもそもの原因となる魔物たちに蹂躙されないために、「WDA」を受け入れるしかない、ってことですか?」


「その通り。それにデメリットだけではないからね。メリットはアサヒちゃんもマイマイちゃんもわかるでしょう?」


「……ダンジョンの資源ですね」


「そう。「WDA」を受け入れれば、魔物たちによる蹂躙をされないうえに、ダンジョン攻略者たちによるダンジョンの資源を受け取ることができる。そのダンジョン攻略者たちによって国の市場が活性化することにも繋がる。活性化すれば富の分与や仕事の斡旋などにも繋がる。「WDA」を受け入れるということは、侵略を受けないことはもちろん、国そのもののが豊かになることにも繋がるんだ。魔物という脅威がそのまま自分たちの生活を支えるための礎になる。ね? 各国が「WDA」を受け入れざるをえないのは当然じゃないかな?」


 魔王が脚を組みながらも、上品に紅茶を啜る。エリザは少し溜め息を吐いているものの、特になにも言わないことからお目こぼしをしているようだった。


 魔王主従のやりとりを眺めながら、朝陽は理解した。理解せざるをえなかった。


 こうして世界は実効支配されたのだ、と。


 戦略的に考えると、魔王の言う通りなのだ。


 利権を握る国を大軍として踏まえたら、その大軍がわざわざ隙を晒してくれたのだ。そこを攻めないなんてことを誰がするものか、と。


 しかもその隙は相手の戦術ではなく、相手からしてもどうしようもない、対処しようのない隙であればなおさらだ。


 たしかに人道的に見れば間違っている。しかし、戦術ないし戦略的に見れば正しいことなのだ。


 ゆえに朝陽は否定できなかった。否定することができなくなってしまった。


「アサヒちゃんの言うこともわからなくはないんだ余。アサヒちゃんの言うことは素晴らしいことだ。人としてとても素晴らしい。だけど、同時に甘っちょろいことでもあるんだよ。世間は、社会は、そして世界はそんな甘っちょろいことだけでは決して生き抜けないものなんだからね」


 魔王はまっすぐに朝陽を見つめていた。その視線はとても鋭い。が、それでいて朝陽への気遣いに満ちていた。


 優しくも厳しい視線。


 大人の姿の魔王と同じまなざし。


 そのまなざしを受けて、朝陽は「……わかりました」とただ頷いた


 魔王は「そう」とだけ言うとそれ以上はなにも言わなかった。


 清濁合わせ呑む。


 その言葉の意味を朝陽はいまようやく理解できた気がした。


 そして同時に「いままでのようにはもう振る舞えないな」と心の底から思った。


 それはどこか物悲しくもあるが、それでいてどこか爽快感もあった。


 一皮剥くことができたことに対する喜びというべきなのだろうか。


 父上が知ったらどう思うのかな、と朝陽はわずかに考えた。


 だが、すぐに「どうでもいいか」と思い直した。


 そんな自分の変化に戸惑いつつも、これでまたひとつ魔王に近づけたと朝陽には思えた。


 それがなによりも朝陽には嬉しかった。


 朝陽の変化に麻衣はわずかに戸惑っていた。対して魔王はその変化をただ受け入れている。


 ふたりの様子に朝陽は気づくことなく、自分の変化をただ受け入れたのだった。

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