未来への約束(後編)

高校の卒業式は、あっけないほど静かだった。

まるで日常の一部のように流れていき、気づけば式は終わっていた。


けれど、結衣の中には確かな変化があった。

「嘘ノート」を通じて、本当に大切な人に出会い、自分の想いを見つめ直し、そして、伝えられた。

それだけで、この三年間が意味のあるものになった気がしていた。


春の陽射しが差し込む教室で、卒業証書を手にした結衣は、黒板に小さなメッセージを書いた。


「また、ここで会おう。いつか、ほんとうの自分で。」


それはかつての自分へ、そしてこれからの自分への手紙だった。


「おーい、結衣!」


廊下から、聞き慣れた声が飛んでくる。

柚葉だ。制服の裾を片手で押さえ、靴音を響かせながら近づいてきた。


「ほら、慧が校門の前で待ってるよ。写真撮ろうってさー」


「え、うそ……ちょっと待って!」

慌てて髪を直しながら、結衣は笑った。


「なんだか、昔と全然ちがう顔してるね」

柚葉がそう呟く。


「え?」


「前はさ、誰かの“言葉”で生きてたのに、今の結衣って、自分の“想い”で動いてるって感じ」


「……そうかな」

照れくさくて、けど少しだけ誇らしくて、結衣は目を細めた。


「うん。かっこいいよ。……あんたは、ちゃんと“嘘”を超えたんだね」


***


校門の前には、慧がいた。

卒業証書を片手に、やけにまっすぐ立っていて、それがなんだかおかしくて、でもちょっとかっこよく見えた。


「遅いぞ」

慧は笑った。


「女子は身だしなみが大事なの!」


「そりゃ失礼」


そう言い合いながら、三人は並んで写真を撮った。

シャッターの音が響いたあと、誰も何も言わず、しばらくその余韻に浸っていた。


そして、慧が静かに言った。


「……俺たち、変わったよな」


「うん」

結衣も答える。


「“嘘ノート”があったから、ここまで来られた。でも、これからは――」


「“本当”で進んでいこう」

柚葉が言葉を繋いだ。


誰かに伝える言葉は、いつも不安がつきまとう。

それでも――だからこそ――その一歩には価値がある。

たとえ傷ついたとしても、自分の気持ちを偽らずに伝えること。

それは、あのノートよりも、ずっと強くて、ずっと優しい魔法だった。


***


春の風が舞い、桜の花びらが宙を舞う。


「これから、どうするの?」

柚葉がふと尋ねる。


「私、大学で心理学を学びたいんだ」

結衣は言った。


「言葉の力って、すごいと思った。だから、ちゃんと知りたいの。人の心がどう動いて、どう支え合って、どう傷ついて、どう癒えるのかって」


「そっか……」

慧が頷く。


「俺はね、教師になりたいと思ってる」


「慧くんが先生? うーん……厳しそう」


「そりゃあ、生徒には本気で向き合いたいからな」


「じゃあ、私は自由人でいいや〜」

柚葉は笑って、空に向かって大きく伸びをした。


それぞれの進路は違う。

だけど、想いは同じ方向を向いている気がしていた。


「また、会おうね」

結衣が言った。


「もちろん」

慧が頷く。


「絶対、また再会しよう。今度は、“言葉”じゃなくて、“想い”だけで分かり合えるくらいの仲で」


***


時が流れ、季節は巡った。

再び春が来た頃、結衣は一人、あの校舎の近くを訪れた。


校舎の裏手、古びた倉庫の扉は今もそこにある。

もう中には何もない。ノートも、記憶も、すべてが時の流れに溶けていった。


それでも――


「……ありがとう」


彼女は静かに頭を下げた。


かつて“嘘”を書き続けた手は、今、“本当”を紡いでいる。

もうあのノートはいらない。けれど、あの時間は決して無駄ではなかった。


それは確かに、彼女を強くしたのだから。


夕焼けに染まる空の下、結衣は歩き出す。

どこまでも続く未来へ。

もう、誰の言葉でもない、自分自身の言葉で。


「――好きって、言えてよかった」


風が吹いた。

まるでそれが、かつての“言葉のない手紙”への、静かな返事のように思えた。

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