背伸び

西野 夏葉

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 空を突き刺す高層ビルに躊躇せず入館し、片手にはスタバで買ったコーヒーを持ちながら、首からぶら下げた社員証をタッチしてセキュリティーゲートをくぐる。

 そんな人生を送ってみたかった……といずれ火葬場で骨までウェルダンに焼かれるまで言い続ける人生は送りたくなかった。他人の気持ちなんて結局分からずじまいでも、自分の気持ちだけはほんの僅かなトゲやざらつきでさえ鮮明に感じ取れる。一度諦めてしまえば、ずるずるとどこまでも諦めてしまうのが福山妃奈子ふくやまひなこという人物なのだと、私はよく理解していた。


 小さい頃から、一度決めたら梃子てこでも動かないことで両親や学校の教師を困らせてきた。よく言えば努力家、悪く言えば頑固であり、大抵の場合は悪く言われて育ってきたけれど、私からしてみれば他人から何を言われてもどうでもよかった。

 人生は選択の連続であり、他人から唆されたり、または強制的に選ばされた選択肢が誤っていたとしても、最終的にその責任を負うのは自分自身だ。あんたが十字架を背負うなら別だが現実はそうじゃない……と親に面と向かって言う我が子はたいそう憎たらしかっただろうが、結局私は自分の決めたことを貫き通して現実のものとしてきたし、受験に受かったり内定が出たときには親たちもなんだかんだ言って喜んでいたから、特に罪の意識は残っていない。


 仕事とはそれ自体を生きがいにするため選ぶものではなく、生活を維持しつつも別の生きがいを守り抜くために必要ないち手段でしかない――という発想に至らなかった私は、単に冒頭で述べたようなキラキラしたオフィスワークが送れそうな会社を選んで就職活動に励んだ。その場しのぎでそれらしい嘘をつくのはこの国の政治家たちも日常的にしている十八番である。そのとおりに振る舞って、本当に東京の中心に本社を置く大手企業に入ることができたのだから、これはもう国民栄誉賞とかを授与されて園遊会に招待を受けても不思議ではない……と思っていたのは私だけのようで、現実にはそんな存在など掃いて捨てるほどいるのだった。

 それも周囲の同僚は、私のように爪先立ちでなんとか背伸びをして戸棚に指をかけた存在でなく、背伸びどころか踏み台すら使わずとも、やすやすと棚の上のものを手に取ることができる人間ばかりだ。


 そのことに劣等感を覚えこそすれ、今更投げ出しておめおめと田舎に帰るわけにもいかない。生まれ持った背丈が足りないなら背伸びをすればいいし、それでも足りないというのなら、敷きたてのアスファルトを歩くだけで穿つことができそうなハイヒールを履けばいいのである。


 やがてじんじんと痛み出す爪先には、気づかないふりをする必要があるけれど。

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