柏の木の下で、また春を待つ

Chocola

第1話

 祖父母の葬儀が終わってすぐの春の日、私は家にひとりきりになった。


 リビングの床に、白い線香の煙がゆらゆらと揺れていた。遺影に映る祖父母は、笑っている。私の両親は、その写真に一度も目を向けなかった。


 「全部、この子に渡すって? ふざけてるわ。どう考えても親の私たちが優先でしょ」


 母がそう言って声を荒らげ、父は黙ってソファに座ったまま、腕を組んでいた。


 祖父が生前、法的にすべての財産を「孫娘・柚乃に渡す」と書いていた。家も、貯金も、何もかも。そうなることは私も知っていた。けれどそれを、両親がどう受け取るかまでは予想できなかった。


 「もういいわ。あの人たちの教育のせいで、この子も変に大人びてさ。こんな家、出ていくから」


 それが母の最後の言葉だった。


 数日後、父もいなくなった。



 私は、中学一年生になったばかりだった。


 でも、朝はきちんと起きて、お弁当を作って学校へ行く。祖母に教わったレシピは、私の頭の中にちゃんと残っていた。


 困ったのは役所や銀行、学校への届け出。未成年である以上、すべてに「保護者の同意」が必要だった。母も父も、もう連絡はつかない。


 そんなとき、ひとりの女性が現れた。


 「やっぱり、こうなったか」


 スーツ姿で現れたその人は、父の姉、私の叔母――柊木 瑞希さんだった。



 「うちの弟、ほんっとにダメな男だったから」


 そう言って、瑞希さんは私を抱きしめた。


 「ごめんね。もっと早く動けていればよかった」


 私は泣かなかった。ただ静かに、首を横に振った。


 「大丈夫。おばあちゃんが言ってた。“柚乃はちゃんとやれる”って」


 瑞希さんは、私のことを“引き取る”のではなく、“特別養子縁組”という形を選んでくれた。


 「親になれるとは思ってないけど、味方にはなれる」


 その言葉が、少しだけ胸に響いた。



 家には、大きな柏の木がある。


 それは、私がまだ小さかった頃、祖父と一緒に植えた木だった。成長が遅くて、何年も見た目は変わらなかったのに、ある年から急に枝を伸ばし始めた。


 祖父はいつも言っていた。


 「柏はな、葉を落とさずに冬を越す。強い木だ。お前も、そんなふうに生きられたらいいな」


 だから私は、どんなに寂しくても、泣かなかった。泣いたら葉が落ちてしまいそうだったから。



 瑞希さんと一緒に役所へ行き、銀行へ行き、学校の先生と話し合った。学校では保護者欄に「叔母(特別養子縁組済)」と書かれた。


 同級生の何人かは、その事情を聞きかじって噂した。けれど私は気にしなかった。


 それよりも、瑞希さんが家に来てくれることの方が嬉しかった。


 「今日も遅くなるけど、帰ったらハンバーグ作るね」


 そんなメッセージがスマホに届くたび、私は「うん」とだけ返した。絵文字も顔文字もつけない返信。でも瑞希さんは、それでじゅうぶんだって言った。



 5月のある日、私は学校の帰りに庭へ回り込んだ。


 柏の木は、今年も新芽をつけていた。冬を越えて、また春がやってきたのだ。


 私は柏の木の幹にそっと手を置いた。


 「ねえ、おじいちゃん。私、ちゃんと独りでやれてるよ。でも……」


 言いかけて、やめた。


 そのとき、玄関のほうで鍵の開く音がした。


 「ただいまー。おやつ買ってきたけど、晩ごはん前には食べないって怒られる?」


 「怒らない」


 私は笑って答えた。


 柏の木の下、吹いた風がやさしかった。

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