鍵屋薫の事件簿 「畝傍、回航セリ」
高領 つかさ (TSUKASA・T)
鍵屋薫の事件簿 「畝傍、回航セリ」 1
「なんだって俺達がヨーロッパの連中の手伝いしてやらなくちゃいけないんだよ?」
若い声が文句をいっている。それに低く錆の利いた声が鋭く云う。
「黙ってやれ」
「ちえ。」
文句をいう声が濁流に響いた。声が反響して洞窟の隅々に届いていく。
暗い水流を下に、洞窟の天井から黒いカーボン製の細いロープに下がっていた黒いボディスーツの若者がするりと降りる。
年の頃は十七、八だろうか。
若々しい面に悪戯な色を刷き、いまにも口笛を吹きそうだ。
水流の波立つ上に手袋をした手を差伸べ、まるで何か、――そう鍵をまわすような仕草をする。もっともそこは唯の空中であり若者の手にも何も無い。
いや。
なにも、―――なかった。
そのときまで。
「よし、OK!」
「静かにやれ」
いきおいよく弾けるような若者の声に低い声が咎める。
黒手袋をした若者の右手には、―――古い革に金張りを施した本。
宝石を散りばめた古い歳月を思わせる本を片手に若者の黒い瞳が明るく笑う。
「やったね」
にこり、と綻ぶと随分無邪気な印象だ。
整った顔立ちに日に焼けた肌、短い黒髪の若者にあきれた声が飛ぶ。
「黙ってやれといっている。まだ終っていないぞ。代品をいれておけ」
「はーい、はいはいっ、と。ちょっとまってくれよっ、と」
調子よく云うと手にした古い本を黒い密閉型のポーチに入れ、空気を抜いて真空状態にしてからバックパックに収める。
そして同時にバックパックから取り出したのは、いま奥に入れたばかりの本と瓜二つの書物。
「さてっと、いいこにしてろよ、――良い眠りを」
くちびるに指をあて取り出した書物に指先をふれると慎重に片手でロープを持ち足をついてバランスをとる。
「今度は此処か。いいこだね、おとなしくしてろよ」
にこり、と魅惑的に微笑むとまるで誰か口説きでもするように話し掛けて指先を伸ばす。
「美人だね。そうそう、いいこ、―――うん、ひらいた」
カチリ、と。音がしたと思えたのは気のせいだろうか。
濁流が流れ洞窟には水流の激しい轟きだけがあるはずだが。
音が、まるで鍵が開いたときのように。
「さて、と」
そして、豪華な宝飾に彩られた革製の書物を持った若者の手が伸ばされる。何も無い空間。
水面の踊るそこへ。
手の先で、書物が。
消えた。
黒手袋の指先が一瞬書物と共に消え、こちらに戻る。
そして、指先がまるで何か鍵でも閉めるようにして動く。
カチリ、と。
幻の鍵が閉じる音が響いた。
この世に無い、幻の鍵。
鍵であれば、どんな鍵でもあけてみせるといわれる。
それがこの世に無い扉でも既に失われた扉でも。
必ずあけることができると伝えられる――存在。
鍵屋二十七代目、関屋薫。
当主を継いだばかりの若者が得意げに黒瞳を輝かせてくちにした。
「お仕事完了。おれって天才だね」
気持ちよさそうに云う若者に、冷やかな声が云う。
「撤収するぞ。」
「はいはいっ、はいっ!」
水流が激しさを増し若者の声を呑み込む。水面と洞窟を何処かから照らした光が移動していき若者の姿も闇に呑まれる。
後には、波立つ地下水流だけが闇に残されていた。
「まったくさあ、いい加減いやになるよな。こう出張ばっかりだと。何でさ、俺達日本の若者がヨーロッパまで行って協力しなくちゃいけないわけ。この間は新大陸だしさ。いやんなるよな、本当。おれの仕事場は本来日本なんだけど。先祖代々」
ぼやいているのは、黒瞳の鮮やかな若者である。先に地下水流の流れる洞窟に居た関屋薫だ。どうも、そこで先にしていた仕事が気に入らなくて仕方無いらしい。
何処か地下のロッカールームと思しき場所で黒いボディスーツからカジュアルなジーンズとTシャツに着替えながら文句を続けている薫に低く声が云う。
「薫。ここでもう一度協定について話してほしいか?先祖代々から、我々は仕事で協力する協定を結んでるんだ。それこそ、時の政府が幾つ代替わりしようと関係なしにな」
良く響く低い声は先に洞窟で薫を咎めていたと同じ声だ。いまは高い背を無造作に入り口に凭れさせて軽く薫を見る。痩せた頬に鋭い眸の男性に薫が片眉をきれいにあげてみせる。
「いつのまに着替えたんだよ?もうアフターファイブか?夜の私生活に命賭けてんのもいい加減にした方がいいぞ?」
「さてな。だが、良い女がいるなら、夜も捨てたものでもないだろうさ」
微笑していう男の高級な麻のダークスーツ、さり気無く手首に見える時計も無造作に履く靴も。背の高い痩せた頬のこの男が身に着けている総てが本当に高級な品であることは薫も知っている。
口を曲げて、Tシャツとジーンズ姿で側を通り抜けようとする薫に男が手を伸ばす。
「はいよ」
その掌に薫が黒いパウチを落す。何処から取り出したのか、それまで何処にも何も持っているようには見えなかったが。けれど男もそれに驚く風は無く淡々とパウチをひらく。
「おい、あけるなよ。」
思わず足を止め黒瞳で睨む薫に構わず骨張った手が無造作にパウチをあける。
中から出てきたのは、豪華な宝飾の書物。
古色を帯びた妖気すら溢れそうな本。
いや、確かに、―――書物が晒された瞬間、周囲の光が減じたように思えなかったか。
闇が急速に落ちる。
書物の在るその周囲に。
禍々しい気配が澱のように澱み闇に閉ざされる。
に、と浅く笑みを飼い男が本を見つめ本を直に手にする。
「いーのかよ、まあ、あんたならいいのか?」
「無論だ。伊達に松平はやっていない」
にや、と嗤う男、松平の手に触れた瞬間、書物の持つ禍々しさが減じたとおもえたのは錯覚か。
まるで光が復活したように。
いや確かに松平の手が触れると同時に書物の持つ輝きが落ち、周囲の光が明るさをました。書物は既に唯の古びただけの本となっていた。
松平の手に触れて。
「古の封印を解きたがるばかは洋の東西を問わずにいる。その連中が封印を掘り当てても構わないように先手を打って本物と偽物をすりかえておく。大事な仕事だぞ?」
おかげで世界は滅びないんだ、とからかうように云う松平に薫が渋面を作る。
「そりゃそうだけどさ。だから、そういうの向こうの連中にやらせればいいじゃん。大陸なら大陸のさ。何でこの島国から出張しなくちゃいけないんだよ?」
くちを尖らせて云う薫に松平が書物を片手に笑む。
「知ってるだろう。宗教上の規制が無い方がやりやすいんだ。それに、関屋薫三等陸曹」
「なんだよ、おれまだ正式には入隊してません。松平薫三等陸佐殿っ」
ふざけて階級で呼ぶ松平に睨みつけ呼び返す薫を面白気に眺める。
顎に手を当てて、楽しげに笑む。
「非公式に既に俺の指揮下にあるんだからいいじゃないか。ちゃんと訓練してやってるだろうが。それに、貴重な民間人の特殊技能保持者に協力頂いてるんだ。一応仮にでも階級をあたえておかないと指揮系統で困るだろう。貴重な民間人の特殊技能保持者の関屋君」
薫が眉を寄せて松平を睨む。
「あんただって特殊技能の保持者だろーがっ!」
睨む薫に松平が浅く笑む。
「俺は、民間人じゃない。この国を防衛する公僕でね。」
「――ったく、誰が公僕だよ?」
「俺だ。これ以上公明正大無私無欲につくしてる公僕はそういないぞ」
「いいきるなよ、あんた」
云うと薫が額に手をあてる。松平の方は自身で云ってまったく涼しげである。
「ひでえよな、あんたって」
「非公式とはいえ教官だからな、おまえの。教官というのは、大概生徒を痛めつけるものだと相場が決まっている」
「決めるな、あんた」
頷きながら云う松平に、額から手を離し見あげる薫がにらみつける。
薫の身長も平均身長より高い方だが、相手はさらに上を行く抜きん出た長身で。痩せた身に削げた頬、薄く細める眸の持つ迫力に薫が踏ん張って見つめ返す。
と、さら、と松平が身を起こした。
そのまま、入り口から歩き出して行く。
「お、おいっ!」
思わず後を追い掛けていく薫に、松平が振り向く。
「な、なにっ!なんだよ!」
渾身の力を込めて睨む薫に松平が優しく笑む。
「いずれにしても、洋の東西を問わず、伝統技能の保持者は少なくなっているということだ。関屋」
微笑み掛ける松平に薫が渋面をつくる。
「それでおまえのような高校生の素人でも、非公式に使わなくてはならんことになる。だが安心しろ、ちゃんと俺がおまえの身辺に危害が加えられないよう守ってやるから」
笑う松平に薫が拳を握る。守ってもらうなんていわれてうれしいわけがなかった。そうでなくても鍵屋としての薫に依頼が入るときは有無をいわさず松平が護衛に就く。
――こんなおっさんに守ってもらう必要なんてないっ。
睨んで思う薫だが、実際口に出すにはつまってしまう。
「あのなあっ!」
何とかそれだけいって睨むが楽しげに松平は云うだけだ。からかうように。
「いそがしくて結構なことだ」
「なにが結構だよ!おれはね?入隊前だぞ、畜生」
何でこんなおっさんと仕事っ、といっている薫に松平が白々と云う。
「いずれにしろ防大に入るんだろうが」
「まだ試験受ける年じゃねーよっ!」
当り前のように進路を示唆する松平に抗議する。あっさり規定路線を云うように松平が口にする。
「推薦で入れてやるさ」
「――――すげえいやだ」
反射的に口にした薫に、ほう、と愉しげに松平が訊く。
「受験したいのか?」
「………」
無言の薫に浅く笑みを刷く松平。殺風景なコンクリの廊下に二人の、いや主に薫の賑やかな抗議の声が木霊していた。
「ごくろうさまでした。大変ですよね、君達も」
にっこり、執務室の立派な机に両肘を着き手を組んで首を傾げて見あげるのは得体の知れない印象のある紳士。
年齢は一体幾つなのか、仕立ての良い灰色の三つ揃えがしっくりと似合う五十絡みの紳士にいわれて薫は居心地悪く天井に視線を逃がした。
ロッカールームから随分上層階へ。
一番上ではないけれど、この組織の一番に程近い地位の相手を前にして、いささか気の咎める薫である。
非公式の依頼人と昼間から堂々と会うというのがどうも背中がむずがゆい。
ヨーロッパへの出張はこの紳士が依頼してきたものだ。尤も紳士の公式の立場からは何も依頼してはいない。ヨーロッパの誰かが裏道を通って紳士につなぎをとり、紳士はその頼みを松平と薫に伝えた。そして、その報告に訪れているというわけだが。
――やっぱり、裏道通った依頼をこんなに堂々と公式のオフィスで行ってるのって間違ってる気がする。
松平のねぎらう言葉にも反応を示さずに始めた報告を耳から流して聞きながら薫が考える。
尤も松平は現在この紳士の部下という立場にある。別にこうして報告に訪れていても、ある程度はおかしくなかった。
実際に直接指揮を受ける部署ではないが、松平は紳士の勤める場所であるこの警察庁に所属する公安部の何処かに赴任していると以前聞いたことがある。
名称は難しいので聞いた瞬間忘れてしまった薫だ。
だが、一応名目上は松平は紳士の部下といえても薫は違う。
まだ高校二年生でどう取り繕っても未成年。
紳士の部下として海外出張させられる年齢ではない。
けれど薫こそが、本当にヨーロッパのその方面から依頼された対象になる。依頼は薫に向けられたもので松平はその付き添いといってよかった。
薫の身を守る為の護衛だ。
ついでに薫が自衛できるだけの訓練を気紛れに松平は施していたりもする。
非公式の報告を淡々とお日様の元で終らせた松平に穏かな笑顔で紳士が話し掛けている。
「松平君もお手数をかけますね。本来、君の身分だと応援には出しにくいからって、こちらへ出向扱いにさせてしまって。ほぼ専属で働いてもらってるものね。やりにくくない?ご本家での出世には出来るだけ響かないようにはしたいとおもうんですけど」
無言で相手を眇めた眸で見る松平を隣に薫が不思議そうな顔をしていう。
「あの、そのご本家とか出向ってなんですか?えっと、その、――」
相手の名前をどう呼べばいいのかと迷う薫に微笑んで紳士が告げる。
「唯の橿原でいいですよ。ぼくのことは橿原と呼んでくれればいいですから」
「そーいうわけにも、…その、橿原さん」
確か何とか役職がつく偉い立場の相手だとわかっているが、この場合どう呼べばいいかわからなくて困り、結局名前にさん付けで呼ぶ薫に紳士が微笑む。
「はい、関屋くん」
「…―――えっと、つまり出向って何ですか?橿原さん」
「はいはい。つまりね、ぼくは警察の事務屋なんですけど、この松平君は本来防人の人達がいる職場に就職したひとなわけ。これはわかる?」
「―――はあ」
警察庁は実働部隊ではない。中心になるのは書類仕事で管理職のエリートばかりが生息しているといわれ、事務屋というのはそれを揶揄する喩えだったりするのだが。
当のその事務屋の頂点をそろそろ極めようかという相手にいわれると、中々微妙なものがある。そして、松平が防人つまりは某防衛庁のエリートであることは薫もよく承知していた。
かなり微妙な喩えに生返事を思わず返す薫に構わず橿原が続けている。
「で、今回してもらったような依頼が多いでしょ?松平君にもきみにも。そしたら、ほら、松平君は防人のひとだから外国で活動してもらうにはいろいろ差し障りがあるでしょ?」
「あ――、はあ」
本当に差し障りなんてあると思ってるんだろうか、と疑わしげに見る薫に、にっこり橿原が微笑み掛ける。
「いろいろねえ。だから、松平君にはね、出向っていってぼくの処に来て貰う形にしているの。身分がかわるわけ、これで。警察なら、ほら国際交流はよくやってるでしょ?問題もないし」
にこやかに云う橿原氏に何だかそれって詐欺みたいじゃあ、と思わず云い掛けて口を噤む。
穏かに微笑み掛ける相手が、そこはかとなく怖い。
「えっと。出向っていうのはつまり。防人やってるおっさんが警察の手伝いをするってこと」
「そうそう。大体はそんなところ。防衛庁から警察庁に有為の人材をお互いの交流の目的で出向してもらったりするわけ。その間は、身分は出向先の人になるの」
にこにこという紳士が寒い。
有為の人材、といわれた時点で松平が寒そうに視線を窓に投げた。
「それでね、お役所ではそういう別の省庁に移動するって結構あるんですけどね。本来は出向先ではそれなりの仕事だけすませて、すぐに本来就職した処に戻ったりするんですけど、松平君にはずっといてもらってますからね。そうすると本来の就職先以外でのキャリアばかり積まれますから、出世に影響したりするでしょう?
ぼくが無理いって松平君には来てもらってるんですから、そういう影響は出来るだけないようにしたいと思っているんですよ?」
にこにこと云う紳士に、松平が空々しい顔をして他所を眺めている。
高層階にあるこの部屋からは皇居の緑が良く見える。
大変に美しい眺めだ。
「ねえ、せっかく沢山働いてもらってるしね。処で薫くん、もう進路は決まってるの?」
「あ、え?おれの進路?」
唐突な質問に薫があわてて紳士を見返す。
「ええ、いつも手伝ってもらってありがとうございます。もうすぐ高校も卒業でしょう?進路はもう決まりました?あと半年なんてあっという間に経つんですから、はやめに決めた方がいいですよ」
そしたらもう三年でしょ?と、にこやかな問い掛けをして云う紳士に薫が心持後ろに下がって礼を云う。
「えっと、おれはその進路は一応、――」
某防大――に、といいかけて、防人志望の学生達が学ぶ大学だ――松平の思惑通りになってしまうことに眉を寄せる。
「一応、なんですか?関屋くん」
「あっと、―――」
迷う薫に、橿原がにこやかに話し掛ける。
「どうです?あなた、警察に入りません?」
「え?」
「ああでも、警察には残念ながら大学はありませんのでね。なりやすい大学に推薦してあげますけど、どう?」
「―――それって裏口とかいうやつですかっ?」
思わず腰が引けて云う薫に紳士がにこやかに微笑んだままで云う。
「いえいえ、違いますよ。ぼくは公明正大です。でも、成績優秀な学生を推薦枠にいれるのはどこでもやっていることでしょう?すぐに警察学校に入校して頂いてもいいのですけど、それだと指揮権の問題がありますのでね。ああ、あるいは、籍は防人の方達の大学において頂いて、卒業後にこちらに来ていただくのでもいいですけど」
「薫はやらん」
にこにこ、からめとるようにして穏かに攻めて来る橿原に思わず腰が引けていた薫に松平が出て云う。
「あら、保護者ですか?これは関屋くんの問題だとおもいますけど」
「先約があるんだ。こいつはこちらでもらう。後から出て来た警察が手を出さないでもらおうか」
「でも、結局は関屋くんもいまみたいに、あなたと同じでこちらに出向扱いで仕事請け負うことになると思いますけど。でしたら、最初からこっちの方が面倒がすくなくてよくありません?」
いかにも無邪気に善意から提案してるんですけど、と作ってみせている紳士に松平が額に手をあてる。
「いってろ、このたぬきが」
「ひどいですねえ、あなたも出向ばっかりじゃ大変でしょうに」
「――警察は携行武器がハンドガン止まりだろうが。バズーカさえ携行武器に入らん連中と一緒にやれるか」
「警察は市民の味方なんですよ。そんな物騒な武器扱えるわけないじゃないですか」
「だったら誘うな。バズーカも炸薬も標準装備に入らん警察などの装備で仕事になるか。第一警察には特殊訓練課程も空挺部隊もないだろうが。レンジャー訓練も無いんだぞ?護身術なんぞで生き延びられる仕事だと思ってるのか」
鋭い眸に剣呑な空気を漂わせて云う松平に、紳士が首を傾げる。
「物騒ですねえ。それは確かに空挺部隊なんかがあったら、すでに警察ではないですけどねえ」
「上空からの急襲は、選択肢に入れておいた方がいいぞ?」
これは真面目な意見だが、と云う松平に橿原が頷く。
「その辺りは一応手配してありますけどね。ヘリによる上空からの作戦行動に付いてはいくらか訓練内容を組換えましたし。今度、一度きみに見てもらいたいんですけどね?あなた、空挺部隊の教官資格お持ちでしょう?」
「持ってるが、あんたのところの連中が一人残らず使えなくなっても知らんぞ」
「そのときはそのときでしょうねえ。…訓練で脱落しては、意味が無いですからねえ。厳しくしてやってくださいな」
「新しい隊員を集めるのに苦労することになっても知らんぞ」
「構いませんよ。みなさん公僕ですから。人々のしあわせの為に身を削る覚悟でお仕事してるんですよ。ですから大丈夫です」
にこやかにいう紳士に、松平が横を向いて溜息を吐く。
「どこの何が大丈夫なんだか。――いくぞ、薫。訓練の日時がわかったらまた教えてくれ。空いてれば手を貸す」
「わかりました。いつもたすかります。ではのちほど」
「えっ、あの、なにがどうなってるんだよ?」
いいながら踵を返す松平に慌てて薫がついていく。
背後で、にこやかに二人を見送る紳士。
そして、にっこりと紳士が口にする。
「やっぱり防人のひとになっちゃうんですかね。まあそれで向こうで訓練費用とか全部受け持ってくれるのはたすかりますけど」
人畜無害に微笑んで。あ、お仕事ですか?と。そして、書類を持って入室してきた相手に向き合う紳士である。
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