第12話‐3
三基の塔だけが点々と無機質に建つ、黒い砂漠の中央に、底なしの墓穴が空いていた。
直径およそ八〇メートル、深さ測定不能の、著しく縦に深いクレーター。
暗い闇に沈んだ深淵は、完全なる静寂に浸されている。あそこへ落ちたはずの怪物の、微かな身じろぎの気配すら届いてこない。あの凄まじい、幾百の命が寄り合った生命体は、遍く土に還ったのであった。
葬送師による、【
上空から、血まみれの人間が一人、力なく落ちてくる。気づいても、発生区域の淵で桜を抱えている恋にはどうしようもできなかった。
渦巻く旋風が、低空を走り抜ける。
「――よっと」
今にも大穴へ吸い込まれるところだった竜秋の身体を、風を纏う爽司が空中で受け止めた。上昇気流に乗って浮遊しながら、ボロボロの彼を抱いて穴の縁に着地する。
「あーあ、気絶してら。初めて会ったときから直感してたけどさ。やっぱりとんでもねぇやつだったよ、お前は。……ひでー怪我」
ふと目を細めた爽司の下へ、恋も大穴を迂回してようやく追いついた。血の壺に浸したような彼の姿に言葉を失う。触診せずとも分かる、至る所の骨が砕けてしまっている――いったい、こんな体でどうやって……。
「すぐ病院に連れて行かねえと。できれば宍喰先輩みたいな、超優秀な能力者のところ。それでも後遺症は避けらんねえだろうけど……」
「そ、そうね。あたし、救急隊に連絡を」
「――させま、せんよ」
地の底から呻くような、しゃがれた声が響いた。
犬飼が、手負いの毒虫のような足取りで歩いてくる。ライトグリーンの髪をボサボサに振り乱し、落ち窪んだ目をギョロリと剥いた、変わり果てた形相であった。あれほどの怪物を生み出し、破られた相応の消耗が見て取れる。それでも、歴戦の塔伐者には変わりない。淡い緑色の光が、彼の体を均等に覆っていく。竜秋と同じ、いや、より精密で成熟した理力操作――激しい憎悪の燃える眼光に、恋の体が硬直する。
「使い魔がいなくとも、君たち三人を殺すくらい、ワケありません」
「せんせー、マジで言ってる? オレ、たっつんより強いよ?」
「死に体の彼を抱えたまま、八百坂さんを守りながらでもですか?」
空気が軋るような殺気。爽司の頬に汗が伝う。激しく動けば、爽司が胸に抱く竜秋の身体はとうてい戦闘の衝撃に耐えられない。かといって、恋がまず抱えた桜の亡骸を下ろして竜秋を受け取るほど大きな隙を、犬飼が見逃してくれるはずもない。
じり、と、犬飼の靴底が半歩砂を滑った刹那。
両者の間に、流星の如く炎が墜ちた。
その炎は、小柄な少年の形をしていた。風になびく稲穂色の髪。静かに燃える緋色の瞳。一六〇にも満たない上背も手伝って、儚い顔立ちが一層少女めいて見える。
「こんばんは」
軽やかに、気さくに、少年は爽司と恋に笑いかけた。神の一柱のような存在感と、友人の弟が醸し出すような親しみやすさ――独特な少年の雰囲気に、恋は危うく飲まれかける。敵かもしれないのに。まったく、警戒できない。
「なぜ……君が、ここに」
燃える少年の背を、犬飼は呆然と睨んだ。少年は振り返らずに答えた。
「夏休みを利用して、里帰りしていたんです。ここ、地元で。あの黒い斜めの塔とか、ほんと懐かしいなぁ」
発生区域Ⅳの象徴的な
「――ね、タッちゃん」
竜秋をそう呼んだ少年の声は、親しみと敬意の籠った、それでいて、一枚透明な壁を隔てたような寂しい響き方をした。爽司が何かを思い出すように瞳を持ち上げる。
「タッちゃん……か。なるほどね」
「ごめん、君。少しだけこっちに来てくれる?」
少年と爽司の間に恋が「ちょっと!」と割って入る。
「あなた誰!? 竜秋の味方なの!?」
「僕は……そうだな」
自信なさげに逡巡する少年の表情に、「友達」「幼馴染」などの単語が浮かんでは消える。
「彼の――ファンかな。昔からずっと、今でも、彼は僕のヒーローなんだ」
なんて切なく、透き通った声であろうか。呆然と引き下がった恋の前で、爽司が竜秋を抱いて彼に差し出す。少年は「ありがとう」と小動物のような笑顔で見上げて、血まみれの竜秋の顔に小さな手をかざし――燃やした。
眼を剥く恋の前で竜秋は黄金の炎に包まれ、爽司もろともあっという間に火達磨に。ところが爽司は、炎の中でどこか心地よさそうに目を細めた。
「……熱く、ないの?」
「全然。あったけぇだけ。肩まで温泉に浸かってるみてぇだ」
爽司の腕の中で、竜秋の傷ついた皮膚が、砕けた骨が、潰れた内臓までもが――穏やかな炎に痛みもなく溶かされ、見えない神の手がパン生地をこねるように、優しく再構築されていく。
ただ――恋の能力は、この瞬間の危険を敏感に察知した。総力と引き換えにやっと瀕死に追い込んだ竜秋の傷が癒えていくのを、犬飼が黙って見過ごすはずがないことを。
「後ろ!」――恋の叫びに、少年が反応するより早く。
理力を帯びた犬飼の手刀が、背後から少年の首を刎ねた。
金色の残り火を帯びた、小さな頭が、闇夜を舞う。首を失った胴体がその場に膝を折るのを見下ろして、犬飼は心底忌々しげに息を吐いた。
「――おかしいな。先生なら、僕のギフトをご存知かと思ったんですが」
ありうべからざるその声に、全員、絶句して上を見上げる。
宙を舞う、首が、喋った。
瞬間、分かれた首と胴体のそれぞれが、黄金色の豪炎を上げた。互いに向けて糸を伸ばすように細長く膨れ上がり、中空で混ざり合って、それらは一つの大炎へ。
やがて炎は収縮し、小柄な人型を形成して――光の中から、少年は何食わぬ顔で現れた。
塔伐科高校東京校、一年松組。校内ランキング・第二位。
世界で四四番目に登録された“
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