第8話‐2
言われて全員顔を見合わせ、首をひねりながらも桜の腕や腰に触れた。竜秋は白のロングTシャツ越しに彼の腹に手を押し当てた。細身のシルエットからは想像もつかない、鋼の塊みたいな腹筋の感触。こいつ――ギフトがなくても、たぶん俺より強い……。
「じゃ、行くよ。はい、着いたよ」
桜の声の真ん中あたりで景色がパッと切り替わって、竜秋たちは気がつけば、赤絨毯と黒曜石の壁に囲まれた見知らぬ廊下に立っていた。
「ん!? んん!?? なに、何が起きたの!? どこここ!?」
「空間と空間を繋ぐ扉の鍵を開けただけだよ。あんまり遠すぎるといくらか中継が要るけどね。あー、ハワイから帰ってくるの大変だったな~」
わざとらしく肩をすくめ、桜色の後ろ髪をかけながら、桜はだるそうに、漆塗りの厳かな扉の前まで歩いて行った。上の札に「校長室」と書いてある。
「お前ら、余計なこと喋るなよ。クソつまんねー校長の話が更に長くなる」
扉の前で念押しするように振り返った桜の眉間に寄った皺が、彼の校長への苦手意識を隠そうともしていない。竜秋はなんとなく、四角い眼鏡をかけて頭の禿げた、テンプレートの校長先生の顔を想像した。
「――やあ。よく来たね、金の卵たち」
入学式でも教頭の女性が祝辞を代読し、未だ顔の知らぬ塔伐科高校校長。その実物は、竜秋の想像とはかけ離れていた。
桜がノックもせずに開けた扉の向こう、複数の書類が整頓された机の奥、黒革の椅子に座って竜秋たちに微笑んだのは、絵画から飛び出したような美青年だった。
腰まで伸びた、ほのかに橙を帯びた滑らかな金色の長髪。白のワイシャツにオレンジのネクタイを締めた上から、金糸雀(カナリア)色のゆったりとした上質なローブを纏う。筋の通った高い鼻梁、少し暗い色味の唇。シミ一つない白い肌。名門校の長という肩書を思えば四十歳――第二世代の最年長に近いはずだが、二十歳にも見える若々しさだ。竜秋たちを映す、水底(みなそこ)のような青い瞳が、我が子を見つめるように細められる。
似ている――ゴキブリが出たような顔で横に立っている桜の横顔を一瞥し、竜秋は思った。桜に、似ている。落ち着きと慈愛に溢れたその雰囲気は、まるで真逆だが。
校長室には既に三名の先客がいた。更科と犬飼、そして黒いレザーの上下に身を包んだ、深い色のサングラスをかけた角刈りの大男が、一年松組担任兼・一学年主任――鬼瓦 源柳斎(おにがわら げんりゅうさい)。竜秋も会うのは初めてである。一番手前側、更科の横に空いた一人分のスペースに桜が座って、これで一学年担当教官が全員揃った。
「初めまして。塔伐科高校東京校校長――橘 令(たちばな れい)だ。どうぞ、座って」
教官たちと向かい合うもう一方のソファを手で示し、橘は優しく微笑んだ。
冒頭、竜秋たちを「金の卵」と呼ばわったのに始まり、一貫して橘の態度は四人への深い愛情を感じるものだった。
傷の具合を心配し、好きな授業や教官について冗談っぽく尋ねて緊張をほぐし、鈴を転がすような声で笑う。爽司がついその調子に乗っかると、対岸から桜の舌打ちが飛んだ。隣の更科に膝を叩かれても貧乏ゆすりを止めない。居心地が悪くて仕方なさそうだ。
「こちらからすればわずか十二分間の騒動だったが、君たちにとっては二十時間を超える壮絶な冒険だった。改めて、よく生きて帰ってくれた。校長として君たちを誇りに思うよ」
爽司は感涙し、恋する乙女のような目を輝かせて橘を見つめた。恋がむず痒そうに頬を染めて会釈する。彼女の態度を見れば、橘の言葉が心からのものだと竜秋にも分かった。
「それで、ここからが本題。君たちは大きな違反をした。候補生が塔に挑む許可が出るのは六月から。それも、認定された個人の階級(レベル)以下のものだけだ。それなのに、飛び込んでしまった――許されないことだとは、分かっていたね」
短く返事をし、全員で頷く。
橘は微笑み、一呼吸おいて、この集会の結論を述べた。
「君たち四人とも、今回の問題行動について、一切不問とする」
今日一番の優しい笑顔になった橘の一声で、更科と犬飼がようやく力を抜いて笑った。鬼瓦はサングラスの下の表情を変えず、桜だけが不服そうに端正な顔を歪める。
「四〇年を数える塔社会の歴史の中で、土曜日のアレは未曽有の緊急事態だった。塔が自壊してしまえば、民間人から死傷者が出るのは免れなかっただろう。それを身を挺して防いだ英雄に処分を与えようものなら、世論が僕を許さないさ」
四人揃って目を見合わせる。爽司なんかは叫び出しそうなのをぐっと飲みこんだ顔になった。
「あ、ありがとうございます……!」
震え声で頭を下げた誠に全員続く。
「話は以上っすよね? じゃ、失礼しまーす」
うんざりと立ち上がった桜が「帰るぞ」と竜秋たちに指を振るが、「まだもう少し」と橘は笑顔のまま譲らない。
「話はもう一つあるんだ。君たちの塔での活躍を、ウラヌスの記録から立体映像に起こして、このメンバーで見させてもらった。入学して僅か二週間。到底十分な教育を受けていない中で、何ひとつ準備の整わない中で、バランスの極めて悪いパーティー構成の中で――それぞれが非凡な能力を発揮し、素晴らしい活躍をしていた」
「アレのどこが? ウチの連中に、あんまり調子に乗らせるようなこと言わないでくださいよ。落ちこぼれが自信だけつけちまったらろくなことにならない」
着席せず扉の前まで行ってから振り返り、桜が苛立たしげに言う。
「黙れ桜。こいつらは落ちこぼれなんかじゃない」
「お前が黙れよ更科。昔みたいに泣かしてやろうか?」
校長室に霜がおりたかと思うほどの、絶対零度の殺気が爆ぜる。睨み合う両者に「静かに」と一言言っただけで、橘はあっさりと主導権を取り返した。
「桜先生はこの三年間、本校の教官として立派に勤める傍ら、現役の塔伐者としても圧倒的な功績を上げ続けている。こんな両立ができる超人は世界で君ぐらいのものだ。僕も心から信頼しているよ。ただ、僕が不在の間に手続きを強行し、今年度君が勝手に設立した『桜クラス』――あれだけは許していない。無限の可能性を秘めた金の卵たちが、未来を不当に奪われ、隔離された教室で謂れなき差別に遭っている」
「その、金の卵ってのやめません? キモいっすよ」
口を一向に慎まない桜に苦笑しつつ、橘は竜秋たちに柔らかい眼差しを戻した。
「すまない。色々と根回しされていてね、君たちを今の状況から解放してあげるのに手間取っていたところだ。桜クラスそのものの解体にはまだ時間がかかるが――今回のことで、一つ前進できそうだ」
眉根を寄せた桜の美貌が、次の瞬間に凍りつく。
「常盤くんと八百坂さんは梅。巽くんと想さんは竹クラスへ――校長・橘と、鬼瓦・犬飼・更科三名の推薦を持って、五月一日(いっぴ)からの編入を許可する」
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