第二章 塔見学実習

第4話-1

 勝敗が決した直後、仮想の荒野から帰還した竜秋は、号泣する誠と爽介にもみくちゃにされながら、激しく動揺した。


 なぜこいつらはこんなに喜んでいるのだろう。ただ、勝っただけなのに。


 竜秋にとってこれまで、勝利とは自然現象に近かった。勝負事で竜秋が勝つのは当たり前。小学校に上がる頃にはもう誰も竜秋の勝利に興奮しなくなったし、皆、竜秋と何かを競わせられることを嫌がった。


 つまんねーの――いつしか竜秋は、この過剰な才能に退屈しながらも、自分を特別だと自覚することで留飲を下げた。


 だから脳味噌の理解が追いつかない。たかが一勝、それも不格好な泥臭い辛勝を、こんなにも全力で喜んでいる二人のことが。


何より、拳を握って喜びに打ち震えている、自分自身が。




その夜、更科が竜秋の部屋を訪ねてきた。白のワイシャツに黒のジャケットとタイトスカート、薄く化粧までして別人のような彼女に、一瞬誰だか分からなかったぐらいだ。


「……どうしたんですか、こんな時間に」


「今からあたしは、君に全裸で土下座する」


「なんで!?」


 さしもの竜秋が絶叫するくらいに、更科の表情は真剣そのもの。今にもその場で脱ぎかねない覚悟を感じ取り、狭い寮の部屋にひとまず彼女を上げることに。


「……なんなんですか、いきなり」


「それぐらいしないと、君に合わせる顔がない」


「とりあえずボタンに手をかけるのをやめましょう……座ってください」


 普段の粗暴な雰囲気は消え失せ、畳に美しい所作で正座する更科に尋常でない居心地の悪さを覚えながら、竜秋も対面して正座する。


「……もしかして、授業から追い出した件ですか? 別に気にしてませんよ」


「それも含めて、これまであたしが君に行ってきた狼藉の全て。いったいどうしたら償えるか見当もつかない」


 悔恨の色をその美貌いっぱいに浮かべて竜秋を見つめ、更科は額を畳に押し当てた。


「申し訳なかった。君の将来を不意にするところだった」


 もう仰天でものも言えない。


「《竜爪》は、あたしが先に気づいてやらなきゃいけない答えだった。それなのに、君の能力を読み誤り、塔伐者の適性がないと決めつけ、あろうことか自主退学を暗に勧めた」


「いいですよ、そんなこと今さら。逆の立場なら俺でもそうするし」


 本心だった。図書室でかき集めた情報によれば、竜爪が開発されたのは三十九年前で、翌年には後継機が三つも誕生している。当時、塔の研究は文字通り命のかかった最優先事項であり、世界中が手を取り合い、同時に競い合うようにして進められていた。そういった目まぐるしい開発競争の激流に押し流され、《竜爪》は一瞬にして使用者激減、一部の物好きすらあっという間に淘汰されて、わずか三年足らずで使用者ゼロの骨董品となったのだ。塔伐器に詳しい教師ですら、いやだからこそ、マトモな頭なら生徒にそんなガラクタを試させようという発想には至らないだろう。


 僥倖だったのは、そんな時代錯誤な代物の仮想版が、学園の酔狂な技術者によって既に作成され、生徒が自由に閲覧できるウェブ掲示板にアップされていたことだ。ダウンロードすれば、あとは他の量産型と同じ手続きでマイ塔伐器に設定できた。


「結果的に俺なりの答えに辿り着けたし、むしろ感謝してますよ」


「……君のその、強さの源はなんだ」


 ややあって顔を上げた更科は、畏怖に近い眼差しで竜秋を見上げた。


「君は絶望する暇さえ惜しんで、常に『自分に何が必要か』だけを考えている。そうでなければ、たった三日で《竜爪》には辿り着けない。何が君を、そうさせる」


「……さぁ。ただ、諦めが悪いだけですよ。俺のこれは、もうただの“意地”です」


 竜秋は天井を見つめ、その模様の中に答えを探しながら、ゆっくりと言葉を繋ぐ。


「先生の言う通り、ギフトを授からなかった時点で、別の道を探す方が断然賢かった。俺の才能を生かせる仕事が、俺がもっと輝ける道が、もっと気楽に生きられる選択が……たくさんあったはずだ。でも――イヤだった」


 生身の自分で、裸の言葉で彼女に伝える。


「それまで俺は、塔伐者になるのが当然だと思ってた。俺が世界最強の塔伐者になるのは、必然の未来だって疑わなかった。だから……“たかがギフトがないくらい”で、折れて諦めちまうような、そんなクソダセェ人間の人生を何十年と生きるのだけは、絶対に、死んでも無理だって思った。だから、未だにみっともなく足掻いているんです。俺は、俺の誇れる俺でありたい。そうでなきゃ俺は、生きている意味がない」


 タッちゃんなら、なれるよ。最強の塔伐者に――


 脳内で反響する、これは呪いだ。竜秋はもう、熾人の呪縛から逃れられない。ギフトがない、理力がない、たったそれだけのことで、乾熾人の信じた巽竜秋が、折れてしまっていいはずがない。熾人にだけは負けたくない。熾人にだけは幻滅されたくない。あんな憐れんだ目で、弱者を慰めるような声音で、言われたくない。最強の塔伐者になることでしか、俺はあいつに、やり返せない!


 更科は、穢れない水晶の奥底の、燃え滾る黒い炎を覗き込むように、じっと竜秋を見つめていた。


「そうか……。よく分かった。君の強さの源が」


 夜分に悪かった、と言って更科は立ち上がった。去り際、一度振り返って言う。


「なあ巽。お前さえよければ、ウチのクラスに来ないか」


「え?」


「今回の勝敗を受けて、お前のランキングは来月頭で間違いなく九〇位以上に上がる。本来クラス替えは半年に一回だが、桜クラスの存在自体、桜一人の横暴でまかり通ってるもんだ。本来そこにいるべきじゃない、優秀な人材を一人引き抜くことくらい、校長に認めさせる自信がある」


 竜秋はやや間を空けて、低く唸った。なぜ今、自分は迷っているのか、自分でも答えが出ない。今日、泣きじゃくりながら竜秋の勝利を喜んでくれた、誠と爽司の顔がやけにチラつく。断じて、彼らを置いて出ていくことをためらっているわけではないが。


「ありがたいけど、お断りします」


 気づけばそう言っていた。


「決断を急かすつもりはない。ゆっくり考えろ。桜クラスにいる限り、塔伐者にはなれないんだぞ」


「確かに、塔伐者になるには、先生の所に行った方が手っ取り早いと思います」


 けど、と竜秋は、珍しく不確かなことを、妙に力強く言い切った。


「俺が目指すのは最強の塔伐者――そのためには、まだ桜(ここ)で学ぶことがある気がする」


「……そうか。残念だが、これに限ってはお前の見誤りだ。桜(アイツ)から得られるものなんて何もねえ」


「よっぽど桜先生が嫌いなんですね。この学園の同級生だったとか」


「思い出したくもねえ記憶だよ。だが、そうか……巽がそう言うなら、あたしはそれを尊重するよ。気が変わったらいつでも言え。代わりと言っちゃなんだが――お詫びのしるしに、ちょっとお前にいい話を持ってきた」

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