集落のカミ 肆

 鞄の中から、祖父の家に置き去りにされていた二冊の本を取り出した。

「これについて、何か知っていることはあるか?」

 カミは一瞥しただけで、興味を持たなかった。

「知らん」

「だろうな。これはお前さんの“信仰”だ」

 ぴたり、とカミが動きを止めた。

「お前さん、この集落の住民から“カミ”と呼ばれていたようだな。神に近いモノとして、認識された。だから娘たちを神の嫁として、お前さんに嫁がせた。まあ人柱の意味の方が強かったが」

「……何が言いたい」

「住民はお前さんを大層恐れていたようだが、本物の神ではないとも熟知していた。だから、住民はお前さんを書き記した。その在り方を、それに対応する方法を、全て文字に残した」

 それは執念と言っても過言ではない、住民たちの思いだ。

 彼らはカミを畏怖した。人知の及ばないナニカをカミと呼び、生き残るために自分たちの大切な存在を得体の知れないナニカに与え続けた。そして、自分たちを傷つけないようにと、カミと何度も契りを交わした。

 ――そう、何度も。

「お前さん、ことに気づいていないだろう?」

 ざわり、と空気が変わった。

 眼前のカミは人間を贄としか認識していない。だから契った相手を覚えていられず、すぐに忘れる。

 だからこそ、のである。

 最初は数年おきに娘を嫁がせていた住民たちだが、ある時適齢期の人物がいなかったため期間を次の機会を延ばしたことがあったらしい。危険な賭けだったが、カミは気づいていない様子だった。これを契機に徐々に娘を嫁がせる期間を徐々に延ばして、村の延命を図るようになっていた。

 そのことに、カミは今の今まで気づいていなかった。

 ぶわり、と怒気が膨らんだように感じられた。

「何を今さら。それはお前さんの落ち度じゃないか」

 嗤い返すと、カミは格子を掴み、力を込めた。力ずくでこちらを黙らせようとしているらしい。

 しかし、一向に格子は折れる様子を見せない。何十年、下手をしたら何百年も前に造られた物を、カミは突破することができない。

「なぜだ……なぜ力が出ない……!」

「だから言っただろう。この本がお前さんの信仰だと」

 “カミ”と呼ばれ文字情報に残されるようになった時点で、カミは在り方を住民たちの手で定められていた。すなわち、例の本が信仰の本体であり、カミが神に準ずる力を発揮するには信仰が必要なのだ。

 しかし、今はこの集落には住民がいない。住人がいなければ信仰は生まれず、信仰がなければカミはカミでいられない。

 そして、信仰が綴られた本は。

「お前さんの信仰は、これが最後だ」

 皺が寄っていた本の中身は、祖父の日記だった。

 祖父はこの集落最後の村長だった。その理由は――最後の贄が、祖父の年の離れた妹だったからだ。

 この集落は贄を出した家が村長を務めるという習慣があった。大きな犠牲を払った家が村の権限を握るという、せめてもの罪滅ぼしだったのだろう。

 祖父は妹に泣いて詫びた。好いた相手もいたのに、もう少ししたら祝言も挙げられたのに、当人たちの気持ちを蔑ろにしてまで、住人のために死んでくれと言わざるを得なかった。

 妹は何も言わずに受け入れたという。

 祖父はカミと新たな契りを交わした。次の贄は六十年後だと、時間を稼いだ。

 そして村長になった祖父は、ある決断をした。住民全体に集落を離れるよう、そして離れる際にはように通達した。

 そして住民たちはそれに賛同し、実行した。自分たちの代で終わらせようと、自分たちの故郷を失おうとも、この苦痛を次代には伝えないようにと決意した。子どもたちには村の因習も文化も何も伝えなかった。

 そして本当なら祖父も燃やして終わらせるはずだったのに、慌てていたから放置するしかできなかった。過去を綴り懺悔の思いを吸わせた日記と、カミを封じる鍵と共に、集落に残した。

 鞄の中からライターを取り出し、点火する。

 ようやくこちらの意図に気がついたカミが、手を伸ばす。

「止めろ! その火を近づけるな!」

 ああ、本当に。


「――残念だなァ、お前さん」


 にたり、と嗤う。

 本にライターを近づけると簡単に着火し、見る見るうちに火が全体を包んだ。

 それと同時にカミの身体の至る所が煤けて、段々と全体が燃え進んでいった。

「きさ……ま……!」

「ハハッ、どうだい。命絶えるその瞬間の気分は」

 嘲るような視線を送ると、カミは怒りと憎しみの混ざった感情を向けてきた。

「契りを破るか、人間如きが……!」

「あァ? 契りを交わした相手のことをすっかり忘れたお前さんが言うのか?」

「ならば名乗れ! 此度こたびは忘れぬわ!」

 どうやら自分の犯したかつての失態を、頭に血が昇りながらも反省したらしい。

 しかし、

「言うかよ、バァーカ」

 得体の知れないモノに、素直に名前を教えるほど無知ではない。

 それに、自分の大叔母と祖父の思いをあっさりと切り捨てた存在に対して、思っていた以上に腹が立っていたらしい。

 カミは断末魔の叫びを上げながら、本が燃え尽きるのと同時に灰になった。

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