第15話 沈黙が語るとき
舞台『終幕のあとで ― 続章 ―』が終わり、三日が経った。
劇場を包んでいた熱は少しずつ静まり、遥の日常にも元のリズムが戻りつつあった。
けれど――遥の心には、どこかぽっかりと穴が空いたような余韻が残っていた。
(本当に……終わったんだ)
舞台という「生」の言葉たちが、観客の心を揺らし、
椿の沈黙が「声」になった日。
遥の中で、なにかが確かに変わっていた。
そんな中、編集部に一通の手紙が届いた。
差出人の名前はなく、白い封筒の宛名にはこう書かれていた。
『終幕のあとで ― 続章 ―』脚本監修
佐原 遥 様
封を開けると、中には一枚の便箋。
柔らかな筆跡で、こう綴られていた。
舞台、観させていただきました。
あれは、まぎれもなく――椿の人生でした。
私は、彼女の姉です。
弟子でも、友人でもない。
けれど、彼女の沈黙を一番近くで見てきた家族として、
この舞台が、ようやく彼女を「赦した」気がしました。
彼女の声を、あなたが拾ってくれて、ありがとう。
(……椿さんに、お姉さんがいたんだ)
遥は震える指で便箋を握りしめた。
これまで玲司から語られてきた椿の人生には、家族の存在はほとんどなかった。
「縁を切った」「もう会っていない」――そう語られただけだった。
けれど、その沈黙の向こうに、確かに残っていた「家族」が、
いま、遥の物語に応えてくれたのだ。
その夜、遥は玲司を訪ね、便箋をそっと差し出した。
玲司は静かに読み進めると、言葉少なに呟いた。
「……あの人が、観に来てたのか」
「玲司さん、知ってたんですか?」
「椿に姉がいることは、昔から知ってた。
でも椿は、家族の話になるといつも黙った。
言葉を向けても、返ってこない人たちだって……」
玲司の声には、滲むような後悔があった。
「けど、たぶん観てくれてたんだ。
初日、中央三列目のあの空席。
なぜか誰も座らなかったあの席――
きっと、あの人がそこにいた」
遥も思い出していた。
客席が埋まる中、なぜかぽっかりと開いていた空席。
まるで椿自身がそこにいたかのような、不思議な静けさを湛えていた席。
(その席で、沈黙が語っていたのかもしれない)
言葉にできなかった椿の人生を、
言葉にすることを拒まれた家族が、
静かに観ていた。
「玲司さん。
あの舞台は、きっと終わりじゃなくて、
椿さんの沈黙が語りはじめた場所だったと思うんです」
玲司は、しばらく黙ったまま、頷いた。
「……ああ。
声を出せなかった人じゃない。
声を出す場所がなかった人だった。
それを、お前が書いてくれた」
遥は、胸の奥で何かがほどけていくのを感じた。
椿の沈黙が、やっと声になった。
帰宅後、遥は手紙の返事を書いた。
差出人のない封筒の、裏に記されていた小さな住所へ向けて。
南雲 様
ご観劇いただき、ありがとうございました。
椿さんの物語を、勝手に続けた私が、
姉であるあなたにこの言葉を書くのは、少し怖さもありました。
けれど、それでも……
沈黙の向こうに、声があったことを
私は、信じたくて、書きました。
あなたの妹さんの人生に、
小さくでも光が灯ったと感じていただけたなら――
その光を、これからも繋げていけたらと思っています。
封を閉じ、ポストに投函したとき、
遥は空を見上げた。
雲の隙間から、月がひとすじだけ顔をのぞかせていた。
それはまるで、椿の沈黙が、
ようやく語りはじめた夜だった。
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