第2話 会いに行く理由
朝の編集部は、電話の音とキーボードを打つ音が混ざり合い、いつも通りに騒がしい。
その中で、遥は静かにコピー機の前に立ち、原稿を一枚ずつ複写していた。
手にしているのは、昨夜読み耽った脚本だった。
タイトルは――『きみに、さよならを教えてくれた人』
物語の内容は、特別に派手なものではなかった。
主人公は、人生に絶望している中年の男性。
ある日、少女と出会い、彼は少しずつ生きる意味を見出していく。
けれどその少女には、誰にも言えない秘密があった。
そして最後、彼女は静かに主人公の前から姿を消す。
「さよならは、優しさだと思うの」
そのセリフが、遥の胸に焼きついていた。
物語の中にあった、どこか自分と重なる孤独。
そして――最終ページに書かれた、わずか数行のメッセージ。
「この物語を、誰かに託したい。
もし見つけてくれたのなら、続きを知りたければ、会いに来てくれ。」
その下には、手書きの住所が記されていた。
東京都下、郊外のとある町。
聞きなれない地名だった。
「行くしかないよね……」
ぽつりと呟いた声に、隣の席の美咲が振り向いた。
「え、どこか行くの? また取材?」
「ううん、ちょっと……会ってみたい人がいて」
「え、それってもしかして……恋?」と目を輝かせる美咲に、遥は苦笑いを返す。
「違うよ、そんなのじゃない。ただ……物語の続きを知りたいだけ」
それ以上、何も言えなかった。
自分でもこの気持ちが何なのか、まだ整理がついていなかった。
原稿整理の仕事を美咲に引き継ぎ、午後から半休をとった遥は、手にした地図を頼りに電車に乗り込んだ。
東京の中心から外れ、乗り換えを重ねるたびに、街の風景がゆっくりと変わっていく。
高層ビルは姿を消し、車窓には畑や緑の丘が広がっていた。
窓の外で蝉が鳴いている。
この町で、彼はどんなふうに生きているんだろう。
なぜ筆を折ったのか。
なぜ、あの脚本に自分の人生を託そうとしたのか。
その答えを、遥は知りたかった。
やがて電車は、無人駅にたどり着いた。
ひと気のないホームに降り立つと、遠くで子どもたちの笑い声がかすかに響く。
小さな住宅街を歩きながら、手書きの地図を頼りに目的地を探す。
蝉の声が耳に焼きつく。
額に汗がにじむ。
でも、遥の足取りは止まらなかった。
10分ほど歩いた先、小さな一軒家が見えてきた。
白い壁は少し色褪せ、木製の門扉には風鈴が吊るされていた。
風が吹くたびに、控えめな音を立てて揺れている。
遥は門の前に立ち、深く息を吸い込んだ。
まるで、昔どこかで夢に見た風景のようだった。
懐かしくて、寂しくて、でも――帰ってきたような気がする。
インターホンのボタンを押す。
――ピンポーン。
沈黙。
もう一度、押してみる。
返事は、ない。
ポストには新聞が詰まっていた。
家の中から気配はしない。
それでも、遥は門の前に立ち尽くしていた。
心臓が、妙に速く鼓動している。
(ここに……本当に、彼が?)
返事はないまま、風鈴の音だけが、静かに夏の空気を揺らしていた。
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