ポンコツ女神のレゾンデートル 〜誤召喚の少年と終末世界救世譚〜

夕暮れタコス

第1話 少年、降り立つ

 天星 衛志エイシはその日、人生で初めて人が人を殺める瞬間を目撃した。


 純白のドレスを着た美しい金髪の女性。

 その手に握っているのは西洋風の剣。

 ガラス細工のような刀身からは赤い血が滴る。


 彼女の足元には血溜まり。

 そこには男が横たわっている。

 エイシへと苦痛の視線を向け、やがて瞳の奥から光が失われた。


 女がゆっくりと、美しい顔を向ける。



 エイシは息を呑み、これが夢であることを願いながら目を強く瞑った。

 


 一呼吸置き、薄っすらと目を開けて自分の姿を見る。

 着ている服はランニング用のジャージだ。


 幼馴染2人と日課の早朝ランニングに出かけようと玄関を開けた。


 そこまでは確かにいつもの日常だった。

 玄関の敷居をまたぐ直前、異変が起きた。


 青白く渦を巻く光が目の前に突如現れたのだった。

 踏み出した足は止められず、そのまま光の渦へと吸い込まれた。


 その瞬間、朝食の匂いや蝉の鳴き声、8月早朝の爽やかな暑さが忽然と消えた。


 そして純白のドレスの女と聖職者の格好をした男が刃を交わしている場面に遭遇。


 おおよそ人間とは思えない高速での剣戟。

 女は右手の剣で男の二刀の短剣を捌きながら、左手で空を凪いだ。かと思うと男は膝から出血。


 体勢を崩した男へと心臓を一突きしたのだった。




「お〜い、聞こえているかのぅ?」


 不意に声をかけられ、ビクリとしながら顔を上げた。


「え、あ……の」

「ああ、驚かせてしまったか?神官長に化けた不届き者を連れてきてしまってのう。危うく召喚の儀が失敗するところじゃったわ」


 女はエイシへと歩を進めながらあっけらかんと説明し、手に持っていた剣を空中に霧散させるように消してみせた。


 そして笑顔で何事もなかったかのように言った。

「よく来てくれた、召喚者。妾がこの世界の女神レフィーリアじゃ!早速じゃが……ん?」


 言葉が途中で止まり、ツカツカと近づいてくる。


 逃げようとする意思に反して恐怖で体が思ったように動かず、一歩後退るのが精一杯だった。


 その様子を気にする素振りも見せずに、女神を名乗る女レフィーリアは返り血の付いた顔を近づけてきた。


 エイシの鼓動が外に響きそうな程に音を立てている。


 しかしそんな中でも、エイシはレフィーリアの顔から目が離せないでいた。その顔は信じられない程に整っていて、女神を名乗るのも納得がいくものだった。


 息をするのも忘れて魅入っていると、艷やかなその唇がスローモーションのようにゆっくりと開かれた。



「お、お主……誰じゃ……、魂のランクは、Cランク!?う、うわぁぁあ!」

 頭を抱えしゃがみ込む女神レフィーリア。


(やっぱりやばい奴だ、逃げなきゃ)


 ようやく呼吸と少しの落ち着きを取り戻したエイシは、脳内の警鐘に従って踵を返して走り出そうとしたが、辺り一面の景色に動きが止まった。


 どこまでも続くような白い空間。

 ぷかぷかと浮かぶ白い球体がいくつもあり、光と温かさを届けてくれている。


(まるで異世界だ、さっきの剣戟もそうだし、剣を魔法みたいに消してたし……。でも今はとにかくっ!)


 走ろうとしたところで、うずくまっていたレフィーリアがエイシの足首を掴んできた。


「ヒィ……」

 自称女神の美貌も台無しの血走った目と視線が交差。

 エイシの足を掴む手にはさらに力が籠もってくる。


 エイシは情けなくも涙目になっていた。

 きっと殺される、そう覚悟した時、彼女が大きく息を吸い込み、叫んだ。


「んもーっ!」

 牛のような気の抜けた叫びが空間に木霊する。

 エイシも毒気を抜かれたように脱力した。


「泣きたいのは妾のほうじゃぁ!本当なら起死回生の一手、剣士の才を持つSランク召喚者が、ここにいたはずなのにぃ!」


(剣士の才?ああ、なんだそういうことね……)


 彼女が取り乱している理由に心当たりがあり、納得した。と同時に心に怒りに似た暗雲が立ち込める。


「あー、つまり、僕は間違って召喚されたわけね」

「……そうなる」


 エイシは目を伏せた。


 脳裏には二人の幼馴染が浮かぶ。

 剣術の名家に生まれ、完璧なまでにその才を示している刀夜。

 弓術の名門に育ち、射れば必ず命中する矢歌。

 どちらも、選ばれる理由がある。

 そして今の話しからすると、女神が欲していたのは刀夜だ。


 そして自分はというと。

 昔は2人の家に並ぶ名家だった柔術の家系。今は看板だけが残った没落の末裔。


(何度思ったことか、僕に才能があればと……)


 才能のない自分が、あの二人を差し置いて選ばれる理由なんて思いつかなかった。


 とはいえ、2人のことは友達として好きだった。

 刀夜が召喚されて危険な目に合わずに済んだことに、どこか安心している自分もいる。


 そういう自分に気づいて、また少しだけ胸の内が暗く重くなる。

 ――いっその事、全部嫌いになれたら楽なのに、と。


 だから、ほんの少し当てつけがましく、皮肉めいた笑みを滲ませながら言葉を吐く。


「それでさ、Cランクってどのくらい強いわけ?」

「……平々凡々といったところじゃ、わざわざ他世界から喚ぶほどではない……」


 女神はいじけたように床を眺めながらぽつりと言う。

 その態度がまたエイシの心を曇らせた。


「そっかぁ、この世界の難易度、平々凡々なCランクだと野垂れ死ぬだけかな?」

「確かに荷は重いが、妾はそこまでは……」


 ようやくレフィーリアが顔を上げ、エイシを見る。

 その表情に謝罪の念を浮かべて続けた。


「……すまなかった、傷つけたなら謝る。そうじゃな、妾が間違えて召喚したのに、失礼な態度をとってしまった、誠に申し訳ない」


 その態度に触れ、今度は居心地が悪くなるエイシ。


(ああ、もう僕って本当に中途半端だなぁ……)


 心の暗闇に身を任せられたら、この苦悩も終わるのだろうか、幾度となく自問した問い。

 答えの代わりにいつも思い浮かぶのは、亡き父の顔だった。


 家門の復興を願い、叶わなかった父。

 エイシの劣等感を察して夢を託さなかった優しき男。

 その父の無念と優しさがエイシの心のブレーキとなっていた。


 煮え切らない自分に呆れつつ、思考を切り替える。


「それでさ、僕は帰れるの?」

「……召喚には目的を定めなければならぬのじゃ。そしてその目的を達成しないと帰れぬ……、本当にすまぬ!」


 立ち上がり、深々と頭を下げる女神。


「つまり、そう簡単には帰れないってことだね」

 淡々とそう返す。しかし怒っているわけではなかった。


 胸の内には一種の期待があった。

 この世界なら心に蔓延る劣等感を拭い去るきっかけを得られるかもしれない、と。


(ここで経験を積めば、2人に届く力を手にできるだろうか)


 しかし同時に冷たくなった男の断末の視線が思い起こされる。この世界は自分の世界よりもはるかに死が近いものだという実感はあった。


(どうせすぐに帰れないんだ、せめて前向きでいよう)


 大きく深呼吸をして、レフィーリアへと震える手を差し出した。


「僕はエイシ、目的を達成できるように頑張ってみるよ」


 レフィーリアが目を輝かせ、エイシの手を取る。


「エイシ……、お主はなんて良いやつなのじゃ!よしわかった、妾が直々にお主を鍛えてやる!」

「えぇ……、なんでそうなるの?」


 レフィーリアはエイシの反応を無視し、青白く渦巻くゲートを作り出した。


「うわっ、これさっきのやつだ」

「召喚ゲートのことか?今度のはただの下界へのゲートじゃ、詳しい話は下でしよう」


 そう言ってゲートへと姿を消したレフィーリア。


(あの女神の作ったゲート……。変なところに飛ばされないよな?)


 ゲートの前でためらうエイシ。しかしここは死体と2人の静かな空間。

 エイシは背筋が寒くなり、ゲートへと思い切って飛び込んだ。


 ※※※



「うわぁ、すごい」


 ゲートを通り抜けた先は、大理石の柱が立ち並ぶ、まさに神殿といった風体の建物の内部だった。

 その景色にゲートに対して抱えていた不安も吹き飛んだ。


 ドーム状の屋根を目で追いかけていると、神殿を貫くようにそびえるそれ・・にエイシの目は奪われた。


「すっご、まさにファンタジーだ。これは……樹でいいんだよ……ね?」

「ん?ああ、お主の世界は世界樹が隠匿された世界か」


 近くの円卓の椅子に腰かけたレフィーリアが菓子をつまみながら言った。


「隠匿って事は、僕の世界にも同じような物が?」

「まぁ……、同じような、というか同一個体・・・・じゃな」


「同一……個体?」


 エイシは意味を理解できないまま、吸い寄せられるように樹へと手を伸ばす。だが不思議な事に、どれだけ近づけても指先が樹皮に辿り着く事は無かった。


「デカすぎて距離感がバグってる……わけじゃないよね」


「世界樹を理解しようとしても無駄じゃ、ここにあってここにない、これはそういうものなのじゃよ」

 

 そう言って世界樹を見上げるレフィーリア。

 エイシも釣られて見上げる。


 遥か遠く、雲に届くくらいの高さに果実が成っているのが微かに見えた。


 何故かそれらに視線を吸い寄せられるように眺めていると、黒く変色した果実が枝から離れ、虚空へと消えていくのが見えた。


 それを見た途端、何故か悪寒が走り、根源的な恐怖に襲われた。


「あぁ……」

 気づけば言葉が出ていた。


 そして無意識的に違う話題へと頭を切り替えた。

「それより僕めちゃくちゃ視力上がってる!?」


「それは身体強化魔法じゃ、マナも知らぬのに無自覚に出来るとはなぁ」

 レフィーリアは誇らしげに胸を張り、無邪気な笑顔を向けてくる。


「ふふっ、これほどまで妾のマナと親和性が高い魂は貴重じゃな。妾達、良いパートナーになれそうじゃ」


 照れて顔を背けながらも、自らの内に起こる異変を自覚し始めていた。

(身体強化、マナとの親和性……、不思議と解る気がする)


 そこでようやく自分が知らない言語を話している事に気づいた。

 まるで誰かに囁かれるように、知らなかったはずの、この世界の常識が頭に流れ込んできている。


「うわっ、……なんだこれ、知識が染み込んでくる」

「ふふ、良い表現をするではないか。それはマナの教えと呼ばれる現象じゃ。詳しい説明はおいおいするとして、その様子じゃ他の魔法もすぐに扱えそうじゃな」


「魔法!?使ってみたい、どうやるの!」


「ふむ、それはだな――」

 レフィーリアが得意気に解説を始めようとしたところで、広場の扉が開け放たれた。


「女神様、ご無事ですか!?」


 ノッポな帽子を被った小柄な少女がツカツカと、広間の中央へと歩を進める様子を世界樹の影から覗き見る。


「私と一緒に女神の間に入ったと神官からの報告が!」

 少女は小動物のような愛嬌のある顔を少し青ざめさせて、レフィーリアへと顔を近づけた。


「おお、アーナ、先ほどお主を殺したところじゃ。あぁ、化けておった偽物をな、中身はオッサンじゃ」

「さらっと怖いこと言わないでください!というか、一歩間違えば世界が終わっていたかもしれない……、あら貴方は?」


 アーナと呼ばれた少女はエイシの存在に気づき、向き直る。自己紹介するべきか迷っているうちにレフィーリアが勝手に話しを進めだした。


「こやつはエイシ、妾が新しく召喚した。ま、まぁ魂はCランクじゃが性格、親和性良し、期待の新人といったところじゃ。このちびっ子はアーナ、これでもこの世界の神官長、妾の補佐役といったところじゃな」


「Cランク……。女神様、召喚はあれだけ慎重にと言ったのに!またポンコツ女神と言われてしまいますよ!」


「うぐっ……、でも安心せい、エイシならば逆賊に寝返ったりせんはずじゃ!」


 レフィーリアが自信ありげに鼻息を漏らした。

 それに対してアーナは小さな体を目一杯動かしながら半泣きで反論する。


「イグリードさんの前じゃ寝返るも何もないですよぉ!Cランクじゃ張り合うことすら叶いませんってぇ!」

 

 ──世界の終わりに逆賊、張り合うことすら叶わない敵。

 耳に入ってくるのは不穏な言葉達ばかりだった。

 エイシは大きく溜息をついて、再び世界樹を見上げた。

 やけに目につく青い果実に向かって小さく呟いた。

 

「はぁ、僕、あそこ・・・に帰れるのかなぁ」


 しかし言葉とは裏腹に、エイシは自覚なくワクワクしていた。自らの体内で起こっている力の目覚め、逆境に立って湧く反骨精神。


 少年の抑え込んでいた劣等感が形を変え芽吹こうとしていた。

 ※※※

 

 ソレはただ『世界樹に連なる世界』を眺めていただけだった。


 ――いつからただ眺めるだけになった?


 そんな疑問が一瞬浮かぶが、悠久の時を生きるソレにはどうでもよかった。ただ今は一時でも退屈を凌げる何かを欲していた。


 ふと、辺鄙な世界に面白い動きが見て取れた。

 ──ほう、我の想定から外れる行動、いつぶりか。

 

 ソレの意識は『眺める』から『観察』へと移行した。

 そして挑発的に言葉を投げた。


 ――さあ、汝のレゾンデートル存在意義を示してみろ。

  


 こうして、多くの世界を巻き込んだ戦いが、静かに幕を開けたのだった。

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