第1話:運び屋ディアス①

 巨大都市リ=アルム。

 世界の中心に位置し、都市としては世界最大の規模を持つ。

 王政が常の世界で、王を持たず、国家のない中立の都市として有名である。

 しかしながら、統治する者がいないという訳ではない。経綸委員会なる組織が秩序や都市運営を行っている。77の国から外務政官を呼び、議会を通して都市機能を維持している。

 委員会設立の背景は至って単純。大規模な戦争に繋がる可能性の排除であった。

 そもそも、この巨大都市が何故どこの国にも属さないか。

 それは、かつて国として機能していたが、ある日を境に廃国と化した事が始まりだった。

 広大な土地が残ると、必然的に各国による侵略が始まる。

 領土を巡る争いは何年、何十年と続いた。

 ある年、停戦協定を結んだ際、ある一国の王が中立都市として機能させるのはどうかと提案した。

 当然、批判の声は上がった。だが、戦争が長続きしている現状に疲弊しているのも事実であった。その点に関しては、どの国も利害関係は一致していた。

 そして。

 手を取り合うという選択肢が机上に持ち出されたのは、戦争が始まってから100年近く経ってからであった。

 無益な時代。

 今ではそう揶揄されている。

 そういった歴史を背景に持ち、この巨大都市は誕生した。自由と平等を掲げ、いつしか世界の中心と呼ばれるまでに発展した。


 ***


「…………なんだこれ?」


 ディアスは山積みになった封筒に目を瞬かせた。

 起床して軽く身支度を済ませ、事務所を兼ねた1階へ降りて何気なく応接室に入ると、部屋の中心にある机の上に無数の封筒がドサッと置かれていた。

 寝起きから然程時間が経っておらず、まだ頭が冴えていないせいか思考が追いつかない。只々、山盛りにされた封筒の存在が不思議としか思えない。

 少しくせっ毛のある黒髪をガシガシ掻き乱し、ディアスは封筒を手に取る。

 蝋で封された封筒の表裏には名前と住所が書いてあるが、宛先や宛名は自分や他の従業員の名前とは合致しない。全く知らない人間のものだ。封筒の表には切手が貼られ、その上から消印が押されている。日付は4日前だった。


「あ、ディアス様」


 眠気まなこで封筒と睨めっこしていると、パーテションからひょっこりと女性が顔を出した。


「起床なされたのですね。朝食の方直ぐにご用意できますが、どうしますか?」


 女性はワイシャツと黒いスカートといった事務的な装いをしていた。赤毛の髪は肩まで伸び、毛先までストレートで癖を知らないようだった。


「うん? あー、おはよう。エミー」


 彼女の名は、エミー=リーズ。年齢はまだ23歳と若いが、あどけなさは一向に感じられない顔立ちをしている。背も女性の平均身長より高めであろう。凛々しい花のような女性だ。


「ご飯は後で食べるよ。それよりさ、この山なんだ?」

「あぁ、それですか」


 エミーの反応は何か知っているニュアンスだった。


「投函先間違えて戻ってきたやつですね」

「あー、そういうこと。………………え、どういうこと?」


 淡々と返ってきた言葉に、思わず「あー、なるほどね」と首肯したが、納得できる返答ではなかった。眠気が取れてきた頭が、いやいや違う違うと思考させる。


「一昨日の朝一から投函したのですが、それが全部違う家に投函されていたみたいです。それが昨日、郵便センターの方にクレームが入って、ここにお叱りが入って、再配送するようにとなった次第です」


 ディアスは顔を引き攣らせる。起き始めた頭でも正確に理解出来る程、彼女のしてくれた説明に衝撃を受けた。

 凡ミスにも程がある。

 苦笑いすら出来ない内容だった。


「こ、事の経緯はわかったんだが、なんでそうなったんだ?」

「バカ姉のミスです」


 バカ姉、その言葉を聞いたディアスは大きなため息をついた。

 ディアスはゆっくりとした足取りでソファーに座り、もう一度ため息をついた。


「……エリーの仕業か」

「はい。いつもの如く」


 エミーもディアスの向かい側の席に座る。


「この前、間違わないようにってあいつに地図渡したよな?」

「はい。ですが、地図は紙飛行機にして彼方へと飛ばしていました」

「子供かっ!」

「未熟な姉でご迷惑おかけします。いっその事、あのバカ姉を彼方に飛ばしますか? ご協力します」

「いやいや、実の姉だろ! 何キリッとした顔で言ってんだよっ」


 平然ととんでもない事を言うエミーに、ディアスは唖然とした。いつもの事ではあるのだが。

 姉としての威厳が全くないエリーに同情する。


「それで、エリーは?」


 ディアスは件のお馬鹿さんがいない事に気づく。

 この自宅兼職場はそれほど広くはない。居住地として扱っているのもディアスだけだ。ここの応接室以外の3部屋は炊事場と事務室、受付室のみで、誰かが音を立てれば割と分かる。

 しかし、耳を済ませど物音は聞こえない。他に誰かがいる気配もない。落ち着きのないエリーがいれば直ぐにでも分かる。


「姉なら社長に首根っこ掴まれてセンターに連行されていました。今頃、2人してべそかいて土下座でもしてるんではないでしょうか?」

「そ、そうか」


 他人事のような言い方をするエミーに、ディアスは苦笑するしかなかった。


「ところでさ、エミー。朝は時間空いてるか?」

「もしや、デートですね! 喜んで! 何がなんでも空けます!」


 まだ予定しか聞いていないのに、エミーは前のめりになって目を輝かせている。会話の流れからして何故デートになるのか皆目見当もつかないが、余計な事を言えば話が逸れてしまう。そう考え、ディアスは端的に答える。


「いや、違う違う。これこれ」


 ディアスは山盛りになった封筒を指差す。

 それで察したのか、エミーの瞳から期待の輝きが消えた。明らかにテンションが下がり、大きなため息をついてソファーに深く腰掛けた。


「ディアス様。朝から女性の心を弄ぶのは罪です。大変遺憾ですよ」

「いや、どうしてそうなる」


 早とちりというか、そもそもそう思わせるような言動をとったつもりは全くないのだが。これは一先ず謝った方が良いのだろうか。そんな迷いが頭に過ぎる。


「まあ、別日で手を打ちます」


 しょうがないですね、と言わんばかりの溜息をつかれた。そこはかとなく妥協された感じがする。そもそも誘ってはいないのだが。


「それで、この封筒───手伝ってあげてくれって事ですよね?」

「そういうこと。俺も回るしさ」

「ディアス様も知っての通り、私は姉の尻拭いなどしたくないので拒否します」

「まあ、そう言わずに。あいつ1人だとまた何かするかもしれねぇしさ」

「ディアス様の頼みでしたらとは思いますけど、あのバカ姉を甘やかす行為は一切したくないです」


 頑なな態度に、どうしたものかとディアスは頭を搔く。


「良いですか、ディアス様。甘えるというのは末の特権。それを行使していいのは妹たる私だけなんです。姉の甘えなど言語道断。妹尊姉卑です」


 なんかめちゃくちゃな事を言い出した。

 初めて耳にする言葉というか造語に最早何も言えなかった。

 うん。わかった。そうだね。そんな適当な気持ちになってきた。


「そういう訳ですので。この封筒の山はバカと社長にさせましょう。どの道、ディアス様も予定ありますから今からは無理ですよ」


 この職場の長たる社長を顎で使う従業員はエミーぐらいだろう。社長とは長年の付き合いであるから自分もまた似たような扱いをしてしまう時もあるが、それとはまた意味合いが違う。

 色々と末恐ろしい女性である。

 と、そんな事より。

 エミーの発言に、ディアスは1つ引っかかった。


「なぁ、俺の予定ってなんだ?」


 今日は予定など入れていなかった気がするのだが、一体どういうことなのだろうか。

 ディアスの反応に、エミーはハッとした顔で両手を合わした。忘れていた、と言っているようだった。


「今朝方、クルーガー理事長からお電話かかってきたんでした。ディアス様に学園までご足労願いたい要件があるそうです」

「クルーガーが?」

「はい。午前中までには来て欲しいと」

「また急だな。まあ、あいつらしいけど」


 クルーガーとはアルミディア学園の理事長だ。昔馴染みではあるのだが、友達というカテゴライズに入る関係性という訳でもない。強いて言うなら顧客。

 恐らく要件とは仕事だろう。急用がない今、無碍にはできない。


「わかったよ。それじゃ、行ってくるよ」

「はい。お気を付けて」

「あの2人がいつ帰ってくるか知らないけど、店番は頼む」

「お任せ下さい」


 ディアスは応接室を後にして玄関まで行った。

 靴棚から軍靴を取り出し、部屋用で履いていたスニーカーを棚に仕舞う。姿見で服装に違和感がないか確認する。黒地のパンツに黒に近いグレー色のワイシャツと、だいぶ黒みが多い。しばらくこのスタイルだからか、もう気にする事はなかった。

 棚の上に置いたレザー調の物入れをベルトに固定する。長方形の入れ物で、封筒が入りそうな大きさだ。基本的に鞄の類は持ち歩きたくないのだが、仮にも運び屋である以上、手紙の1つくらいは仕舞える入れ物は持っていた方が良い。そう社長に言われてからは渋々身につけている。


「さてと、行きますか」


 独り言を口にして、ディアスは外へと出た。

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