第2話

18時になったので、亜瑚は食事を作り始めた。豚汁に入れる野菜を切りながら、グリルで鮭を焼く。なかなか香ばしい匂いがしてきた。

味噌は白味噌だ。彼女はさっぱりとした味が好きだった。

「…よし」

ご飯茶碗に米をよそい、碗に豚汁を入れ、皿に鮭を乗せた。

皿を運ぶ前に居間の戸を開けた。長机が1つ置いてある閑散とした部屋だった。

皿を長机に運び、朱鷺を呼びに行こうとした。

ガタガシャッ。

朱鷺の部屋から大きな音がした。

驚いて亜瑚は朱鷺の部屋にすっ飛んで行った。「大丈夫ですか?」

部屋の中から「うえ…」と声がした。

亜瑚は朱鷺の部屋の戸を開けた。

「開けないでっ…ください」

朱鷺がそう言ったが、もう遅かった。亜瑚は朱鷺の姿を目の当たりにした。

「…タコ足?」

思わず呟いていた。その次には朱鷺のタコ足はなくなっていた。

「…見てしまいました?」

亜瑚は頷いた。朱鷺はため息をついた。

「気持ち悪いでしょう。すみません、お見苦しくて」

亜瑚は首を振った。

「そんな事ありません。タコ足だからなんですか。危害があるのですか」

朱鷺は亜瑚を見た。目が見開かれている。

「…気持ち悪いと、思わないのですか」

亜瑚はただ頷いた。

「…そうですか。なら良かった。そんな人初めてです。」

朱鷺は立ち上がった。

「食事が出来ているのでしょう?先程からいい匂いがされていました。」

亜瑚は頷いて朱鷺の部屋から出た。


食事は2人が向かい合うようにしてした。朱鷺は正座で三角食べをしていた。

「…朱鷺様は丁寧な食べ方をされますね。ご両親の教育の賜物ですか」

「そうですか?この食べ方が1番食べやすいので…。ただ、自分でそうしているだけです」

朱鷺は食べ終わると手を合わせて「ご馳走様でした」といった。

「では私は部屋にいます。何かあったら呼んでください。」

朱鷺が居間から出ていったのを確認して、茶碗を重ねた。朱鷺は豚汁の汁まで飲んでいた。


数日後。特に何かあるというわけでもなく、時間が進んでいった。

亜瑚は洗濯した衣類を物干し竿に干した。日がよく出ている。すぐに乾きそうだ。

「使用人さん、いますか?」

声がしたので、庭から台所に入った。

「はい、どうしましたか?」

「今日買い物に行く時にコーヒーのパックを買ってきて欲しいんだ。」

「わかりました。」

時間は15時半。もう買い物に行ってしまおうか、とバスタオルを物干し竿にかけた。

買い物カゴを持って商店街に出向いた。しかし、何かが違う。周りが亜瑚のことを好奇の目で見ているようだった。

初日に話しかけてきた八百屋のおじさんも亜瑚には近づかなかった。なんだかよそよそしい。

首を捻りながらも米屋に入った。するとあの男児が首をすくめた。

「来たのかよ。」

「なあに?その口は。私、何かしたかしら」

「姉ちゃん、タコのとこの人なんでしょ。商店街中で噂になってるよ。」

タコというのはきっと朱鷺のことだろう。

「何?あの人、何かしたの?」

「何かしたって訳じゃないけど…。この世の人じゃないとか、闇商売とかで稼いでるとか、真偽も怪しい噂がたくさんあるんだ。俺も昔からあの家には近づいちゃいけないよって母ちゃんから言われてた。…そんな人と接点があるってだけで、姉ちゃんもこの世の人じゃないってこの前言われてたよ」

それに亜瑚はムッとした。いつの間にか言い返していた。

「何よ、その噂。信じてる方がバカなんじゃないの?朱鷺様が危害加えてないんなら関係のない話でしょ。私が何と言われようといいけど、朱鷺様が何か言われてるのは許せないわ。」

「俺は信じてないよ。ただ滅多に家から出てこないんじゃ、気味悪いじゃないか。第一、姉ちゃんがどうしてそんなにムキになる必要があるんだよ」

亜瑚は呆れてため息をついた。

「そんなの、使用人だからよ。私からしたら護るべき方なの!」

亜瑚は何も買わずに帰ってしまった。


「…あれ、お米はどうしたんですか?」

朱鷺はご飯茶碗がないことに疑問も漏らした。

「ちょっと、買えなくて」

昼食に出して余ったほうれん草の胡麻和えをつまみながら答えた。声は沈んでしまった。

「元気ないですか。何があったか、教えていただけませんか」

亜瑚は今日商店街であったことを話した。

「…そうですか。たかが私のことです。確かにそんなムキにならなくても良かった―」

「良くないです」

朱鷺の言葉を遮った。

「朱鷺様がどんな人間だったとしても、たかがで済ませてはなりません。それに朱鷺様が悲しむと思って、それは絶対に嫌だったんです。私に出来ることだったらなんでもする。私が心がけていることです。私は、それはしたまでだったんです」

朱鷺が箸を置いた。

「ありがとう」

亜瑚は顔を上げた。

「私はさっきあんなことを言いましたが、本当は嬉しかったんです。あなたがそんな事を言ってくれて。私を1人の人間として見てくれた。そんなの、初めてだったんですから。」

ほろ、と綻んだ顔に亜瑚は安心した。

「食べましょう。せっかくの美味しいご飯が覚めてしまいますから」

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