晴北成道の怪奇譚

日高仙平

ミツメの編

第1話 三叉導師と悪霊の噂

水に浸る優雅な思い

まなこに映るは暗い世界

純然たるは遠い懐古よ

あぁ、知りたきは心の内か

想い馳せども霞む色

深紅の宝珠は何も語らぬ

――とある者の回想より




「まだなの?」


 樫山かしやま君加きみかはそう言わずにはいられず呟く。


 辺りは薄暗く、彼女は月明かりと携帯電話の明かりを頼りに、さざめく草木の姿を捉え道を確認しながら進む。


 周囲には人気もなく、不気味な雰囲気に肝が冷える感覚がするが、それを振り払いながらも興味、信仰、欲望など様々な思いを胸に歩みを進める。


 目的の場所はもっと奥か、まったく我ながら馬鹿げてると君加は内心自虐する。


 彼女がこのような不気味な場所に来た理由は、友人から聞いた些細な噂話からだった。


 ――君加には、狐蘭こらん色葉いろは平永ひらなが詩江しえという二人の友人がおり、いつもことあるごとに集まり、一緒に行動する仲だった。


 君加が通う学園では、講義終わりに生徒たちが屯して談笑する光景がよく見られたが、君加、詩江らも例に漏れず、講義終わりに、いつも自然と色葉の元に集まるようになっており、この日も同様であった。


「色葉〜。今日も残って勉強してくの〜? 一緒にお出かけしましょうよ〜。ほら、見て! 季節限定! 梨のパフェ!」


 詩江は店が苦心して作ったであろう手書きの菓子が描かれたチラシを見せながら、友人との放課後を存分に楽しみたい様子で話すが、色葉はそれに呆れたように返す。


「あんたまたデザート食べに行く気? 今週二回目でしょ? テストも近いのに遊んでるヒマある? あと太る」


「え〜、そんなんじゃ人生損しちゃうって〜。君加は行くでしょ〜?」


 詩江から話を振られた君加は、少し考えるような仕草をすると、爽やかな笑みを浮かべながら答える。


「あー、あたしも今日はパスかなー。今度点数悪いと母さんが許してくれなさそうなんだよねー」


「え〜。連れないわ〜。あ、でもじゃあ君加は点数取れればいいんだね〜?」


 何か良いことを思いついたかのような詩江の態度に、君加が興味を示す。


「何? いい方法があるの?」


「うん、こないだ図書館にある伝承の本で見つけたんだけど、あ、隣町の大きな湖って言ったらピンとくる?」


 面白いものを見つけ、子供のように浮かれている詩江に対して、色葉が辛辣な様子で食い付く。


「は? 何? あんた死にに行く気?」


 詩江は面食らったような様子で続ける。


「え、死ぬ? そうじゃなくて三叉導師さんさどうし様の話〜」


「三叉導師様? あそこはとんでもなく危険な悪霊が出る場所でしょ?」


 色葉が詩江に対して訳知り顔で話すと、君加が茶化すように言う。


「何それいろは詳しーい」


「結構有名な話じゃない」


 君加の言葉に、色葉は何とも言えない言えない表情になる。色葉にとって君加は仲の良い友人ではあるが、たまに見せる本意なのか分からないような態度に戸惑うことがあり、色葉はそれが少し苦手だった。


「え〜、そうなの? でもその本には開運の導師様が祀られてるって書いてあったよ。願えば道を示してくれるらしいの。あなたにはこんな道がありますよって。人を呪うなんて邪な話より面白いと思わない?」


 詩江は、色葉の話を意に介することなく、夢と希望に溢れた話を続けると、色葉はジトっとした目つきで「あんたの話の方がよっぽど邪よ…」と言う。


「ははは、でも開運の話は確かに面白いかもね」


緩んだ空気になったことを感じながら君加は続ける。


「でしょ〜? 私たちなら悪霊なんて怖くないよ。ねぇ、行ってみない?」


「そうねぇ、詩江がもっと真面目になる道を聞きに行こうか?」


「え〜、もっと有意義なことを聞きましょうよ〜」


 詩江と君加のやりとりに、色葉は流れが変わったことを感じ尋ねる。


「君加、まさかホントに行かないわよね?」


「ま、デザートでも食べながらゆっくり考えてみましょうよ?」


 君加は気が削がれたのか、放課後の余暇を詩江と楽しもうとしているようだった。


「やった〜、君加は行くのね?」


「ほら、色葉も行こうよ」


 君加からの誘いに色葉は観念した様子になる。


「はぁ、まったく……いいわよ、少しだけだからね?」


 こうして、三人は街へ出かけ、詩江が食べたがっていた梨のパフェを食べながら談笑を楽しみ、その後解散した。


 帰り際に詩江は「え〜今日はこれで終わり? 三叉導師様は〜?」などと言っていたが「危険な悪霊がいるって言ってるでしょうが」と色葉に制止され渋々諦めていた。


 しかし、君加は内心、三叉導師の話に興味が湧いており、湖に行きたいと思っていた。


 道を指し示すと言うことは未来が分かるということ。学生の身である君加にとって、まだ見ぬ未来のことは気になる事柄であり、三叉導師と会い未来を聞くことは充分に価値があることだと感じていた。


 尤も、君加が生来的に持っている冒険家のような気質も影響したようではあるが。


 色葉は湖に行くことに反対していたため、一緒に行くのは論外だし、詩江と二人で行けば口の軽い詩江から、二人で湖に行ったと色葉に話が伝わり、色葉の忠告を無視したことと、置いて行かれたことに対して色葉が不貞腐れることが目に見えていた。


 そのため、君加は二人と別れた後に一人で三叉導師がいるという湖に赴くことにしたのである。


「――お、あそこかな?」


 長い歩みの末にようやく道が開けた場所に出たため、君加は少し安堵しながら目の前に広がる漆黒の湖面と岸の杭にロープで繋がれた一隻の舟を見る。


「あの舟で湖の中央の島まで行けば三叉導師様に会える……と。はぁ、時間が掛かるんだね。もう暗いし今日は無理か」


 君加は湖に近づきしゃがみ込み、風で静かに揺れる湖面を覗き込む。


 吸い込まれそうな感覚になり、ゾクリと背中が冷えた気がした。


 立ち上がり周りを見渡し「はぁ、ホント不気味。夜に来るとこじゃないわね」と呟きながら、来た道を引き返そうと振り返る。


 気がつけば風が止んでいたらしい。辺りは静寂に包まれておりキンっと耳鳴りがする。


 一時は盛り上がっていた好奇心も今は息を潜めており、冷めた気分が肩にのしかかるようだった。頭には色葉が話していた悪霊の話が過る。


「帰ろう」と君加が右足を踏み出すと、後ろからチャポンと何かが水に落ちるような音がした。


 驚き振り返るが変わった様子はない。


「な、何?」


 君加は動揺を抑えながら後退りをする。


 雨が降っているわけでもないから、音がしたのは枝か何かが水に落ちた音だろうかと君加は思料する。


 しばらく湖の方をジッと見つめていたが、目を凝らしても変化はないように見える。


 嫌な予感がし、君加は急ぎ来た道を引き返し始める。


 風は変わらず止んでおり、はぁっはぁっという息遣いと、タッタッタッと地を蹴る足音だけが辺りに響く。


 なぜこんな所に来てしまったのだろう、自分は何を考えていたのだ、君加は急に自身の行動が恐ろしくなる。


 月明かりも徐々に雲で陰り始め、周囲の状況は、まるで彼女の行く末を暗示しているかのようであった。

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