第5話 予測の内側で

「……天野くんってさ、本当に何でも分かってるんだね」


放課後の教室に、軽く笑う声が響いた。


それは安藤綾だった。


彼女は隣の席に座ったまま、窓の外を眺めるふりをしながら、横目でこちらを見ていた。今日のホームルーム後、彼女が何気ない顔で話しかけてくるのは──予定通りだった。


天野凛は心の中で、机の端に引いた一本の線をなぞる。朝、登校前に描いた“今日の予測”の中では、午後4時10分、教室内に安藤綾と二人きりになると記していた。彼女が言う内容も、話し方も、表情も──そのすべてが、予想した通りだった。


「いや……分かってるっていうか、だいたい分かることが多いだけだよ」


天野はそう返した。すでに用意してあった返答だった。


彼女はふっと息を漏らして笑った。


「変わってるね。でもなんか……分かる気がする」


その言葉も、台詞帳のように彼の脳内に記されていた。


驚きもなければ、喜びもない。


ただ、またひとつ、正確な現実が一歩前に踏み出したというだけ。


「ねえ、ちょっと付き合ってくれない?」


綾がそう言いながら、立ち上がった。その提案も、天野には見えていた。彼女の目的は、校舎裏の花壇横のベンチ。数日前、彼女のスマホに届いた通知が、そこに関係していると凛は知っていた。


──“彼女は、あの日、無意識にメッセージを削除した”。


それも含めて、凛は知っていた。彼女の行動と、それをとりまく因果を、まるで設計図のように。


ベンチに並んで座ったふたりの距離は、45センチ。春の風が吹く午後4時18分。


沈黙。


綾は何かを言おうとして、言葉を飲み込む。それが5秒続いた後、口を開く。


「私ね、天野くんのこと、ちょっと気になってたんだ」


天野は視線を遠くに向けたまま、答えなかった。それでよかった。なぜなら、ここで言葉を返さないことが、彼女の心に「この人には届かないかもしれない」という芽を生やすことになるからだ。


そう──それすら、天野凛の“予測の一部”だった。


綾は俯いた。


「……なんでも分かっちゃうのって、ちょっとずるいよね」


数日前から想定していた。

──すべて、想定の範囲内。


「そうかもしれないね」とだけ彼は言った。


それが彼の中で“最適解”だった。これ以上深く感情を示すと、彼女の好奇心が高まりすぎて不幸の未来になる。


「ありがとう。付き合ってくれて」


綾が立ち上がる。去っていく靴音。ベンチの隣に残された体温すら、彼の心に何も残さない。


天野はゆっくりと立ち上がった。


──さて、次は午後4時25分、昇降口で担任に呼び止められる。


ポケットに手を入れ、階段を下る。


どこまでも、どこまでも、“この世界の予定表”通りに。


ほんの一瞬、ベンチに残された安藤綾の温もりが、確かに彼の背に残っていた。

それも、彼の予測通りだった……。

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