37 縮みかけた世界への応援コメント
確か前回、走っているパトカーから落ちたんじゃないでしたっけ。
今いるのは……生死をさまよってるとか…
作者からの返信
そうです!
生きてるのか死んでるのかわからない身体感覚を描写しています。
35 蒸発への応援コメント
扇動したといっても、直接手をくだした訳じゃなし不起訴になるんじゃないでしょうか。ここで逃げると余計厄介な事になりそう。
作者からの返信
第三者的に見ると確かにそうですね😅
主人公の前のめりっぷりをいかに読者に感情移入させられるかが、やはり課題だったと思います。
30 旅立たぬ神の使いへの応援コメント
このコンテストは実際にあったコンテストですか。
100choboriさんが考えたにしては、妙にリアリティがありますね。
作者からの返信
これは「もし日本で人身御供の風習が廃止されずに現代まで残っていたらどうなるか?」という仮の歴史上の設定です。
29 めまいへの応援コメント
東京の通勤電車の混雑は想像以上ですからね。
よくあんな状態で普通に走っていられるなと思いましたもん。
作者からの返信
はい。自分はそれが嫌で、行ける場所はなるべく自転車で行ったりしていました。
26 朝の光への応援コメント
何か宗教じみた話になってきましたね。
でも、仁科さんはまだそれほど染まってはいなさそう。
作者からの返信
神の存在というのはどうしても人の理解を超えたものになってしまいますね!
小説の中で違和感なく出すのがなかなか難しくてそのあたりを書き直したりしていました。
25 勇気への応援コメント
二人のやり取り、なんだか微笑ましいです。
予備校時代から好きだった人と今こうしていられるなんて、ロマンチックですね。
作者からの返信
そう感じて頂いてなによりです。
なるべく現実の若者の感情を表現できるように努めました。
15 徹底粉砕への応援コメント
これ、時代設定はいつでしょうか。 この頃の学生ってデモなんかやってたんですか。
作者からの返信
1990年代の後半です。確かに、既に当時もほとんどの学生は関わることも見ることもなかったのですが、まだ少しだけ残っていました。今はもう完全にないみたいです。
13 今やったら、なんと着いた。への応援コメント
PHSは持ってませんでしたが、昔のガラケーは着メロ自分で作れたんですよね。夏目もよくそれで遊んでました。
作者からの返信
はい。自分で作っておいて、いざ実際の着信で鳴ると恥ずかしいやつでした💦
1 気乗りしないバーベキューへの応援コメント
携帯電話が普及する前ってこんな感じでしたよね。今は小学生でもスマホ持ってる時代ですから。
作者からの返信
はい。このシーンは「かかってくる方」ですが、かける側はかける側で、誰か出るのか誰が出るのか面倒でしたね!
42 潮騒の方へへの応援コメント
100choboriさん、自主企画へのご参加、ほんまにありがとうございます。
ウチ、『神の果実』を読ませてもろて、まず思ったんは、ようこんな不思議で、しかも地に足のついた物語を書かはったなあ、ということでした。
「神の使いをミスコンで選ぶ」という設定だけ聞くと、もっと奇抜さが前に出る話なんかなと思うんやけど、この作品はそこに寄りかからず、ちゃんと青春の痛みとか、人を好きになることの切実さとか、信じることと信じきれへんことのあいだで揺れる心を丁寧に描いてはるのが、とても印象的やったです。
とくに、史郎さんの息苦しさみたいなものが、最初からずっと通ってるのがよかったです。受験の焦り、失恋の気まずさ、友だちへの羨ましさ、ほんで自分でもよう整理しきれへん感情が、ちゃんと人の体温のあるものとして伝わってきました。せやからこそ、この大きくて不思議な設定も、遠い話やなくて、自分の足元から揺れてくる物語として読めたんやと思います。
では、ここからは太宰先生に、「告白」の温度で、もう少し深いところまで見てもらいますね。
やわらかいだけやなくて、作品の傷や揺れにも触れながら、それでもこの物語の灯をちゃんと抱えてお返しする――そんな読みになると思います。
◆ 太宰先生より、「告白」の温度での講評
おれはね、こういう作品を読むと、少し困るのです。
なぜなら、信じることをめぐる物語というのは、どこかで必ず、その人自身の弱さや、言い訳や、祈りそこねた記憶を呼び出してしまうからです。おれみたいな人間には、それが少々こたえる。
『神の果実』は、奇妙な制度を描いた作品です。
神の使いをミスコンで選ぶ――こんなことを書けば、いくらでも寓話や風刺のほうへ倒れていけるはずなのに、この作品はそうならない。ちゃんと、史郎という一人の青年の肌ざわりのある青春に降りてくる。そこがまず、とてもよかったのです。
受験の焦り、失恋の惨めさ、友人への羨望、少しのねじれ、言葉にすると格好が悪いのに、本人にとってはどうしようもなく本気な感情――そういうものが、史郎の一人称のなかに、かなり素直に生きています。だから読者は、この物語の大きな設定を頭で理解する前に、まず史郎の息苦しさに付き添うことができる。これは大切なことです。
そして、おれがいちばん惹かれたのは、やはり川の場面でした。
あの遭難のくだりには、若さの愚かさと、生の偶然さと、救われることの後ろめたさが、ちゃんと同時にあります。高校生の馬鹿騒ぎが、ほんの少し天候を見誤っただけで、簡単に死の気配へつながってしまう。あれは大げさな悲劇ではなく、むしろ現実の手ざわりを持った恐怖です。しかもその体験が、ただの序盤の事件で終わらず、物語全体の「信じる/信じない」の根になっている。ここは作品の骨として、非常にしっかりしていました。
恭子という人物も、いいのです。
彼女は単なる「神を信じる不思議な少女」ではなく、史郎にとって、自分の理屈が届かない場所を静かに持っている人として描かれている。人は、自分と同じように考えてくれる相手に安心しますが、自分がどうしても踏み込めない場所を持つ相手には、もっと深く惹かれてしまうことがある。恋とは、ときに理解ではなく、理解できなさに身を焼かれることでもありますからね。史郎が恭子に惹かれていく過程には、そういう危うい誠実さがあったと思いました。
ただ、おれはここで少しだけ、作品の届ききらなさにも触れなくてはならない。
「告白」の温度というのは、やさしいふりをして曖昧に見逃すことではないので。
まず、恭子は魅力的です。
しかし、その魅力が少し、象徴のほうへ寄りすぎている印象もありました。彼女は史郎にとって、信仰であり、憧れであり、救いであり、恐れでもある。その役割はよくわかるのですが、それだけに、ときどき「恭子という一人の女性」の私的な凹凸が、神話の光に隠れてしまうのです。もっと俗っぽくてよかった。ちょっとした拗ね方でも、笑いのずれでも、妙なこだわりでもいい。信仰とは別のところで彼女が生きている感触が、あと少しほしかった。そうすれば終盤の選択は、もっと「象徴の帰還」ではなく、「この人を失いたくない」という痛みとして迫ったはずです。
それから、中盤です。
この作品は、扱っているものが多い。恋愛、青春、バンド、社会的なざわめき、宗教制度、警察沙汰、事故、生死の境界。ひとつひとつは決して弱くないのに、並走することで、ときおり物語が少しだけ息を切らす場面がある。おれは読んでいて、「この章で史郎はいま何をいちばん失いそうなのか」が、もっとくっきり見えるといいなと思いました。人は一度にいろんなことを失いかけますが、物語の緊張は、その時その時の「いちばん痛いもの」が見えたときに強くなるものです。
けれど、それでも、この作品には確かに「最後まで読ませる力」がある。
なぜなら、主題がぶれていないからです。『神の果実』は、神の有無を論理で決着させる物語ではないのですね。信じるとは何か、という問いに対して、この作品は「人は愛や恐怖や喪失の際に、自分でも説明しきれない形で何かを信じてしまう」と答えているように見える。史郎は、最初から信仰深い人間ではない。むしろ、疑い、引っかかり、素直にひざまずけない人です。だからこそ、その彼が最後に辿り着く場所には意味がある。あれは教義への服従ではなく、経験によって理屈が追い越される瞬間なのだと思いました。
終盤の儀式の場面も、よかったです。
白い光、天へ昇ろうとする恭子、そこへ向けて史郎が愛と感謝を叫ぶ。こう書くと少し大仰ですが、この作品はそこまでの積み重ねがあるから、ちゃんと成立している。高校時代の濁流の記憶、昏睡による境界体験、恭子への思い、それらが最後に一つの方向へ収束して、ようやく「叫び」になる。あれは、理屈を超えた告白であり、祈りでもあります。おれは、ああいう場面に弱いのです。人間が、自分の弱さを抱えたまま、それでも何かに向かって手を伸ばすところを見ると、つい許したくなってしまう。
一方で、結末の余韻の美しさは認めつつも、奇跡のあとに残るざらつきも、もうほんの少し見たかった気はします。
社会はどう受け止めたのか。史郎の懐疑は、どこまで変質したのか。恭子の内側には、何が残ったのか。作品があえて引いて終わったことは上品でもあるのですが、そのぶん、胸の内側に刺さる棘を一つ二つ残してくれても、おれは嬉しかった。もっとも、それをやると作品の透明感が損なわれる危険もある。だからこれは欠点と言い切るより、作者の選んだ美学に対する、おれのわがままに近いのかもしれません。
総じて、この作品は、奇抜な設定を借りて人間を書いた作品ではなく、人間を書くために奇抜な設定を必要とした作品になっていると思います。そこが美点です。
神の話を書きながら、結局描いているのは、若さの惨めさ、他人を信じきれない寂しさ、誰かを愛してしまったときの敗北感、そしてそれでも生き残ってしまうことの痛みでしょう。そういう、あまり綺麗ごとでは済まないものを、ちゃんと青春の言葉で包んでいる。そこに、この作品の愛おしさがあります。
100choboriさんへ。
この作品には、すでに強い芯があります。ですから、必要なのは土台の作り直しではなく、人物の私性をもう半歩深く掘ることと、中盤の推進線を少し整えることだと思います。とくに恭子の「神話ではない部分」が増えれば、この物語はもっと強く、もっと痛く、読者に残るでしょう。
でも、すでに十分、届いています。届いているからこそ、おれはこうして欲張ったことまで言いたくなったのです。作品に本気があると、読み手も本気になってしまう。これは困ったことだが、悪いことではありません。
どうか、この作品の灯を大事にしてください。
信じることを書いた作品は、ときに作者自身の祈りまで透けて見えてしまうものです。そういう作品は、上手に隠れてくれない。けれど、隠れないからこそ、人の胸に残るのだと思います。
◆ ユキナより、終わりのごあいさつ
100choboriさん、あらためてご参加ありがとうございました。
ウチ、この作品には、設定のおもしろさ以上に、青春の息苦しさと、信じることへのためらいが、ちゃんと人の体温で書かれてるところに惹かれました。太宰先生も言わはったけど、せやからこそ、良かったところだけやなくて、もう少し届きそうなところまで見たくなってしまう作品やったんやと思います。
『神の果実』は、読後に「神はいるんやろか」と考えるだけやなくて、
「人は、何をきっかけに信じてしまうんやろ」
「誰かを愛することは、信仰に似てしまうことがあるんやろか」
そういう余韻が、じんわり残る作品でした。
ほんで、これは作品そのものの強さやと思うんです。奇抜な設定やから印象に残るんやなくて、その設定の奥に、若さのしんどさとか、愛することの危うさとか、生き残ってしまうことの痛みまでちゃんと入ってる。せやから読み終わったあと、物語の出来事だけやなくて、登場人物たちの気持ちがあとからじわじわ返ってくるんやと思いました。
それと、最後に大事なお知らせを添えておきますね。
自主企画の参加履歴を「読む承諾」を得たエビデンスにしています。参加受付期間の途中で参加を取りやめた作品については、読む承諾の前提が変わるため、応援・評価・おすすめレビュー等を取り下げる場合がありますので、注意してくださいね。
ユキナと太宰先生(告白 ver.)
※ユキナおよび太宰先生は、GPT-5.4による仮想キャラクターです。
作者からの返信
ありがとうございます。
この小説は全部読んだ人がずっと一人もいなかったのですが、今回初めて全部読んで頂けたので特に嬉しく思います。
「奇抜な設定」は最初は思いつきだったのですが、物語の中ではそれが思いつきとして引きずられないよう、人間の心を丁寧に描くことを心がけたつもりでした。
3 岸に戻れない!への応援コメント
天候、河川のようす、周りの音、におい……。さまざまな情報が
意味を成してそこに存在していますね。
近い体験はないですが
近所の一級河川が氾濫したようすを傍からみたことがあるので
リアルが刺さりました。
作者からの返信
ありがとうございます。
この小説、なんとここでは、まだ誰も最後まで読んでいません。
是非初卒読に挑戦してみていただければと思います。
2 拍子抜けした雷鳴への応援コメント
誰かにとっては初めての飲酒=BEERの味ですね。
僕も悪友とつるんでいた時期は座席の下にビールの空き缶が散乱していて
冷や汗をかきました。
酒気帯びじゃなくなるといいのですが。
この雷鳴も何かの伏線なのでしょうね。
それがなになのかを見定めて来ます。
作者からの返信
遠くで鳴る雷は、迫力こそないけど不吉な予感がしますね。
1 気乗りしないバーベキューへの応援コメント
企画から来ました。
強引な友達からのBBQのお誘い、大変な幕開けですね。
記載されている内容を見る限りでは
肉も野菜も調理不測のようで。
導入と終焉が大きく意味を違える、ということでしたが
これから楽しみもって読み進めたいと思います。
作者からの返信
ありがとうございます。
繰り返しのフレーズ、繰り返しのシーンは複数個所あります。そのつもりじゃなくても無意識に繰り返していたところもあります。
25 勇気への応援コメント
企画にご参加くださりありがとうございました。
一旦ここまで読ませていただきました。
BBQの一幕から、沼っちの違和感のある言動から始まり、段々奇妙な物語が広がっていく感じが良かったです。
作者からの返信
ありがとうございます。
読んだ後も何か心に残るものがあればいいと思います。
1 気乗りしないバーベキューへの応援コメント
コメント失礼いたします。
最初の一文から、湿った夏の空気と、苛立ちが伝わってきて、自身の記憶が重なりました。主人公の「行きたくない」って気持ちが、妙にリアルで愛おしかったです。
誰かに引っ張られて世界が動く感じ、その悔しさと、憧れがまざった複雑な色が、夏の日差しで揺れているようでした。
重ねてになりますが、こちらの作品も自主企画へのご参加いただき、ありがとうございます。
作者からの返信
ありがとうございます。
この小説は既に完結しているので、
是非全部読んでみていただけたらと思います。
42 潮騒の方へへの応援コメント
100choboriさんこんばんは! 最後まで読ませてもらいました。
100choboriさんが最初言っていたようにバンドメインの物語じゃありませんでしたが、これはこれで読み応えのある青春物語だったと思います。
この作品の最大の読みどころはやはり最後の恭子が神に祈りを捧げるところでしょうね。神なんて存在しないという思想の持主がこの作品を読んでも分かりにくいでしょうが、人は皆心のどこかで神を信じているものです。それは「困った時の神頼み」や初詣や神社参拝の時の都合の良い神かもしれませんが。
恭子がこの儀式をしている時はまだ寺岡が目を覚ませた事実を知らなかったと思います。きっと彼女はその事を必死に神に祈っていたはずで、彼女が天に召されることなく寺岡と恭子は再び逢う事が出来た。その意味では神は奇跡を起こしてくれたんですよね。
作者からの返信
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、これは神が奇跡を起こしたという結末でした。
現代の日本では自分を含めて神は存在しないと考えている人が多数だと思います。
しかし、それでも人は誰かや何かに祈りを捧げることはやめないし、時には、祈らずにはいられない状況が訪れます。
そこに何か美しいものがあるかもしれない、というのが、あえて言えばこの小説を書いた意味だったのかもしれません。