これって異世界なのか?! 主人公死んだけどとりあえずどうする?
椎葉 化成
これって異世界なのか?! 主人公とりあえず死んだけどどうする?
異世界と云えばジ◯リだよね。って、そんな認識で大丈夫か?
午前3時。北枕鰯(きたまくら・いわし)は自分のベッドの上で日課であるネットのザッピングをしていた。
うつ伏せに頬杖をつきながら、茫洋とした目つきでタブレット画面を見つめている。数十秒のショート動画がせわしなく映り変わる。誇張された危なっかしい映像、実在するのかどうか胡乱な映像を鰯は無感動な表情で見ていた。
よだれに気づかない程に鰯は睡魔に乗っ取られる寸前だった。
このまま寝落ちすると、夕方までは寝続ける。その後は空腹に耐えかね、仕方なく体を起こす。スーパータマキンで安く買ったパスタがまだ残っているから、レンジで2人分茹でて塩だけかけて食べる。あとはベッドの上でネットをザッピング。明け方頃に寝る。これの繰り返し。
一人の孤独な青年の日常だった。
とはいえ当の本人は自分の生活を哀れとも悲惨とも思ってはいなかった。誰がなんと言おうが、この日々を享受し継続すると心に決めていた。
鰯の日常はおそらく一般的な文化水準を大きく下回っていることだろう。しかし鰯からすればそんなことどうでもよく、ある程度腹を満たせる食材と寝床、なによりネットさえあれば良かったのだ。
ちょっとした工夫さえすれば、水道とガスなんてハナから必要ない。節約した光熱費と通信費に加え、築65年のボロアパートの家賃はタダみたいなものだから、気分がノッた時に日雇いバイトに行き、帰りにスーパータマキンの特売コーナーにいつもあるパスタさえ買っておけば生活は成り立つ。
2年前。都心に住んでいた鰯は、せっかく新卒で入った会社の人間関係に嫌気がさし3カ月で辞めてしまった。あっさりと地元を捨てた鰯は、なんの未練もなく次の生き方を探した。
漂泊の果て、地方都市のはずれにある寂れたボロアパート『ぴえん荘ω(ふぐり)』を見つけ、現在と同じ極貧生活を始めた。
当時はまだ10代だった。失踪するには早すぎる歳だったが、鰯に後悔はなかった。どうせあのまま会社に残って居たとして、上司や同僚との間のストレスで寿命をすり減らしてしまうだけだ。それにこの時勢、昇進しようがありがた迷惑なだけだ。それなら貧しくても『なるようになる』現在の生活のほうがいかに素晴らしいことだろうか。鰯の心に迷いはなかった。
友達もなく、趣味もなく、無論カノジョなんて居ない鰯。それでも彼の心はブレることはなく淡々としていた。
人生なんてなるようになる。彼の座右の銘だった。どんな困難に遭遇しようとこの呪文さえ唱えていればなんとかなる。なるようになる。つまりはなるようにしかならぬ……。
ふと、鰯は考えた。なるようにしかならぬとはいえ、この生活に強いて足りないものといえばなんだろう。そういえば、夕方に食べるパスタ、塩以外の調味料がもう一つ欲しい。毎日味付けが塩ばかりではさすがに飽きてきた所だ。思考は飛躍する。
味。調味料。スパイス。刺激……。ここまで連想して、鰯は閃いた。
刺激とは、何も食事のことばかりではない。安直な発想だが、自分の日常にあとほんの少し、刺激さえあればもはや言う事はない。鰯の心に、ほんの少し変化が見られた瞬間だった。
スーパータマキンの『胸焼け感動大セール』が今朝(6時)までやっていた気がする。今から買いに行けば、最安でなにかしらのスパイスが手に入るだろう。
鰯は部屋着のまま自室の扉を開けると、サンダル姿で駆け出した。ぴえん荘ωの2階廊下をバタバタ走り抜け、階段の踊り場に降りた所で足がもつれ、そのまま階段を転げ落ちた。
もんどりうって道路の真ん中に飛び出した鰯は、そこへ爆走してきた『田亀源五郎急便』に尻をド突かれて死んだ。
目を覚ました鰯は酷く底冷えを感じた。ぴえん荘のベッドで寝ていたはずが、粗末な板張りの上にうつ伏せで寝ている。寒いはずだ。
しかし待てよと、鰯は思い返した。いくらあのボロアパートでも、床はこんなに油臭くなかったはずだ。否、違う。そもそも、自分は家から飛び出した所で転げ落ち、大型トラックに死ぬほどカマを掘られたのだ。
でも尻は痛くない。おかしい。じゃあここはどこなんだ。なんだか嫌な予感がした。
「あんちゃ〜ん、ちょっとそこのあんちゃん! 」
鼻栓をした猫が二日酔いした時に出すような声が聞こえてきた。それは春先の酔っぱらいの不愉快なダミ声にも似ていた。
声の主は鰯に呼びかけているようだった。
「あんちゃん。まだ開店前なんだけどねェ。ちょいと、早く起きとくれって」
呼ばれた鰯は唸りながら立ち上がる。
かぶりをふって周囲をみわたし、鰯は仰天した。
そこは全く見覚えのない場所だったのだ。
一見して受けた印象は、ゲームや西部劇に出てくる西洋風の酒場。
薄暗いため、広さはよく分からないが、胸丈の丸テーブルがあちこちに置かれ、付近には腰丈の小さな丸椅子が乱雑に置かれていた。
後ろを向くと、西部劇でよく見るパタパタ開閉する蝶番のついた腰周りだけの小扉があった。
「起きたかい。困るのよ、そんなトコで寝られちゃあ。ジャマなんだから」
声に釣られてまた振り返ると、左手にはバーカウンターがあった。
声の方へ目を凝らすと、カウンターの上に大きな鏡もちが乗っている。
否、あれは顔だ。灰色の肌をした丸っこいシワシワ顔なのだ。
バカでかい顔の上にとんでもない毛量のグレーヘアを丸く盛って固めた芸者のような髪型。簪で頂上を留め、もう1段お団子を作って纏めている。ワイドショーで有名な、かの司会者に似てなくもない。
さしずめヒビ割れ灰かぶり鏡もち。否、ごま練り3連団子とでも云おうか。考えたところで、実際どっちでもいい。問題は声の主がその鏡もちであるということだ。
暗さに慣れてきたおかげで、その皺くちゃの顔が怪訝と不安と憤怒をないまぜにした凄まじい形相であることが分かった。シワの奥に見開かれた双眸がギラリと鰯に向けられている。
「あんちゃん、あのね。店はあと一時間しないと開かないのよ。外で待つか帰ってくれやしないかね」
鏡もちは吐き捨てる様に言った。何か含みを持たせた言い方だった。
その含みが何であるか以前に、鰯には未だ鏡もちがジジイなのかババアなのかすら分からなかった。もちろん、その珍妙な生き物を前にして日本語がなんとなく通じている不思議にも気づいてなかった。
完全に思考停止の痴呆状態にあった。
「あの〜すいません。ここは何処ですか? 」
妙に長い間を置いて、ようやく鰯は口を開いた。宿題があったことすら知らない生徒のような、呑気でとぼけた口調だった。
敵意むき出しの鏡もちに対して、よくいえば物怖じしない。悪く云えば危機感ゼロの馬鹿野郎だった。
張り詰めた空気の中、突如カウンターの横扉から小さなおっさんがぴょこぴょこと飛び出してきた。
小さなおっさんは鰯の胸丈ほどの背丈だった。アヒルのような足どりで鰯の前に立ち止まると、上から下へ眺め回しう〜むと唸り独り納得した。
「娑婆婆(しゃばあば)。やっぱりそうだ、この人この世界の人じゃないや。転生者だよ」
小さなおっさんはませたガキのような甲高い声だった。
鏡もちは、名を娑婆婆と云うようだ。鏡もちは鰯の出現に驚き、カウンターに前のめりにいたらしい。ひとまず安堵したのか、ヤレヤレと鼻を鳴らし上半身を起こした。一瞬、鏡もちから手が生えたような錯覚を覚えた。
娑婆婆は遮光カーテンのようなテレテレ光る素材の紫ドレスを着ていた。ドレスを着て婆と呼ばれているからには女性なのかと思ったが、逸らした顔の下には突き出た喉仏があり、こいつはオカマだということがようやく判明した。
小さなおっさんは鰯と娑婆婆のやりとりをカウンターの奥に隠れて最初から見ていたようだ。
鰯が居場所を尋ねたところでこの世界の住人ではないと判断し、緊張を見かねてぴょこぴょこ現れたというわけだ。
娑婆婆は出し抜けに、ツァッ! と思い切り舌打ちをかまし、カウンターを指でトコトコ叩いた。節くれ立った指には、沢山の宝石の指輪が嵌っている。
「『転生者』だって……?
んなこたアタシだって薄々分かってたわよ。だから何なのサ。ほんだら役所にきてもらうしかないでしょうに」
役所、と云う言葉に鰯はひるんだ。
なんで店の入り口で寝てたくらいで役人にしょっぴかれるのか。この妙ちきりんな場所は日本のどこなのか。この人らは自分のことを助けてくれたのではないのか。
鰯はやっと頭を使い始めた。
小さなおっさんは自分のことを真っ先に『転生者』と断定した。鰯が好きなアニメやゲームでよく聞く設定だ。
ならば此処がどこで、自分は今どういう立場なのか。改めて順序立ててみる。
鰯は自分がトラックに轢かれ此処で目覚めたことを念頭に、段々と置かれた状況の理解に努めた。
そうか、そういうことだったのか……。
鰯はわが意を得たとばかりに、急に余裕をかまし始めた。
目の前の小さなおっさんは、よく見ると耳が尖ってる。この特徴は、たしかホビットとかいう亜人種だ。娑婆婆とか云う鏡もちのお化け。あんな強烈なビジュアルのオカマがリアルに居るわけがない。
間違いない。自分はファンタジーの世界に転生させられたのだ!
阿呆の朴念仁である鰯の妄想はここぞとばかり捗った。
トラックに轢かれる前。部屋で感じた自問がフラッシュバックした。
自分が欲する、ほんの少しのスパイスとは何だったのか。その答えがこのアニメのような世界にきっとある。
つまり、この状況こそ 自分が求めていた刺激(パスタのあじ) というわけだったのだ。
解答を得て、一人悦に入った鰯は短距離走でゴールテープを切った時のように両手を掲げてみせた。もう誰も自分を止められない。ここからはずっと自分のターンなんだと自惚れ確信した。
だが、鰯の思惑とは別に、周囲はなんだか険悪な空気だった。
「娑婆婆、いきなり役所はあんまりだよ」
「おだまりよアンタ、はやく役所の人を呼ぶのよ役所。役所の人をさー! 」
ホビットのおっさんが娑婆婆をとりなしているが、娑婆婆は例の猫が鼻づまりを起こした様な声で興奮しきっている。
このイザコザもなにかイベントの前フリなんだろうが、鰯としては仮に役所がきたとして、ストーリー的には全然面白くない。
どうせ何をしても自分の思い通りになっちゃうんだから、思いたったらすぐやるべきだ。
普段とは比較にならない早さで鰯は腹をくくった。
問答している二人の口調や態度から、おそらくこの酒場の主人は娑婆婆なのだろうとあたりをつけた。鰯はカウンターの方へ向き直る。
「あの、すいません」
普段のマヌケ面からキリリと精悍な顔つきに切り替わった鰯を見て、二人はポカンと黙り込んだ。
すわ、と鰯は頭を下げる。
「ここで、ここで働かせてください! 」
自分で言って、なんかどこかで聞いたセリフだなと思った。
「……あ? 」
「ここで、働かせてください! 」
「……あ? 」
「ここで働かせてください! 」
「……あ? 」
「ここで働かせてください! 」
「……あ? 」
「こーーーーこーーで! 働かせて! ください!!! 」
「…………あ? 」
「だから! この店で、僕を働かせてくださいって言ってるんです」
「……………あ? 」
「娑婆婆、もうやめなよ……」
ついにホビットが二人を制止した。
「もう、アンタうるさいね! あと少しでコイツ諦めたかもしれないのに」
案の定、娑婆婆は聴こえていないフリをしていた。鰯は肩で息をしており、ホビットは呆れて頭をかいていた。
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