第3話

その日の“恋愛講座”を終えたあとも、俺の胸はずっとそわそわしていた。

 白石結月──学校の誰もが憧れる存在が、俺とふたりきりで会話して、真剣な眼差しで恋愛の話をしていた。


 あれは夢だったんじゃないか。そう思ってしまうほど、現実味がなかった。


 けれど次の日の朝、登校中の正門前で彼女に会ったとき、その幻想はすぐに現実へと引き戻された。


「……おはよう、圭太くん」


 通学路の途中で、いつもなら絶対に交わらないはずの挨拶。

 制服姿の彼女が微笑んで、俺に手を振った。


「き、昨日はありがとう。また今日も、お願いしてもいい?」


 その瞬間、通りすがりのクラスメイトたちが、ざわ……っと動揺する気配を見せたのが分かった。


 俺はただ、「あ、あぁ……」と曖昧に返すことしかできなかったけれど、心臓はバクバクとうるさく鳴っていた。



 放課後、昨日と同じく、ふたりで中庭のベンチへと向かう。


「今日はね、“スキンシップ”の練習しようと思って」


「……す、スキン……え?」


 聞き間違いじゃなかった。彼女は手帳を開いて言葉を続ける。


「えっとね、“さりげないボディタッチは距離を縮める効果がある”って、ちゃんとネットに書いてあったの」


 彼女の真剣な顔に、俺はつい頭を抱えたくなった。


「……その前に、俺たち、まず名前で呼び合うとかから始めたほうが……」


「あっ……それ、たしかに!」


 結月は手帳を閉じて、顔をぱっと明るくした。


「じゃあ、呼んでいい? 圭太くん」


「お、おう……。じゃあ、俺も……結月、でいいか?」


「うん!」


 たったそれだけのやりとりで、なぜか心の中がぐらりと揺れた。


 彼女の名前を呼んだとき、ほんの少しだけ、距離が近づいたような気がした。



 実際の“スキンシップ”はというと、

 「じゃあ……これ、ね」

 そう言って結月が俺の袖を、ほんの指先でつまむように触れた程度だった。


 それでも、心臓が跳ねた。


「……こ、こんな感じでいいのかな?」


「い、いいんじゃないかな……」


 どちらからともなく笑い出してしまって、緊張が少しだけほぐれた。


 それでも、距離は近いまま。

 手帳の端っこが、ふたりの膝のあいだで軽く触れ合っていた。


 仮の恋愛講座。仮の関係。


 だけど、なぜだろう。


 彼女と触れたこの感覚は、全然“仮”なんかじゃなかった。

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