川底の小石
幸まる
供養
「は? 人が入るサイズの冷蔵庫?」
夏季が近付く暑い日、改造屋のタイラは、魔石屋のロレッタに呼び出されて聞いた仕事内容に、思わず太い眉を寄せた。
「そう。これなんだけど、魔力燃費が悪すぎるからなんとかならないかって言われて」
長い赤毛をキツく編み込んだロレッタは、倉庫にドンと横たわる冷蔵庫を指差す。
どこぞの魔術具士が作ったという大きな冷蔵庫は、くすんだ白い横長の直方体で、開閉部分の扉は一枚板のように持ち上がり、中は仕切りのない細長い空間だ。
タイラは慣れた手付きでサッサと側面板を取り外すと、動力となる十個の魔石が嵌め込まれているのを目にし、呆れて大きく溜め息をついた。
「魔石の量を増やして、闇雲に広い空間を冷やそうとしてやがるな。どこのどいつだよ、こんないい加減な造りにした奴は」
「ろくな魔術具士じゃねぇ」とブツブツ言いながら、タイラは魔石からの魔力循環部を確認していく。
魔石の魔力を余さず効率的に使い、少ない魔力で、魔術具の能力を出来るだけ長持ちさせるように作られる物が、質の良い魔術具だ。
しかし昨今、魔石の使用量を増やして能力を上げる、こうした量産型の粗悪な物が増えた。
魔力というエネルギーが、平民にも当たり前に使えるものとして定着しているからだ。
魔術素質を持つが魔術は使えない、という者が世界に溢れていることが、これを後押ししているとタイラは思っている。
魔術は使えなくても、魔石に魔力を充填する程度に魔力を扱える者は多い。
購入した魔術具に、自分達で魔力を充填出来るとあれば、便利な魔術具を購入する者は増える。
しかし、簡単なように見えて、魔石への魔力充填は意外と繊細な作業なのだ。
魔力の扱いを専門的に学んだものでなければ、100%充填することは難しい。
魔石に充填した魔力がすぐに切れてしまうので、結局は専門の魔石屋に充填を依頼することになることが多く、たちの悪い魔術具士は、それを狙って魔石屋と組んで粗悪な魔術具を売り出すのだ。
「どう? 改良出来そう?」
不意に肩越しに手元を覗き込まれて、しゃがみ込んでいたタイラは、軽く咳払いしながら半歩横にずれた。
一瞬鼓動が跳ねたことは、気付かれていないはずだ。
「そう難しいもんじゃない。少なくとも三割は燃費向上出来るだろうな」
「さすがタイラ」
嬉しそうに両手を打つロレッタは、以前よりほっそりした頬を緩める。
その笑顔から視線を逸らし、タイラは横たわる冷蔵庫を軽く叩いた。
「それにしても、なんなんだよこの冷蔵庫。デカい割に、料理店なんかで使うには仕切りもなくて使い勝手が悪そうだし……」
「それね、コンバート卿の特注品なの」
「コンバート卿?
コンバート卿は、この街では名の知れた貴族だ。
有名なのは悪食が理由で、一般に食用とは認められていない魔獣の肉を好んで食す為だった。
「じゃあこの冷蔵庫も、これから何かの魔獣肉を熟成する為に使うってことか」
「そうみたい。ほら、ここに吸着の魔石を嵌めるところがあるし」
ロレッタは靴を投げ出し、扉の開いたままの冷蔵庫の縁を跨ぐと、中で這いつくばって隅の窪みを指した。
そこには、魔力を吸着する特殊な魔石を置く窪みがあった。
魔獣の肉は魔力を濃く含む為、家畜の肉と同様の食べ方をすれば、魔力酔いや、消化不良で嘔吐や下痢を引き起こす。
下手をすれば、内臓をやられる場合もある。
その為、含まれる魔力を吸い出しつつ肉を熟成させる必要があるのだが、それに有用な魔術具が、吸着の魔石を内部に嵌め込んだ冷蔵庫だった。
開発者は、魔術具士のジャンニ。
改造屋のタイラ、魔石屋のロレッタと三人で、ずっと一緒に仕事をしてきた幼馴染でもある。
そして彼は、ちょうど去年の今頃、事故で亡くなった。
ロレッタは、窪みを指先で撫でた。
「……ジャンニだったら、もっと目立たないところに設置するよね」
「……そうだな。アイツは細かいところに物凄く拘る奴だから」
互いに、過去の話として口にはしなかった。
ジャンニが生きていた頃は、コンバート卿は特別な魔術具の発注を必ずジャンニにしていた。
彼の発想と繊細な仕事ぶりを気に入っていたからだ。
ジャンニが魔術具を作り、ロレッタが完璧に魔力充填した魔石を動力として使用する。
不具合があればタイラの意見を聞き、共に改良を重ねる。
三人は、ずっとそういう関係で一緒にやってきたのだった。
ロレッタは顔を上げ、冷蔵庫を眺めた。
そして、不意に仰向けに寝転がる。
人ひとりが入れるだけの大きさがある冷蔵庫は、小柄なロレッタが寝転がっても余裕があった。
「棺みたい」
ポツリと零した途端、痛いほどの力で腕を掴まれ、強引に引き起こされた。
「やめろ」
過剰に反応して固い言葉を投げたタイラの顔は、血の気が引いている。
埋葬される前、棺の中に横になったジャンニの印象が拭いきれていないからだろうか。
「ごめん……」
言ったロレッタは、目を逸らしたタイラの横顔を見つめたまま、冷蔵庫の縁を握った。
『冷蔵庫ってさ、棺みたいなもんだよね』
昔そう言ったのはジャンニだった。
コンバート卿からの依頼で、魔獣の肉を熟成させる為の
『死んだ家畜の肉を入れるんだよ。同じようなもんでしょ』
『供養する前の遺体を入れる物と同じだって言うのか?』
嫌な顔をしたタイラを笑って、彼は続けた。
『調理して食べるのも供養といえば供養じゃない? そういう解釈だとさ、俺の作る
ジャンニは冷蔵庫の縁を撫でた。
『ただの道具じゃなくてさ、そういうものを作り続けていきたいよね……』
粗悪な量産型の魔術具が、我が物顔で流通している現在。
職人気質のジャンニは、悲しんでいたのだろうか。
それとも、焦っていたのだろうか。
事故の起きたあの日、新しい昇降機の魔術具に使う魔石の魔力圧縮を行って、試作機の動力部は暴発した。
そしてジャンニは、衝撃により頭部を床で強打し、そのま帰らぬ人となった。
ロレッタは、視線を逸らしたままのタイラに向けて、謝罪の言葉を再び口にする。
「ごめん。……ごめんね、あの時私が一緒にいれば良かったのに。そうしたら、ジャンニはあんな事にならずに済んだよね」
タイラは眉根を寄せて視線を戻した。
「……なんでそうなる?」
「魔力圧縮は私がするべきだったでしょう? ジャンニは優しいから、きっと私のことを気遣って無理したんだよ……」
そもそも、魔力圧縮は魔術士か魔石屋の管轄分野だったが、近年の
おそらくジャンニは、ロレッタの負担を減らす為に、自分が魔力圧縮を試みたのだ。
タイラは苦いものを噛んだように顔を歪めた。
「……気遣ったんじゃないだろ。プロポーズの約束だったんだから」
今度はロレッタが眉根を寄せた。
「プロポーズ? なにそれ?」
「だから、ジャンニが魔力圧縮を成功させて試作機が完成したら、プロポーズを受けるって……」
「誰が?」
「だから、お前が……。違うのか?」
明らかに困惑した表情のロレッタが、有り得ないというように強く首を振る。
「そんなわけないでしょ! 私が好きなのはずっとタイラで、ジャンニはそれを知ってて応援してくれてたんだから!」
「なっ……」
「……!」
勢いで言ったロレッタが視線を泳がせてから顔を伏せた。
きっちり編み込まれた髪のせいで、形まではっきりと見える耳が赤い。
タイラは短く刈った黒髪をグシャグシャと掻き乱す。
口にした言葉は元に戻せなくて、ロレッタは視線を上げられず、冷蔵庫の中で小柄な身体をより小さくした。
「何だよ、それ……。ジャンニが応援してたって?」
「…………そう。試作機が出来て落ち着いたら、告白のお膳立てしてやるからって。でも事故が起きて……」
「アイツ……」
タイラは事故の前を思い出す。
タイラは子供の頃からロレッタが好きだった。
しかし、幼馴染の関係は心地よく、何よりロレッタが三人の関係を維持したそうに見えたので、告白は出来なかった。
『意気地なしめ』とジャンニに言われたことがあったが、それでもタイラは、幼馴染であり仕事仲間でもある関係を維持し続けた。
そして、あの日だ。
『俺、プロポーズしたから』
昇降機の動力部に、魔力充填された魔石を嵌め込んで、ジャンニは立ち尽くすタイラを見上げた。
『………………なんだと?』
『だからさ、ロレッタにプロポーズしたよ』
『お前っ……!』
『タイラが悪いんだよ? あれほど背中を押してあげたのに、ちっともロレッタにアピールしないじゃない。だから俺が先にアピールしただけ。魔力圧縮と試作機が成功したら、プロポーズを受けてくれるって』
言葉が出ず、拳を握りしめたタイラに、ジャンニはいつも通りの笑顔を向けた。
『流れに任せているだけじゃあさ、欲しいものも流れて行ってしまうよ、タイラ』
タイラは唇を噛んだ。
ジャンニはロレッタの気持ちを知っていた。
だからこそ、嘘のプロポーズ話をしてタイラを焚き付けたのだ。
そして、そのまま逝ってしまった。
冷蔵庫の中で小さくなっていたロレッタは、腕をつかんでグイと上に引かれ、目を見開いて立ち上がった。
そのまま太い腕に強く抱きしめられて、更に目を大きくする。
「好きだ、ロレッタ」
「……う、そ……」
「嘘じゃない。ずっと、ずっと好きだった」
抱き込んだ小さな身体が震えた。
「……ホ、ホントに?」
「本当だ。ジャンニも知ってた」
「うそ……知らなかった、私、そんなの」
「だから、本当だ。そういう鈍いとこも、好きなんだ」
ロレッタの手の平が、タイラのシャツをぎゅっと握る。
タイラはロレッタを抱きしめたまま、彼女が立つ冷蔵庫を見下ろした。
冷蔵庫に横たわるあの日のジャンニが、タイラを見上げる。
『ほら、やっぱり冷蔵庫は棺みたいなもんでしょ』
そう言うように、いつも通り、目を細めて笑って。
馬鹿野郎。
これも供養だって言うのかよ。
苦笑いにも似た歪んだ笑みを浮かべ、タイラは不意に滲みそうになる涙を堪えた。
腕の中の温もりも、それを抱きしめる自分も確かに生きている。
タイラは腕に力を込めた。
もうここにはいないジャンニを、一緒に抱き込むように。
お節介ジャンニ。
お前のことは、俺達が忘れない。
忘れないからな―――。
◇ ◇
「何だ、それ」
ロレッタが持ち帰り、作業場の机の上に乗せた包みをタイラは指した。
お得意様のコンバート卿にまた呼び出され、帰りに土産として持たされた物らしい。
「あの巨大冷蔵庫に入れてたものだよ。タイラと食べろって、分けてくれたの」
「結局なんの肉だったんだ?」
「肉は肉でも、獣じゃなかったの。魔獣ではあるんだけど」
見せた方が早いと、ロレッタは包みを開ける。
僅かに魚介臭がする、肉厚の白い身が見えた。
「何だ? 魚?」
「
「シーサーペント!?」
「そう。あの長い体が冷蔵庫に入ってたの。縦型じゃダメなわけだよね」
クスクスと可笑しそうにロレッタが笑う。
「これ食ったらすごい精がつきそうだな」
「えっ、やだ、タイラったら」
耳を赤くして、慌てたように包みを閉じるロレッタを、タイラは肘で突付いた。
「なに想像してんだよ」
「想像なんてしてないよ。タイラのエッチ」
「してんじゃねぇか」
唇を尖らせて包みを台所に運んでいくロレッタの後ろ姿を、タイラは見つめる。
ジャンニを亡くしてから失っていた柔らかな空気が、二人の間に戻ってきていた。
少し、甘やかさも加わって。
作業場を出る前に、ロレッタが立ち止まって振り返った。
「あ、そうだ。コンバート卿が、近い内に邸宅内の送風機を改良して欲しいって」
「そうか。じゃあ明日には伺うよ」
頷き、軽い足取りでロレッタが出て行く。
タイラの頭の中では、既に既存の室内送風機の造りが次々と浮かび始めている。
量産型の魔術具が増えるにつれ、拘りのある質の高い魔術具は減っている。
しかし、全ての人がそれを良しとしているわけではない。
だから、いくらでも手を掛けて、改良を繰り返してやる、とタイラは決めた。
自分は魔術具士ではないから、新しい物を生み出すことは困難だ。
しかし、改造屋にしか出来ない改良を重ねることは出来る。
『流れに任せているだけじゃあさ、欲しいものも流れて行ってしまうよ、タイラ』
そうだな、ジャンニ。
だから俺は、俺達は、出来ることで足掻くさ。
流れるままでなく、逆らうでなく、川底の小石のように踏み
お前の目指した意味のある物を、俺達なりに目指して。
大きく吸い込む空気は、暑い夏の匂いを連れてくる。
あの日に置いてきていた、生きている実感と共に。
《 終 》
川底の小石 幸まる @karamitu
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