ハプニング発生!

「それじゃあ今日は、チェリが楽しめるように、遊びながら観察しようか」


 昼食を終えてから、イードはそう切り出した。


「これから俺がいくつか果物を用意するから、チェリはそれが何か……嗅覚を頼りに当ててみて」


 差し出された布に、すぐさま合点がいったフェリチェは、早速それを巻き付けて目隠しをした。


「いいぞ、受けて立とう!」

「じゃあ最初はこれだ」


 イードの手は、果物かごから林檎を掴み取る。それをナイフでくし切りにするや、フェリチェの耳はしゅんと垂れ下がった。


「すまない、イード。フェリチェ、ズルした。今のは音で分かってしまったぞ。林檎だろう?」

「そうだけど、音で色までは分からないんじゃない? 皮は何色だと思う?」

「この青々と爽やかな甘い香りは……黄緑色の林檎だな?」

「正解。はい、ご褒美にお食べ」


 うさぎの耳のように皮を残して剥かれた林檎が、フェリチェの口の中で瑞々しい甘みを弾けさせた。

 その後も次々と果物が剥かれては、フェリチェの口に運ばれていく。


「じゃあ次は……」


 お次は少し離れた所で試みようとキッチンに移動したイードは、悪戯するつもりで、ある壺の蓋を取った。

 すると、ソファにいるフェリチェの尻尾の毛が一瞬にして逆立った。


「それ、臭いやつ! あの酸っぱいプラムだろう! やめろ、匂いだけで唾が止まらない!」

「すごいなあ、よくわかったね。ご褒美をあげよう」

「いらん! 持ってくるな! フェリチェは絶対に食べないからな!」

「はいはい」


 たいへん不評なため、さっさと壺をしまって、イードは次の実験は何にしようかと、思考を巡らせる。


「それだけ鼻が利くのなら、俺がどこかに隠れても見つけられたりする?」

「いつもと調子が変わらなければ、可能なはずだ」


 フェリチェは鼻をひくつかせる。いまだ、イードの言う桜桃の香りは見つけられない。


「じゃあ、試してもいい? 十数えるうちに隠れるから、チェリは匂いで俺を探して」

「わかった。今度はズルしないように、耳も塞ぐぞ」


 フェリチェはやる気満々だ。目隠しをさらに膝に埋め、両手でしっかりと耳を押さえつけた。

 その間にイードは足音と気配を忍ばせて、隠れ場所を定める。

 やがて、とお数え終えたフェリチェが、神経を研ぎ澄ませるように深呼吸して立ち上がった。

 目隠しのせいで、家具の脚にそこかしこぶつけながらも、フェリチェは一歩一歩確実にイードの方へと近づいている。

 イードは、狩られる獲物の気分を体感しているようだった。息を潜め、気配を殺して待つ。

 少しきょろきょろしたフェリチェが、ぴたりと動きを止め、嬉々と笑みを浮かべた。


「見つけたぞ、イー……うわっ……!?」


 覚束ない足が絨毯に引っ掛かって、フェリチェは大きくつんのめった。

 目隠しの下でぎゅっと目を瞑ったフェリチェだったが、床に叩きつけられはしなかった。


 フェリチェを包み込んだのは、ナツメグのような、軽やかな甘さと渋みを伴った香りだ。それは、かくれんぼで見つけたばかりの、イードの香りだ。

 彼の腕がよろめく体を、しっかり抱き止めてくれていた。


 泣いているうちは鼻が詰まって感じられなかったが、目隠しをすることで顕著になったその香りに、今は全身すっぽり包まれているようだ。そんな錯覚が、イードの腕の中にいるという事実をフェリチェに無言で教え聞かせてくる。


「あ、わ……す、すまない。助かった……」


 口を開くと、早鐘を打つ心臓が零れ落ちそうに声が震えた。妙にドキドキとしてしまい、フェリチェは平静を装おうとするあまり、寧ろ不自然に揚々と声を上げた。


「つ、つまずいてはしまったが……、イード発見だっ。ふふん、どうだ、すごいだろう!」

「うん、完敗だ。……なら、どうしてこの匂いだけ分からないんだろう」

「む?」

「さっきよりずっと甘く、濃密になっているのに」


 もしかして、とイードの手はフェリチェの桜色に染まった髪に触れる。


「自分の匂いは分かりにくいというし……。この変色した被毛のせい?」

「わからん……そ、それより、いつまでこうしているつもりだ。もう、離してもらっても大丈夫だぞ」

「ちょっと待って、もう少し。ちゃんと確かめたいから……嗅いでいい?」

「かっ……!? だ、だだだダメだ! は、恥ずかしいから、やめろっ。やめっ……!」


 髪に、イードの鼻先が触れるのがわかった途端、フェリチェは身を縮こませた。

 清潔は保っているつもりだが、こんなことは想定外だ。万が一、臭ったりしたらと思うと気が気でない。

 その上、腕に抱かれた状態というのがまた、照れに拍車をかける。街で見かけた恋人たちが、挨拶代わりに髪に口付けている姿なんかが頭に浮かんでしまい、フェリチェの胸は激しく鳴った。


「ううぅっ……は、離せ。嗅ぐな、へんた、い……」

「はっきりとは分からないな。漂っている香りとはまた違う、いい匂いはするけど」

「いっ……!? いい匂いとか言うな……恥ずかしいだろう!」

「なんで? 褒めてるのに」


 さらに香りを求めるように、イードは桜色の髪に顔を埋める。腕には自然と力が入って、フェリチェから逃げ場を奪うように、腰から抱き寄せられた。


「繁殖期だから、この匂いがするのかな?」

「今日、初めて大人になったフェリチェが知るものか……。も、もういい加減、離してくれ。頼む、さっきからお前が喋るたび……」

「俺が話すと、何?」

「ひっ……!」


 イードの腕の中で、縮こまった体がさらに強張って、淡く柔らかな被毛がぶわりと広がる。大きな耳の先は跳ねるように震えて、イードの頬をくすぐった。


「どうしたの?」

「ふわゎっ……み、耳元で喋るなっ……」


 すくめた首筋に、ゾクゾクとした痺れがわだかまり、うっすら汗が滲んだ。


「ああ……そうか」


 そんな一言にもフェリチェは身を震わせる。イードはどこか悪戯な笑みを零すと、離れるどころか、わざわざフェリチェの耳に顔を寄せた。


「……チェリは、耳がんだった?」


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