第二十二楽章
夜。町灯りを反射した夜空には、もうすぐで満月になる月が浮かんでいる。今、私のすぐ目の前には春野菜の詰まった籠が置かれている。
「まさか、またお世話になるなんてね」
隣で寝転がっている水月の声が、眠たい耳に響く。夜までに北国を抜けられないと判断した私たちは、市場の方へと向かった。出来るだけ人通りの多い、温もりのあるところへと行くつもりだった。
「おめぇさんら行ったり来たりしてっけどよぉ、ナニモンなんだ?」
私達が今寝転がっている荷馬車の持ち主、正二が聞いてくる。何者か…説明することが多すぎて、上手くまとめられない。
「逃亡者…かな」
やっと出てきた簡潔な三文字。水月も頷く。
「何から逃げてんだ?…親?巡査?」
「流石に邏卒からは逃げてないよ…」
水月が苦笑いしながら訂正する。正二は安心したような、大きな息をついた。
「んじゃぁ、何から?」
「民族というか…血族というか…」
「ふーん…」
そこで会話は途切れた。皆静かに、夜の静けさを感じ取る。腕を頭の方で組み、枕代わりとする。
「んじゃ、オラはもう寝るべ…」
そう言って、ロウソクの灯が消えた。天井の布に映っていた影が、一瞬にして姿を暗闇と同化させた。
「薫風、おやすみ」
「おやすみ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「んじゃぁ、またな」
お礼として市場での商売を手伝い、帰りも同行させてもらった頃にはもう夕焼けが辺り一面を赤一色に染めていた。
「ありがとうございました」
「村の少年、感謝する」
今度は水月に言われなくとも、お礼を言うのを忘れはしなかった。
「オラの名前は正二だっつってんだろ!」
そんな微笑を漏らす会話をして見送った。時間というものは早く過ぎるもので、もう東側の空は、青がかった紫色に変化している。
「水月、私たちも行こう」
「うん…どこの山にする?」
出来るだけ陽が差して、川も近くに欲しい。あとは、木材が豊富なところ。
「とりあえず、あそこは?」
水月が指した山は、風と水の民が暮らす山の反対側に位置していた。十分距離は離れている。それに、村の水路の近くにある…良いかもしれない。
「うん、あそこに行ってみよう」
初めて水月と一緒に泊った空き家に似た家が並ぶ。それを横目に過ぎて、目の前にそびえたつ山へと一歩踏み出す。
「……」
鼻に流れ込んでくる草木の匂い。地面に映る木漏れ日。遠くで聞こえる鳥の歌。笛の練習に焦り、十分に味わえなかった感覚が今目覚める。足がどんどん奥へと進む。一歩、また一歩と。
「薫風、ここらへんで良いんじゃない?」
気づけば山間部とみられる、広いところに来ていた。見晴らしがよい。
「確かに…ここが良い」
「じゃぁ、場所はもう…決まった?」
「うん」
片手を上に上げ、水月が上げた片手を叩く。ハイタッチ、というものだ。夕日はもう頭しか見せていないが、東には姿を現し始めた星たちが輝いていた。
「今日は地面で寝るかぁ~…」
明らかに嫌そうな顔で言う水月。でも、それはそれで楽しそうだと思うが。森と言っても村に管理されている。だから、獣とかは出ないと思う。
「今日は早めに寝て、明日に備えよ」
「うん、そだね。…寝れるかなぁ」
そう言って、水月は草が生い茂ったところへとダイブした。私も、すぐ隣の草クッションへと横になる。
「星が見えてきた」
横から真上へと、頭を向ける。いつの間にか夕日はほとんど沈み、空は一番星が目立ち始めてきた。あの山で見る星と、この山で見る星は違う気がする。本で見た星を探している間に、目が閉ざされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「…さだよ……朝だよ……朝だって言ってるでしょ!」
「ハイッ!」
目に朝日が差し込む。まだ日が昇ったばかりみたいだ。辺り一面が赤みを帯びた黄色に染まっていく。
「ふぅ…やぁっと起きた。おはよ、薫風」
「おはよ……水月」
体をゆっくり起こし、あくびをする。いつも一日の始まりである朝が嫌いだった。また吹けない笛を練習すると考えると、眠れない夜もあった。だけど、水月と逃げ出してからはそれ程嫌いではない。
「途中にあった川に行って、水飲もうよ」
「うん、良いね」
素早く立ち上がり、どんどん前へと進む水月を追いかけた。途中にあったという川は、数分歩いたところにあった。
「ここの水…澄んでるし源流にも近い方だし…飲めるかも」
「てか、村の人普通に飲んでたよ?」
すると、先頭を歩いていた水月が右へ動く。そして私に、川の前まで来るよう促す。……どうやら、私に毒見をさせるらしい。
「薫風からどうぞ」
「いやいや、水月からで良いよ」
「いや、薫風から」
「水月から…ほら、一気!」
しばらくの間二人でバチバチしていた。結果、二人同時に飲むことになった。
「薫風、せーの!」
水をすくった手を、口元へ持っていく。そして、そのまま……川に返す。水月はそのまま飲んだ。
「プハァ…って、薫風‼」
いやぁ~…いざとなったら、ちょっと不安になって……。そんな言い訳は通用しそうにない。それに、見たところ美味そうに水を飲んでいるから大丈夫だろう。
「分かった分かった、飲むから」
急いで水をすくい、口元へと引き寄せる。指の間から少しづつ水が滴る。一口……二口……三口。
「美味ぁっ‼」
静かな森に、私の声が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます