クラス転移で召喚されたのに俺だけ役立たずと異世界に置き去り。20年後に自力で帰還したら日本にダンジョンが出現していた

夏野小夏

取り残された異世界で

第1話 裏切りの奈落

 異世界での最後の夜は不思議なほど穏やかだった。

 ついに魔王との戦いが終わり、俺たち異世界に召喚された高校生一同はついに故郷である日本への帰還を許された。


 王城の一室に集まったクラスメイトたちの顔には安堵と、この世界での冒険が終わることへの一抹の寂しさが浮かんでいる。もちろん俺も同じだった。


(やっと……帰れるんだな)


 部屋の隅でほとんど空になった鞄の中身を整理しながら、俺、青江和希あおえかずきは深く息を吐く。思い返せばあっという間の一年だった。


 戦闘系の能力が発現する者が大半の中、俺に与えられた能力は影隠れシャドウ・ハイド。自分の影に潜むだけというあまりにも地味で使い勝手の悪い能力だった。


 日中の開けた場所では意味をなさず、夜でも完全に気配を消せるわけではない。結局俺は戦闘で役に立った試しが一度もなかった。


 それでも足手まといにだけはなりたくなかったから、自分にできることを必死に探した。

 クラスメイトたちの武器や食料を運ぶ荷物持ち。率先して行う野営の設営。雑用ばかりだったけれど少しはみんなの役に立っていたはずだ。


 俺はそう自分に言い聞かせて、胸の奥に燻る劣等感を無理やり押し込めていた。


「よう、青江」


 考えに耽っていると不意に声をかけられた。振り返ると、クラスのリーダー格である串崎敦志くしざき あつしのグループ、塩釜達也しおがまたつや戸山晋一とやましんいちが、ニヤニヤしながら立っている。


「串崎からの伝言だ。明日の儀式の前にな、お前にだけ特別に渡したいものがあるんだとさ。褒美みたいなもんだってよ」

「え、俺に?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。褒美……この俺に?

 聞き間違いじゃないかと戸惑う俺に彼は大げさに肩をすくめてみせる。


「ああ。一番の功労者は『勇者』様だけど、お前みたいに裏方で頑張ってたやつのことも、リーダーはちゃんと見てるってことだ。明日の昼、本教会の裏門近くの古い礼拝堂に来てくれ。ちなみに帰還儀式の開始は午後2時からだから1時ごろに来てくれればいい」


 その言葉は乾ききった俺の心に染み渡った。

 見ていてくれたのか。串崎が。あのクラスの中心でいつも輝いていた彼がこの俺の働きを。


(やっと……やっと俺も、本当の仲間として認められたのかもしれない)


 込み上げてくる熱い感情に視界が滲む。俺は何度も頷きながら、震える声で「わかった、必ず行く」と答えるのが精一杯だった。




 翌日、俺は約束の場所である古い礼拝堂にいた。

 石造りの壁と色褪せたステンドグラス。黴と古い木の匂いが鼻をつく忘れられたような空間。時計の針は1時を回ろうとしていた。


(おかしいな……もうこんな時間か)


 俺はポケットから懐中時計を取り出す。午後12時58分を指している針を眺めた。約束の時間になるのに全く気配がない。


(でも、みんなが帰る儀式は午後2時からって聞いてるし、まだ1時間は余裕があるはず。帰りの準備で忙しいのか?)


 そう呟いて自分を無理やり納得させようとする。串崎のことだ、きっと帰還の準備で忙しいんだろう。リーダーは大変だ。


 頭ではそう理解しようとしても、なぜか心の奥底で警鐘が鳴り響いていた。連絡もなしにこんな人気のない場所で待たされている。徐々に不安が込み上げてきた。


 ひんやりとした石の壁に背中を預ける。静まり返った礼拝堂に響くのは俺の心臓の音だけ。ドクン、ドクン、とやけに大きく聞こえる鼓動が俺の不安を煽っていく。


(まさか……何かあったのか? それとも……)


 そこまで考えて最悪の可能性が脳裏をよぎった。


(――騙されたのか?)


 その考えが浮かんだ瞬間、全身の血の気が引いていくのがわかった。そんなはずはない。串崎はたしかに俺の頑張りを認めてくれたはずだ。信じたい。仲間を信じたい。


 けれど思い出されるのは昨夜のクラスメイトたちの雰囲気。俺に声をかけてきた時の何とも言い難い目。これまで受けてきた数々の「役立たず」という嘲笑。


 点と点が繋がり恐怖という名の線が俺の心を締め付ける。

 ダメだ。ここにいてはダメだ。

 信じたい気持ちと裏切られているかもしれないという恐怖が激しくせめぎ合い、恐怖が打ち勝った。


 俺はパニックに突き動かされるように礼拝堂を飛び出した。もつれる足で石畳を全力で駆ける。真実を確かめるために。この胸騒ぎがただの杞憂であってくれと祈りながら。



 息も絶え絶えに王城に隣接する大教会の重い扉にたどり着く。渾身の力でその扉を押し開けた。


 俺の目に飛び込んできたのは絶望そのものだった。





 教会の中心では巨大な魔法陣がまばゆいばかりの光を放っている。そのエネルギーで空気がパチパチと音を立て、髪が逆立つほどの魔力が満ちていた。

 光の中心には体が透け始めているクラスメイトたちの姿があった。


 帰還の儀式はもう最終段階に入っていたのだ。転移を守るために聖騎士が立ちふさがっている。いつでも邪魔者を取り押さえられるように。


 俺が教えられた時間は真っ赤な嘘だった。


「うそ……だろ……?」


 乾いた唇からか細い声が漏れる。

 俺の呟きに光の中にいた串崎が気づいた。奴は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに面白いおもちゃを見つけた子供のように意地の悪い笑みを浮かべた。


「待ってくれ!」


 俺は叫び魔法陣に向かって駆け出す。このまま置いていかれるわけにはいかない。仲間なんだろ。一緒に帰るんだろ!


 その必死の願いを嘲笑うかのように、串崎は魔法陣の護衛についていた聖騎士たちに顎をしゃくった。


「そいつを捕らえろ。儀式の邪魔だ」


 王国の英雄、串崎の命令。その冷たい声が合図だった。

 俺が魔法陣にたどり着く寸前、屈強な二人の聖騎士が左右から俺の腕を掴み力ずくで床にねじ伏せた。


「ぐっ……! 離せ! やめろぉぉぉ!」


 抵抗も虚しく俺の顔は硬く冷たい石の床に押し付けられる。

 もがきながら上げた視線の先には光に包まれて、次第にその輪郭を失っていくクラスメイトたちの足元しか見えなかった。


「ははっ、マジで行ってやんの。ただのイタズラだったんだけどな、まさかこんなに綺麗に引っかかってくれるとは思わなかったぜ」

「悪いね。別に僕はどうでもよかったんだけど」

「ふん。本当に単純な奴だな。この程度に引っかかるようじゃどのみち社会で生き残れまい」


 串崎、戸山、そして塩釜。そのあまりにも軽薄な言葉の数々が、地面に押さえつけられた俺の心の最後の砦を木っ端微塵に打ち砕いた。


 仲間だと思っていた。共に死線を乗り越えてきたかけがえのない仲間だと、そう信じていたのに。

 俺が抱いていた信頼もすべてが奴らとっては、ただのイタズラだったというのか。


 怒りと悲しみがマグマのように腹の底から突き上げてくる。俺は喉が張り裂けんばかりに魂の叫びを迸らせた。


「串崎ぃぃぃ! なんでだよ! 俺、お前たちのこと仲間だって信じてたのに! 野営の準備だって荷物運びだって、俺なりに必死でやっただろ! なんで……なんでこんなことするんだよぉぉぉ!!」


 心からの絶叫。その悲痛な叫びですら、串崎たちにとっては愉快な余興にしか聞こえなかったらしい。

 彼らは勝ち誇った顔で消えゆく間際に、最後の言葉を吐き捨てた。


「うるせえな。じゃあな役立たず」


 その一言が熱した鉄で刻印を焼き付けられるように、俺の魂に深く、深く刻まれた。


 串崎たちは下品な笑い声を上げ、他の多くのクラスメイトは気まずそうに、あるいは無関心に目をそらす。


 ただ一人、普段は無表情な子が信じられないように目を見開いたのが印象に残った。

数少ない友人たち、宮司ぐうじたちは何も言えず、ただ苦痛に満ちた表情で顔を伏せていた。



 閃光が弾ける。

 彼らの姿は光の中に完全に溶けて消え去った。


 後に残されたのは圧倒的な静寂と、魔法の残滓が漂う広大な教会。


 そして――。




「……あ……ああ……」


 解放され硬い石の床に嗚咽を漏らす、俺一人だけだった。



 ステンドグラスから差し込む慈悲深い光が絶望に沈む俺の姿と、まるで俺を嘲笑うかのように床に広がる不自然に濃い影を、ただ静かに照らし出していた。


 頭の中に木霊する「役立たず」という冷たい響きだけが、俺の脳裏に焼きついていた。

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