第33話 大団円②
ジョセフィーヌは、零れる涙を手のひらで拭った。
もう何日も、こうして泣いている。
大きな窓がある自室は、明るく爽やかな風が入ってくる。お抱えの料理人が作った朝食は、手つかずのまま机に置かれたままだが、昼前になってもまだ食欲をくすぐる香辛料の匂いを放っている。だが、食指は動かない。
竜退治から日が経ち、町はすっかり賑わいを取り戻していた。竜討伐の祝いで、祭りの時期のような騒がしさだ。ジョセフィーヌの下には、多くの友人や知人が訪れ、感謝や祝いの言葉を投げかけていった。
だが、何も喜べなかった。
竜を討伐したのは、自分ではない。
ジョセフィーヌは、そう確信している。シム・ロークという小柄な少年こそが、竜退治の英雄であると、声を大にして言いたかった。
竜退治の軍を組織し、訓練し、装備を調達したのは誰か。竜を前にしては的確な指示を出し、自ら剣を取って戦った勇者は誰だったか。数多の神技(アーツ)を駆使して竜を追い詰め、ジョセフィーヌを導いてくれたのは、他でもないシム・ロークだ。
彼こそ、真の英雄だった。
ジョセフィーヌが最初から彼を信頼し、協力してさえいれば、町への被害は少なかっただろうし、彼が命を落とすことも無かったかもしれない。その思いが頭を離れず、罪悪感が彼女の胸をえぐるのだ。
賞賛の言葉は、自分より彼の方がふさわしい。
だが、竜を倒すために尽力し最後には命を落としたにも拘わらず、誰も彼のことを顧みない。最初から存在しなかったかのようだ。
戦いの後、竜の火炎に飲まれた彼を探したが、見つけることは出来なかった。竜の死と同時に、町を焼いていた竜炎は消え去ったのだが、どこにも少年の姿は無かった。
戦いの騒動が落ち着いてから、シム・ロークの居宅を訪ねたのだが、主を失った家は静まり返っていた。
貴族議会から官職を得ている貴族であれば、それなりの実家があるだろうと、方々で尋ねてみたが、手掛かりは見つからなかった。
そうして彼の痕跡が途絶えたとき、シム・ロークの死を確信した。それ以来、ジョセフィーヌは、自室に引きこもって泣いていた。
胸に迫る寂寥感と喪失感は、今までに感じたことがないほどに強い。食事ものどを通らないほどだ。両親や家の者は、一日に何度も部屋を訪れては労わる様に声をかけてくれたが、それでもジョセフィーヌの痛みは消えなかった。
今日も、朝から一人で部屋に籠って泣いていた。
寝台から出ずに窓の外を眺めて過ごしていたのだが、昼頃に父親がおずおずと部屋に顔を出した。
「監督官から使いが来た。ジョセフィーヌを呼んでいるそうだ」
「……そう」
「もちろん気分がすぐれないなら断るが、せっかくの機会だ。外に出てみてはどうだね?」
「……そうね」
「かの高名なジムクロウ将軍がトナリ市へお越しになったそうだ。監督官と会談されていらっしゃる。ジョセフィーヌにも、同席してもらいたいということなのだが……」
生返事ばかりしていたジョセフィーヌは、唐突に立ち上がった。
「……私、行きますわ。ジムクロウ将軍に会わなくてはならないんですもの」
そして、心から謝罪しなくてはならない。そう決心した。
もちろんシム・ロークのことだ。あれほどの知識と経験を持ち、卓抜した
それを自分の責任であると、ジョセフィーヌは考えている。
謝罪をせねば。そしてこの魔剣を、ジムクロウ将軍へお渡しせねば。
そう思い立つと、すぐに服を着替え髪に櫛を入れた。黄金の首飾りと腕輪を着け、わずかに香油を塗った。家を飛び出すと、混雑する道路を見て、馬車などは使わずに歩いた。焦れる心に急かされて、最後には走っていた。
チタルナル監督官の家に着き、門番に名を告げると、すぐに屋内に案内された。
古いながらもよく手入れされた室内は、落ち着いた雰囲気だった。
そうして通された部屋には、チタルナル監督官がこちらを向いて座っていた。そして、その向かいには、ジョセフィーヌに背を向けて座る男がいた。
きっとあれがジムクロウ将軍だろう。背中しか見えないが、思ったより小柄だった。だが美しく整った着衣から、元老院議員の風格が見て取れる。
憧れの人物に会えるという喜びの感情もあるが、何よりもシム・ロークという得難い男を失った喪失感の方が強い。
あの男の英雄的な活躍を、私が語らなくてはならない。そう決意したジョセフィーヌは、震える声で語りかけた。
「トナリ市護民官のジョセフィーヌ・クインと申します。ジムクロウ将軍閣下でいらっしゃいますでしょうか」
その声に、ジムクロウがゆっくりとジョセフィーヌへと振り返った。
事務屋の竜退治 安達ちなお @a_chinao
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