第26話 露見②
「承知いたしました。すぐに行きます」
チタルナル監督官が気遣わしげな視線を送ってくるが、衛兵が先手を打つ。
「ベルチ執政官の命令は、シム・ローク一人を連れてくるようにというものです。申し訳ありませんが、チタルナル監督官であっても同行できません」
「では、私一人で行ってきます。チタルナル監督官は、石工組合などへの対応をお願いします」
「……分かった」
馬を預けチタルナル監督官と別れると、衛兵達と歩き出した。彼らは私の動きに細心の注意を払っているし、その手は剣の柄に置かれている。
不穏だ。
衛兵達に案内されて着いたのは、貴族議会の議事堂の半地下にある牢獄だった。
石造りの重々しい雰囲気で、天井は低い。木製の扉にある覗き窓が唯一の明かりなので、中は暗く湿っている。
「こんなところに、何の用ですか?」
「入れ」
あえて尋ねても、返ってきたのは短い答えだけだった。
「入る理由がありません」
怯えるでもなく、慌てるでもなく、飾らず毅然と言った。そして衛兵達を真っ直ぐに見つめる。
すると、少し動揺した気配を纏いながら、ためらいがちに私を取り囲んできた。
「シム・ローク竜征補佐官の素行に疑義があるという事で、ベルチ執政官が取り調べを行うそうだ。逃亡や抵抗などの不穏な動きをされないよう、牢の扉越しに行う。自分の潔白を確信しているなら、大人しく入れ。行いにやましいところがないのならば、すぐに自由の身になれるだろう」
上手い言い方だ。
入牢を嫌がれば、それを理由に拘束するのだろう。そして、一度牢に入れてしまえば、相手が潔白であろうとなかろうと、難癖をつけてそのまま投獄するのだろう。
もしかするとベルチ執政官は、この手法で政敵を屠ってきたのかもしれない。
このまま相手の思惑通り牢に入るのは、はっきり言って不愉快だ。けれど、断れば衛兵たちと乱闘騒ぎになるだろう。そうなった場合に、私に何の益があるのだろうかと考えると、あまりない。
そもそも、私個人の身体が自由であるだけでは、何の意味もない。周囲に認められた合法的な身分を維持しなければ、竜退治を継続できないからだ。ベルチ執政官と友好的な関係を維持し、適法に自由を手にしている必要がある。そのためには、今は従わなければならないだろう。
やれやれと心中で息を吐いて、自分の脚で牢に入った。
衛兵たちは少しほっとしたように扉を閉めると、外から施錠した。
空気はカビと湿気を帯びている。ホコリの臭いにまとわりつかれ、気分が落ち込んでいく。
空腹も相まってすっかり気が滅入った頃、ベルチ執政官がやって来た。
驚いたことに、オーギュスト竜征官を連れている。
牢の扉の前まで来たベルチ執政官は、オーギュストに運ばせた椅子に腰掛けると不敵な笑みを浮かべながらこちらを見た。
「随分なことをやったね、シム・ローク。アンタの悪さはお見通しだよ、素直に話しちまいな」
野心的に輝く目がギラリと光る。対称的に、オーギュストは澄ました顔でそっぽを向いて立っている。
「何のお話しでしょうか?」
「とぼけるんじゃないよ! オフェラの件だ。竜退治の予算で美術品を買ったね? こっちはオフェラ本人から聞いてるんだ、嘘はやめときな」
「……買いました」
やはりオフェラは信用ならなかったようだ。
しかし露見が早い。美術品を購入し代金を支払ったのは、昨日のことだ。
恐らく、代金を受け取ってすぐに執政官へ注進したのだろう。
売却金は手に入るし、ベルチ執政官へは恩を売れる。オフェラとしては笑いが止まらない事だろう。
こんなことならば、支払いを遅らせれば良かった。金が入らなければ、私を売ることにも躊躇いが生まれただろう。さっさと事務処理を済ませてしまいたいという私の欲が、悪い方へ転がったようだ。
「買ったブツは、どこにあるんだい? お前の家かい?」
「いえ、ありません」
素っ気なく言うと、オーギュストが優し気な微笑みを浮かべながら口を開いた。
「そう意固地になるな、補佐官殿。魚心あれば水心あり。貴君が懐に入れた財宝を大人しく明け渡せば、執政官殿も広い心で不問としてくれるやもしれんぞ?」
なるほど。彼らは、私が公費で美術品を購入して横領したと思っている。そして、それを自分たちにも寄越せと言いたいのだろう。そうすれば横領の見逃しも考えると、暗に言っている。
悪だ。
反吐の出る悪党だ。
「もうありません。全て潰しました」
「潰しただぁ? なんだって、そんなことするんだい」
「購入した品は、全て竜鱗や竜牙を使用した像などです。竜装備用の素材に不足がありましたので、足しにしました。お陰で、周辺都市からの輸送分が間に合えば、何とか足りそうですよ」
ベルチ執政官は不快気に顔を歪ませるが、オーギュストは面白そうに目を見開いてにやにやと笑っている。実に対照的だ。
「だとしたら、なんだって書類を偽装してまで、美術品を買ったことを隠そうとしたんだい? 最初から原材料費としておけば良いだろうに」
「美術品はどれも貴族や、その子息が作ったものです。それを破壊することになりますので、後の軋轢を危惧して隠匿しました」
「貴族って、たとえばどんな奴だい? さすがに、竜退治を前に装備を整えるためという口実を付ければ、大ごとにはならないだろう」
「ロムレス市でも知られた高名な元老院議員に……ああ、そういえば王兄殿下の名前も出ていましたね。」
ベルチ執政官が、椅子を倒しながら血相を変えて立ち上がった。
「この馬鹿! 限度ってもんがあるだろう! なんだって、そんな貴人達の……っ!」
「ああ、ちなみに像は、アポロン神を象ったものや女神ミュラの祝福を受けた作品だったそうです」
私の言葉に、今度は地団駄を踏み始める。
「神殿まで敵に回すことになる! これが知られたら、トナリ市の立場は無くなるだろうが!」
「ですので、誰にも相談せずに私一人で行いました。美術品を潰したことについては、全て私シム・ロークの責任です」
私の説明に、ベルチ執政官は深くため息を吐いた。
「……そうかい、そうかい。シム・ローク、あたしは、アンタってやつを見誤っていたよ。……さて、オーギュスト。あたしはコイツの罪を議会へ訴えるかもしれない。貴族が作った神像を壊したなんて公言できないから、単に横領したってことにするしかないからね。そうなれば、アンタの責任も追及されるよ」
「そうであろうな。吾輩の監督不行き届きとなろう。ま、頭を下げるのは慣れておる。一向に構わん。そのための吾輩であろう?」
オーギュストの人選は、ここでも活きてくるのかと舌を巻いた。
恐らくオーギュストは、これまでも大なり小なりの不正や不祥事を繰り返してきたのだろう。そして、それが露見して謝罪したことも一度ではない。
それでも一定の影響力を持っているということは、多くの者に利益をもたらして来たからだろう。加えて、致命的な不祥事でさえなければ「またオーギュストがやらかしたのか、仕方の無い奴だ」と、何となく許される雰囲気が出来上がっているのだろう。
ましてや今回の件は、全て知らぬ間に配下のシム・ロークがやったことだ。形式的に責任を問われることがあっても、実質的には無傷に近い。
そして、オーギュストという目立つ人物がいるので、ベルチ執政官の任命責任までは波及させない。そういう政治的な駆け引きもあったというわけだ。
保身と利益追求に対する努力には、並々ならぬものを感じる。
「だが執政官よ。彼をここに拘束するのは仕方がないとして、竜退治が済むまでは処分を待っていただきたい。準備は順調とは言え、何かあったときには彼に意見を貰いたいのだ」
「ふん……。竜退治の準備は順調だろうね?」
「無論。兵たちの訓練は進んでいるし、装備は整いつつあると報告を受けている。陣地の構築は、人が集まらずに時間がかかりそうということだが……」
「それなら、手を打っています」
オーギュストの言葉を継いで、私が説明する。
「チタルナル監督官が、再度、石工組合や大工組合に協力を依頼しに行っています。また、既に参加している職人たちに、約束以上の報酬を支払い、評判の向上を図りました」
「……だ、そうだ。満足かな、ベルチ執政官殿。流石に我が右腕たるシム・ローク。対応が迅速かつ的確だな。して、このままで竜退治が成ると思うか?」
頷いた。ここで嘘を吐く選択肢はない。自分の保身のために竜退治の行程を誤りに導くことなど、考えられない。
「少なくとも、やれることはやっています。このまま準備を整えたら、あとは神に祈りながら弓槍を手に取るだけでしょう」
「つまり、アンタをこのまま拘禁していても、問題ないってことだね」
「……そうなりますね」
不本意だが、そのとおりだ。ここまで段取りが出来ていれば、私は不要だ。練兵も装備の用意も、終わるのは時間の問題だ。私の不在で滞るのは、せいぜい支払いや報告書など事務仕事の類いだろう。
「わかった。オーギュストの懇願を受け入れて、シム・ロークはこのまま拘禁し、竜討伐後にその罪を問おう。ただし著しい手柄があったときには赦免も検討する。それで決まりだよ」
それだけ言うと、ベルチ執政官はこちらを見ることなく、速足で立ち去った。
「我が腹心よ、ベルチ執政官殿の寛大な対応に感謝することだ」
オーギュストはニヤッと笑いながら言うと、ゆっくりと椅子を拾い上げて、歩み去った。ひとまずは、直ちに追放されることも無いようだと胸をなでおろす。が、それもつかの間だった。
入れ替わるように太った衛兵が現れ、監獄の中に入って来た。じろじろと湿った視線をこちらに向けると、私に「服を脱げ」と言った。
「武器なんかを隠し持ってないか確認するだけだよ、ひひひ」
下卑た笑いを無視して無言で立っていると、腰の帯剣を見せびらかすようにチャラチャラと揺らす。
「二度は言わねえぞ、早くしろ」
ここで抵抗して彼を逆上させる利益はあるだろうか。考えてみるが、無い。
大人しく上着を脱ぎ、懐剣も腰のインク壺も渡した。すると「下もだ。全裸になれ」と言われたので、脱いだ。
「何にも隠し持ってねえな、よしよし。それにしても綺麗な太ももをしてるじゃねえか」
下品な笑いをこぼしながら、ズボンだけはこちらに投げてきた。
「チタルナル監督官に連絡を取れませんか?」
ズボンを拾いながら尋ねてみるが、衛兵は「へっ」と鼻で笑うと、そのまま私の衣服などを持って出て行った。扉に触れてみるが、建付けの良い木扉は外からしっかりと施錠されている。
仕方なく、石が敷かれた床に座り込んだ。
ズボンをはいただけなので、上半身は裸で、裸足だ。
牢獄の湿り気を帯びた冷たい空気が肌寒い。初夏で良かった。
室内には悪臭を放つ壺が一つあった。これで用を足せという事だろう。足で部屋の隅へと押しやると、多少は臭いがマシになった。だが、気分も環境も最悪だ。
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